短歌随想㈡「栗木京子と三国玲子」
鶏卵を
割りて五月の日のもとへ
死をひとつづつ流し出したり 栗木 京子
静謐な日常の中に痛みを伴う刺すような視線。
血が流れていると言えばいいのか。
これより短くても、これより長くても成立しない歌のように思われる。
三十一文字だからこそ成立し、表現し得た情景ではないか。
作者は言わずと知れた現代短歌界の重鎮、現代歌人協会理事長でもある。
同じ人が「観覧車回れよ回れ想ひ出は君には一日我には一生」と清新な青春を詠って登場したとはとても思えない。
喜怒哀楽の年輪とともに身に着くもの、失うもの。人はどのようにも変われるし、また変わらないこともできる。
こんな歌が詠めるなら、私も変わってみたいと思う。
※1954年10月23日、名古屋市生れ
歌集『けむり水晶』『水仙の章』など、第41回迢空賞など受賞多数
何か呼ぶ
けはひと見れば水芭蕉
ひとつ寂びたる帆を掲げゐしなき 三国 玲子
作者は戦後を代表する歌人の一人で、昭和62年に六階から転落して自死した。63歳だった。歌は遺歌集『翡翠のひかり』から。
北国の春浅い湿地に純白のドレスを纏う水芭蕉の清冽な姿を詠いながら、何かに引き込まれていくような心の傾斜を感じさせる不思議な歌だ。
誰しも、ちょっとした心身のバランスの崩れを経験することがある。
そのときふと「何か呼ぶけはひ」を感じることはないだろうか。
歌の中に死の徴を捜そうとするのは、結果論からの偏った見方かもしれない。
しかし死は生の対極にあるのではなく、生の一部なのだと改めて思う。
※1924年3月31日~1987年8月5日 東京都出身
1987年3月に歌集『鏡壁』で現代短歌女流賞を受賞