【原始仏教】釈尊の説法
釈尊は相手の才能・適正・レベル・生まれ育った環境などに応じて、理論・比喩・詩・物語を用いて教え説いたと言われます。所謂、対機説法です。釈尊は自らの教えを文字として残すことはしなかったため、原始仏典の内容は釈尊の入滅後(死後)に弟子達が記したものです。
ヤサは釈尊の元で出家し、五比丘に次ぐ六人目の比丘となりました。ヤサの両親は在家信者となり、ヤサの出家に促され、資産家の子のヴィマラ、スバーフ、プンナジ、ガヴァンパティも出家したと言われます。
施し(布施・寛容)の訓話、戒め(戒・慈愛)の訓話、生天(幸福)の訓話とは、在家者一般に語られたもので、順々の話にある「施・戒・天」の『三論』、あるいは「施・戒・修習」の『三福業事(功徳を積むための三種の行為)』に関する話です。出家者に対しては『十論事』と呼ばれる話が語られ、それは「戒・定・慧」の『三学』にまとめられるものです。すなわち、「少欲論・知足論・不交際論・戒論」は『増上戒学』、「遠離論・努力精進論・定論」は『増上心学』に、「慧論・解脱論・解脱智見論」は『増上慧学』に配して説明されました。
カッサパ三兄弟とその弟子千人が釈尊へ帰依しました。後の十大弟子の一人である頭蛇第一のマハーカッサパとは別人です。釈尊の僧団はかなり大規模なものとなっていきます。
○サーリプッタとモッガラーナの帰依
釈尊と同時代のインドには、バラモン教ヴェーダ学派を否定する自由な思想家が多数輩出し、ヴェーダの権威を否定する諸学説を提唱して盛んに議論していました。原始仏典ではその諸学説を六十二見にまとめ、その中で主要なものを「六師外道」と総称しています。後に釈尊の十大弟子となる智慧第一のサーリプッタと神通第一のモッガラーナはかつて、六師外道の一人である形而上学的議論の排除という立場に立つ懐疑論者サンジャヤ・ベーラッティプッタの弟子でした。サーリプッタとモッガラーナはラージャグリハ(王舎城)にとどまっていたサンジャヤのもとで修行を積んでいましたが、その教えに満足できずにいました。二人は先に涅槃の境地に到達した方が他方に教えようと約束をしていました。偶然、サーリプッタは仏弟子となって日の浅い尊者アッサジ(五比丘の一人)に会い、その姿があまりに端正で作法にかなっていたので、誰のもとで出家修行者となったのかをサーリプッタは尋ねました。サーリプッタはアッサジが釈尊のもとで出家したこと、そして釈尊の教えの一端を聞き、感銘を受けます。
これを聞いたサーリプッタに『およそ、因縁によって生起する性質のあるものは、全て消滅する性質のあるものである。』という真理を見る眼が生じました。サーリプッタからこの教えを聞いて、モッガラーナにも『およそ、因縁によって生起する性質のあるものは、全て消滅する性質のあるものである。』という真理を見る眼が生じました。2人はサンジャヤに対しても自分達と一緒に釈尊の弟子になることを勧めましたが、サンジャヤは断りました。サーリプッタとモッガラーナはサンジャヤの弟子であった250人の弟子と共に釈尊へ帰依しました。
サーリプッタがアッサジから聞いた教えとは、
涅槃寂静:
輪廻から解脱した境地において、「自己」の沈黙を自ら知るがままに、形からも、形無きからも、一切の苦しみから全く解脱する
諸法非我:
・世界を保持(構成)する力を持つもの(ダルマ)は自己でない
・自己とは無常なるこの世界の外に存在する
→五蘊非我:
・五蘊即ち、身心は真の自己ならざるものである
諸行無常:
・(心身を含む)すべての作られたもの(諸法の中で作られたもの)は無常(移り変わるもの)である
・おおよそ、生ずる(生起する)性質のあるものは、滅びる(消滅する)性質のあるものである
→此縁性(イダッパッチャヤター):
「これが有るとき、かれが有る」
「これが生ずることにより、かれが生ずる」
「これが無いとき、かれが無い」
「これが滅びることにより、かれが滅びる」
であったと筆者は考えています(以下の記事もご参照ください)。
非常に優秀な修行者であるサーリプッタとモッガラーナは釈尊の教えの一端にも涅槃への具体的な道筋を見たのではないでしょうか。サンジャヤの懐疑論は基本的原理・認識に対して、その普遍性・客観性を吟味し、根拠のないあらゆる独断を排除しようとする主義です。サンジャヤは霊魂(真の自己・アートマン)の存在・来世の存在・善悪の行為の報いの存在など形而上学的な重要問題に対して曖昧な回答をし、判断を中止する態度をとったといわれます。涅槃の境地を常に目指していた高弟のサーリプッタとモッガラーナがサンジャヤのもとを去り、釈尊へ帰依したのは自然な成り行きといえるでしょう。