【輪廻】四生
生物とは何か?命とは何か?と要素を分解して、その定義を考えてみても迷宮に入ってしまいます。
今回は釈尊が活躍した時代前後の古代インドにおける生物観を見ていきたいと思います。即ち、衆生の「四生」の思想ですね。この点に的を絞って細かく解説してあるものに巡り合えずにいましたが、インターネットで次の論集を見つけましたので、一部を参考にさせて頂きます。
「四生について―yoniとjara(-)yujaの解釈を中心に―」
○ウパニシャッド哲学の四生
仏教成立に先立つウパニシャッド哲学では、「卵生」「命我生(胎生)」「芽生」の三種の生物の誕生方法が説かれ、三番目の「芽生」の中に「湿生」も含まれる形になっています。要約すると、次のようになると思います。
現代の生物学で考えると、生物の生活環や出生はこんなに単純でないことが分かりますが、当時は大まかにこのような理解だったのでしょう(今回は難しい生物学の話はなしです.笑)。
湿性と聞くと、現代人はキノコやカビなどの菌類を想像しますが、古代インドでは主に卵性に入るはずの昆虫類が湿生になっています。
○仏教の四生と四有
さて、仏教ではどうでしょうか…?
仏教では植物に該当する「芽生」がなく、「化生」が追加されて四生となっています。要約すると、次のようになると思います。
パーリ仏典(原始仏典)でも最古層に入る「スッタニパータ」では生物として、動物とセットで説かれる植物(芽生)がここに含まれていないのが不思議です。それとも湿生に芽生が含まれていると考えるべきなのか…?仏教における植物の立ち位置は、やはり明確には分からないです。
ウパニシャッド哲学では、神々になる=輪廻からの解脱であるため、天界の神々は衆生に含まれません。しかし、仏教では輪廻の迷いの中にいる衆生となります。天界の神々や地獄者は、過去の業(カルマ)によって拠り所なしに、その身が誕生(化生)する霊的存在者ということになります。拠り所を必要とする他の生と異なり、化生によって生まれた衆生は生前の記憶を想起できると言われます。
仏教では、衆生が生まれて死んで再生するまでの期間を「生有・本有・死有・中有」の四有に分類します。即ち、生有=誕生の瞬間、本有=誕生から死亡までの期間、死有=死亡の瞬間、中有=死亡から再生までの期間です。この中有の期間の身=香陰(ガンダルヴァ)もまた化生によって生じます。