ユダは最愛の君だった
どうも!寝れませんひーちゃんです。私の闘病生活についてまだ書いてないけど、ちょっと挟みたい話があるので、文字を打っています。
5つ年の離れた可愛い妹がいます。彼女には発達障害やアスペルガーはないと思います。彼女は、努力さえすれば「普通の幸せ」を手に入れられる人だと思います。
5年前、進学戦争でメンタルズタボロにされた時、妹はリビングにいました。なのであの地獄絵図を見ていました。2階に逃げる選択肢を彼女は持てなかったんだと思います。リビング族なんで。それに対して私はとても心を痛めていました。罪悪感でいっぱいでした。
「正直家の中での居場所が分からなくてしんどかった。でも別にお姉ちゃんは悪くない。」
そう言ってくれました。
病気になってからも、私を慕ってくれていました。そして私が出ていった実家にいる子どもは妹1人になりました。しんどかったと思います。彼女自身も闇を抱えていました。愛らしくてニコニコしている彼女のメンタルが蝕まれていたことが徐々に明らかとなりました。普段私たちはLINEで話すよりもTwitterで繋がって様子を知る、という形で絆を保ってきました。
妹は私と同じ高校に進学。前の記事を読むと分かると思いますが、母校は進学校ではなく、D大学だのW大学だの受かった私がもはや怪物扱いされわざわざ学年主任に呼び出しを食らっては「実績が欲しい」と何度も言われました。
彼女が入学した時、私がお世話になっている先生方がかなり残っていました。そのため、「私の妹」として変なプレッシャーをかけられないかとずっと心配していましたし、彼女は大学進学を希望し、「日本文学をやりたい。好きな作家を研究してる教授がいる。」と目指す大学を教えてくれました。
正直「いや…ちょっとここは偏差値低くない?滑り止めレベルだよ…?」って思いましたが、ここまで立派な動機があるのなら是非自分が選んだ所に進学して欲しいと思いましたしそう伝えました。
「私は私、妹は妹だよ。」
常に彼女を「私の付属物」だと思わせないようにしていました。個人として尊重してきたつもりです。そして、妹が病んでるツイートを見て、心配になった時はLINEで色々声をかけてきました。
妹は以前から「努力が嫌い」「努力嫌いだから大学向いてない」「学問向いてない」「惰性で生きてるし早く死にたいなぁ」などと私に言っていました。私は、「進学戦争の地獄絵図を見てしまったがため、努力しても報われないと思っている」とか「抑圧されすぎて自分のしたいことが分からなくなっている」と思っていました。あの時までは。
昨年12月、流石に成績が気になっていたので、直近の模試の結果を見せて欲しいと連絡しました。なぜか渋る妹。お姉さん、と私が呼んでいる親友は、妹と趣味が合うので、LINEを交換し、ちょこちょこその話で盛り上がっていたようです。お姉さんは、妹に「ちゃんとお姉ちゃんに現状を知らせないとダメだよ」と声をかけてくれて、やっと画像が送られてきました。
結果、「E判定」
大変動揺しました。母校で数人合格者が出るところですし、正直偏差値は高くないです。頑張れば手が届くはずの所です。しかも母校は3年次に文系クラスに行けば数学や理科とはおさらば出来ます。進学校ではないので。親切ですよね。
高校三年生で新しく学ぶことって、そんなにないのでは、と思い返して思いました。たった3教科をメインでやり続けていい1年間のはずなのに、その模試の偏差値は3教科で38くらいでした。同じ高校に進んだのに、一体どういう事だこれは…?
お姉さんと結果を共有し、ただただ驚くばかり。妹にはお姉さんからまず電話をしてもらい、妹から話を聞き出しました。内容は大体こんな感じ。
Q:なぜこんな成績を取ったのか
A:ゲームをして怠けていた
Q:なぜ怠けたのか
A:なんとかなると思ってた
Q:なぜこの成績でもまだ大学に行きたいのか
A:日本文学やりたいし司書の資格が欲しい
との事でした。私は社会人ではないし、バイトも「接客業」しかやっていません。お姉さんは職歴マスターと言えるほど、様々な仕事をしてきました。そしてGMARCHの大学卒です。大変優秀な学生でした。鬱になって内定を蹴らざるを得なくても、正社員でなくとも、本当に殆どの業種を経験しています。そのため、司書資格を取った人の現状を妹に伝えてくれました。妹が「文学を広める仕事に就きたいから」大学を希望している事に対して、「それはマーケティングに入るから商学部に行くべきになるし文学部ではない」事も「そもそも滑り止めにしてる大学でも第一志望の大学でもレベルとして職業に繋げるなんて不可能だ」という事も、ちゃんと妹に教えこんでくれました。
妹の努力嫌い、というのは、文字通りでした。私が病気で学問に復帰しても苦戦しかしてない時や、妹を実家から救出するために親親戚に働きかけていた時、彼女は遊び呆けていたのです。まさか、妹に裏切られるなんて思っていませんでした。後に、私も直接連絡をして、成績の推移等細かく色々聞きました。6月時点ではA判定を取れていたと聞きました。ストレスでぶっ壊れたなら、一気に成績が落ちるはずです。でも徐々に夏頃から判定が緩やかに下がってきていた事を知り、時間の使い方も完全に間違えていました。怠惰と言う他ない生活をしていたのです。私が生きることそのものに不自由さを抱えていると知りながら。
妹が「自分で決めた目標に対して努力してない」なんて誰が思うでしょうか。大学進学を希望しておいて、勉強をしていない、努力をしていないなんて夢にも思いませんでした。私との電話でも、大学進学に縋りついてる理由は、お姉さんに話した内容と同じでした。ここまで、学習をしていないなんて。お姉さんは現実を伝えてくれたのに。
妹は第一志望落ちても、努力不足は隠し通すつもりでした。つまり、私の愛情を「道具」だと見なして「利用」しようとしていたのです。
とにかくショックでした。私が復学して苦しんでる事は知っていたはずです。「唯一家族と言える人」を私は失いました。判定が1つ落ちた時点で、普通はとても焦ると思います。でも取り戻そうとしなかったし、大学進学以外の進路、例えば専門学校、就職等に切り替える事もせず、単にモラトリアムを金で買おうとしていただけでした。妹にはこんな理不尽な思いはさせまい、受かったなら救い出そう、今耐えて頑張っているんだから、という私の愛情は粉々に砕け散りました。しかし、愛情はあります。初めは、「妹を実家から救出してしまったら彼女の将来に悪影響を及ぼすので助けられないことが一番辛い」と思っていました。自業自得なので、私がここで手を差し伸べてしまっては、甘やかしとなり、彼女が社会に出た時、ストレスに立ち向かうだけの精神的な強さを持たせられない。私が加害者となる、と判断しました。お姉さんは妹の怠惰にショックを受けるよりも、助けてあげられない状況を作ってしまった妹へ成人した身としての判断を下さなきゃいけないことに悲しむなぞ、なんて優しい姉なんだと。こんな姉を持っておきながら妹がだらけていたなんて信じられない。と言ってくれました。
本来ならば、両親とは、私の経験を考えると願書出す時点で揉めるはずでした。しかし正直Fランな滑り止めの願書を出す話はなんのトラブルもなく通ったのです。今度は両親に強い怒りが芽生えました。妹に対しても、勿論の事。
続きます
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?