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短歌随想㈤『津田緋沙子と中村縁衣子』
月 代 の
道 帰 り ゆ く 藁 車
里 は し づ か に 秋 収 め ゆ く 津田 緋紗子
「月代」は秋の季語で、月が昇る直前の東の空が段々と明るんでいく様子をいう。
そんなつるべ落としの秋の夕暮れ、刈り入れが終わった田んぼ道を脱穀した後のわらを積んだトラックが帰っていく静謐な田園風景が浮かぶ。
しかも結句では、稲の収穫とともに豊穣の季節が終わり、秋が一段と深まる様が抑制した言葉で見事に表現されている。
作者は諫早市高来の人、長らく俳句と随筆に親しんでこられたからか、平易な言葉だが、その一つ一つに力があり、新鮮に感じられるから不思議だ。
暮れゆく秋が心に染みる。「諫早文化第16号」より。
※写真は多良山系中腹の白木峰高原から雲仙を遠望する。眼下の山麓左手
の諫早湾干拓堤防道路の付け根辺りが高来町である。雲仙の山並みで一
番高い山が平成新山、その左手の尾根の瘤が眉山となる。
か っ ち り と
楷 書 の 言 葉 で 伝 え た い
目 の 見 え ぬ 人 へ の 声 便 り 中村 縁衣子
作者は図書を音訳するボランティアを長年されており、吹き込む言葉を『楷書』のようにと例えられた。
『楷書』とは一画一画を続けずに筆を離して正確に区切る書き方であり、目の見えない読者に正確な言葉を届けたいとの真摯な思いが込められている。
作者の日々の暮らし、生き方が、こんな繊細な表現を思いつかせるのだろう。
一方で「例うれば君は平成新山かわれは眉山 いつも見ている」と、こんな大胆な例えの歌もある。
作者は島原市在住、雲仙は自分の裏庭と豪語される。言葉は人に付随する、そう思う。歌誌「やまなみ」令和4年6月号より。
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島原勢が一揆の話し合いをしたところと伝えられている。
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