闘病生活2018①~入院前~

  病んだことをほぼ隠し、ガラケーのLINEサービス終了のお知らせに目に入った私は、正月に帰省しました。やっとiPhone持つことが出来ました。えーっともう成人してたのになんで父フィルタリングかけたん?は?カクテルのレシピ見れないじゃねーか!!!でもガラホにされるよりはマシでした。父と顔を合わせたのはこれが今のところ最後だと思います。家族プランにぶち込まれているおかげでスマホ代浮いてること自体は有難いです。父と話す時は離人感が凄かったですね。京都に戻ってもそこから1日だけは何だか景色を写した映像を見てる、そんな感覚でした。私自身がこの目で見てる、というのが感じられずシラフなのにどこか自分がふわふわしていて不思議な体験でした。
  そこからTwitterの病み垢を作りました。作り直したことは1度もないですね。読書もお絵描きも何もかも出来なくなった私がハマったものはツムツムとTwitterとLINEでした。
  ある日母のLINEアカウントから電話が来て、出たら父でした。家族4人で10ギガとかそんなものだったので、そもそも容量少ない!そして親は誰がどのくらいギガ数食ってるか分かる仕組みでした。
  父は怒鳴りました。
 「このスマホ廃人が!!!」
  えーっと、私はゲーム機ない家庭で育って、友達を羨ましいと思ってましたが、元々紙で読書をし、絵もアナログで描く人です。それが出来なくなり、親がメンヘラった原因の為実家に帰るなんて人生終了も同然。
  私の元々好きなこと…というか毎日するのが自然だったことを出来なくさせたのは誰の影響ですか?誰が原因なんですか?と思いつつも、打ちひしがれるばかりでした。後日不憫に思った母がWiFi機器送ってくれて頑張って繋ぎました。アッパーになれる錠剤をぶち込みながら。
  ここから色んな人と出会っては離れ出会っては離れ…を繰り返しました。でもずっと繋がってくれる人なんて数人でいいんですよ。SNSでなくても人生そんなもんだろうと思ってます。

  カウンセラーは当たりでした。臆病者で良かったね☆顔合わせ1度して2度目のカウンセリングを受けた際、「AC」という言葉を敢えて全く言わず、家庭から来た今に繋がるしんどさを話しました。そしたらこう言われました。
「ねぇひーさん。アダルトチルドレンって言葉知ってる?」
  作戦…という言葉は適切でない気がしますが、とにかく私の考えた話し方は正解でした。ACが病名(病気)でないことは調べていたので知ってました。タイプ別だとヒーロー型とピエロ型に当てはまると思います。
  とりあえず行きやすい病院に足を運び抑うつ状態ということで暫く様子を見られていました。食べられないとかなんとかはもう欲がなくなってたのでそこまで苦痛ではありませんでしたが、体温調節が出来なかった…に留まらず、自分の快適な温度が分からない気持ち悪さを経験したのをよく覚えています。あれはやだな…。もうやだ。(言語IQ70くらいの発言)暑い寒い繰り返してるなら布団被って蹴飛ばしてを繰り返せば良いだけなんでまだマシなんですが、これはどうにもならないので勘弁してくれ…!二度とゴメンだ!!!
  最近はないですね。薬も合ってますし。


  彼氏との関係も良好で、Twitterから親友も出来ました。沢山の方々が友達になってくれました。

  しかし、私が精神疾患になってから、家族…特に両親の対応がどんどん悪化していきました。
  アルコールで感情を爆発させ、号泣しひたすらカッターで腕を切りつけながら母にめちゃくちゃ当たってました(当たり散らしてたけどただの八つ当たりでなく根拠もありますがそれについてはまた別の機会で)。だから喧嘩の土俵に立ってくれなくなったのもあるかとは思いますが、あまりにも酷と言っていい対応が増え、エスカレートしていくばかりになっていきます。
  ストゼロ、美味しくないし二日酔い体質だから飲みたくないんですよ。それで毎日二日酔い。なのに夜になると買ってる。完全に依存状態なのは自覚してましたがなかなか抜け出せませんでした。「気絶」という形でも意識飛ばさないと生きていけなかったのです。感情の解放という面もありました。ここ1年は少なくともストロング系チューハイは飲んでません。やめました。やったね!

  そして、8月から9月に変わる頃、自殺未遂をして、入院しました。
  これは分けましょう。読んでくれた皆様ありがとうございます。是非また続き書き終えたら読んでください(*´ω`*)

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  写真(自撮り)アプリ初の自撮りはこれでした。
ヘアアレンジも好きだったんやけどな!!!

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