俳句とエッセー㉗『 海山村Ⅱ - 実りの色 - 伊東静雄の手紙 』 津 田 緋 沙 子
実 り の 色
七 タ や 自 転 車 漕 ぎ て 会 ひ に ゆ く
父 と 子 の 七 タ 教 室 屋 根 の 上
七 タ や 星 に な り た る 人 の 数
消 え な む と 千 の 雫 や 大 文 字
大 文 字 闇 に し み じ み ひ と り な る
山 峡 の 実 り の 色 や 敬 老 日
吾 亦 紅 晩 年 良 し と わ が 手 相
伊 東 静 雄 の 手 紙
「先日は久しぶりにお顔見ることが出来、うれしくなつかしか
ったです。二年の仰臥生活の後見る旧友のなつかしさといふもの
は…」
「さっき、看護婦さんが、ああシンドといって大きい木箱を持
ちこみました。あっ舞鶴からと…」
こんな書き出しの二通の手紙が七月から諌早図書館で公開され
ている。詩人伊東静雄が昭和二十六年に入院先から旧友木下昇氏
に宛てたもので長く未発表だった手紙である。木下氏は佐賀高等
学校、京都帝大で伊東が親しくつきあった同級生、文学を通して
の仲間ではない。
「私はもうあきらめて出来るだけ心やすらかに死ぬことの工夫
をして参りましたのに…」などと詩人仲間に書き送っていた伊東
にこの旧友との再会が如何ばかりのものだったか。手足を一寸動
かすにも心を用いよとの医師の厳命の中、仰向けで書いた二通の
手紙には喜びが溢れている。
それにしてもと思う。伊東静雄ほど、 その書簡類がたくさん残
されている文人はそうそういないのではないか。読み捨てるには
惜しい魅力をその文章が持つからではないか。諌早人の身びいき
だろうか。 (了)
諫早出身の日本浪漫派の詩人・伊東静雄の青春の苦悩を綴りました。ご一読いただければと思います。
下記に、これまで公開した津田緋沙子さんの俳句とエッセーをまとめましたので、ご一読いただければと思います。
よろしければ、伊東静雄の詩と諫早湾を舞台にした小説をお読みください。