【上座部仏教】五位七十五法 心法
説一切有部の教説の続きになります。
○有部の説く自性(スヴァバーヴァ)
説一切有部の正統派であるヴァスミトラとサンガバドラ(衆賢)が強調していることは、実在するもの(法体)はそれに特有の本体と作用を持っているということです。言い換えると、実在するもの(法体)は二つ以上の本体と作用を持ち得ないということです。
○世親の『倶舎論』における五位七十五法の法体
実在するもの(自性を有するもの)とは、世親の倶舎論においてまず、以下の二種類に大分類できます。
・無為法
「作用の刹那滅論」の対象とならない、恒常不変の法体です。しかし、後で説明する「能作因」とはなり得るので、完全に因果関係を離れているわけではありません。
・有為法
「作用の刹那滅論」の対象であり、未来領域(未作用状態)から現在領域(作用中状態)へ生起→持続→変化→現在領域(作用中状態)から過去領域(作用済状態)へ消滅という四相を刹那の瞬間に行う法体です。
○五位七十五法
一つの本体が一つ以上の作用を発揮することはないので、例えば、眼識は眼根を照明(理解)する作用だけを、眼根は色境を見る作用だけを、対象である色境は形象を与える作用だけを持っています。ちなみに、眼根などは「色法」に分類されます。次回の記事で触れたいと思います。
○有部の本体とは思惟・言葉の対象?
我々現代人の考え方からすれば、過去において見たもの、未来において見るであろうものを意識することはそれぞれ、記憶ないし・推理の話になります。しかし、有部は過去の記憶を想起するといった場合、意識の法体が過去領域の法体を対象として認識したとし、未来の出来事を推理するといった場合は意識の法体が未来領域の法体を対象として認識したとします。記憶の対象や推測の対象まで、外界に存在するとします。ここまで来ると、有部のいう本体(法体の本体)とは思惟の対象としてのもの、言い換えれば、言葉の対象としての物のことであることが分かります。同時期に活躍したヴァイシェーシカ学派の思想との類似点が見られるようです。
○梶山雄一氏の考察
これに関し、仏教学者の梶山雄一氏は次のように考察しています。
刹那滅である法体の作用、すなわち我々が経験する「現象の時間・世界」は知覚の時間・世界であり、恒常な法体の「本体における時間・世界」は思惟や言葉の時間・世界であるということです。我々は現象の時間・世界を真実とし、思惟の世界は虚構に過ぎないと考えますが、有部は逆に考えているということになります。