高齢者は運転禁止? 〜人間の生活を支配・管理する、その先にある世界とは〜
昨日こんなことをつぶやいたら、いろいろ反響をいただきました。
「高齢者の免許を取り上げる前にマニュアル車を推薦しては?パニクった時オートマは暴走しますがマニュアルは必ずエンストして止まります。地方での足は生活の生命線ですし、若い頃の手続き記憶は強固ですので大抵運転できますので。」
字数制限のあるツイッターなのでこういう表現になってしまいましたが、僕の真意はちょっと違うんですね。
文字通り取れば「オートマは危険だけどマニュアルは安全!」みたいなニュアンスで伝わってしまうかと思いますが、実は僕が本当に言いたかったのは、「マニュアルがいいよ」ということにもまして、「高齢者だからといって、安易にいろいろ取り上げたり制限したりすること」の問題のほうなんですよね。
特に地方では子供世代が都市部に出てしまったあとの独居世帯も多く、まだいろいろ出来る元気なうちから「運転はだめ」「一人暮らしはだめ」など、先手先手で手を打たれることが往々にしてあります。
しかし、この「制限をかける」こと=「管理・支配」すること。実は想像以上に大きな問題を孕んでいると思います。
こちらの爺ちゃんは、そうして「運転はダメ」「一人暮らしはダメ」「晩酌もダメ」「夜は9時消灯」などいろいろ制限をかけられてきたのでしょう。デイサービスでも「脳トレ」とか「塗り絵」とか幼稚園のお遊戯みたいなことやらされてて…で、それを拒否しています。
ま、立派な成人男子としては当然の反応かもしれません。
ちなみに、こちらのデイサービスは一階がデイで二階〜が有料老人ホーム。建物の玄関には鍵がかかっていて、お花見とかのイベント、病院への受診など以外は自由に出入りは出来ません。有料老人ホームの月利用料は食費・介護費合わせて十数万円〜と破格に抑え、デイサービスの方はフルで使ってもらって介護報酬でペイするこのスタイルは、融資する銀行も推奨する地方での基本的なビジネスモデルです(なのでどこも大体こんな感じです)。
もちろん、医療・介護の専門職の方々も、ご家族も、「本人のため」「周囲の安全のため」に良かれと思って、こうされているのだと思います。でも実は、現場で何が起こっているのかと言うと、高齢者のみなさん「無言の抵抗」そして、その先の「意気消沈」です。
写真の爺ちゃんも、自分の人生をいろいろ制限されていることに対しての「抵抗」の真っ最中なんでしょう。
誰かから何かを奪うこと、誰かの生活を制限してしまうことについて、僕らはもっと慎重になるべきではないでしょうか。
人間を「支配・管理」すること、その関係性からは何も生まれません。
逆に、この爺ちゃんのように、「抵抗」そして「諦め」→「意気消沈」となり、その先に、この見慣れた風景になるわけですね。
そして、この「支配・管理」の世界のさらに先には、次の写真のような拘束」「寝たきり」の光景があります。
これらの悲しい光景の大元にあるのが、僕らの
「高齢者は安全・安心に管理・支配しとこう」
という気持ちなんじゃないかな、と思うのです。
そもそも、誰かに支配・管理されたい人なんていません。
僕たちだって若い頃は
「この支配からの卒業〜♫」
と大きな声で歌ってたわけで……
でも大人になったら支配する側に回っちゃう…。
そう、自分たちが中学生のときどうしてほしかったか?
「茶髪にしたい」
「バンドやりたい」
「バイクに乗りたい」
親や先生に頭から否定されて、強く反発していたあの日々。
子供ながら僕は「自分の気持ち」を聞いてほしかった。理解してほしかった。
では僕らはいま、爺ちゃんばあちゃんの気持ちを聞いてあげられているでしょうか。
最終的に車の運転は無理になるかもしれないけど、一人暮らしは無理になるかもしれないけど…
最初から否定せず、まず爺ちゃん婆ちゃんのその人の思いを尊重しよう、という姿勢で聞いてあげられているでしょうか?
そうした「相手の立場や思いへの尊重」は、子供に対してでも高齢者に対してでも同じ。相手の対応の芯に自分へのリスペクトを感じられるか感じられないか、自分への愛を感じられるか感じられないか。子供も高齢者も、そこは敏感に感じ取ります。
金八先生なんか、加藤と松浦(古っ!)にビンタしたりしますが、基本に「子どもたちの思いを尊重する」があり(この動画によく現れています)
だから「子どもたちへの愛」が思いっきり伝わるのでしょう。
本当に大事なのはここなんですよね。
「車をマニュアルにすればいい」とか、逆に「施設だからダメ」とか、そういう◯◯だからいいとか悪いとかではない。
まずは、爺ちゃん婆ちゃんの思いを受け止めて尊重する。
そのうえで、みんなで解決策を探る。
その中で
「オートマだと制御が効かなくなる時があるから、まずマニュアルに変えたらいいかもよ」
とか
「懐かしい旧車があるんだけどマニュアル運転難しいんだよね。教えてくれない?」
とか、
そのくらいの、真摯な対応・相手を思う優しい関係性の方がみんながハッピーになるんじゃないかな?と、僕は思うわけですね。
そうやって「本人の思いを尊重」していくと、「管だらけの寝たきり」にはなりにくいでしょう。
だって聞けばほとんどの人が「そうはなりたくない」っていうのですから。
そこを聞かずに最初から「管理・支配」することに慣れてしまうと……
最期まで本人の思いを聞かず医療・介護の論理が優先で物事が進んでしまいます。→で、管だらけで寝たきりに・・(-_-;)
そういうことなんじゃないかな、と思います。
あ…、ちなみに、「高齢者の事故は危険なんだから、そんなこと言ってられない!」という意見もあると思います。
でもデータを見ると本当に危険なのは高齢者の運転ではなく「若者(10代)の運転」なんですよね、事故率も圧倒的に若者のほうが高い。じゃ、10代の免許取り上げる?それもおかしな話。
それこそ
「この支配からの卒業〜♫」
の世界になりかねません。
しかもしかも、データをよく見ると「高齢者の事故率」は全然上がっていないのです。
詳しくはこちら↓↓
高齢者の方々だって、「いずれ運転は自粛しなきゃ」ということは分かっているんでしょうね。免許の自己返納件数だって大幅に増えています。
出展:https://www.asahi.com/articles/ASL1M4QY7L1MUTIL02F.html
だからこそ事故率は増えてないのかも。
こうした気持ちに追い打ちをかけるのではなく、「支配・管理」するのではなく…
その思いを聞いて、優しく支えてあげられる。
そんな愛ある対応の方が、世の中はうまく回るのではないかな〜、と思うのですね。
…以上、いま僕が考えていることでした。
でもこんな僕の考え方、まだまだ突飛かもしれませんけどね(^_^;)
皆さんはどう思われるでしょうか。
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夕張に育ててもらった医師・医療経済ジャーナリスト。元夕張市立診療所院長として財政破綻・病院閉鎖の前後の夕張を研究。医局所属経験無し。医療は貧富の差なく誰にでも公平に提供されるべき「社会的共通資本」である!が信念なので基本的に情報は無償提供します。(サポートは大歓迎!^^)