アメリカと台湾
湯錦台氏の著した「閩南海上帝國」という本があります。この本の前書きに示唆的なことが書いてありました。彼は、アメリカでビジネスをしながら歴史の勉強をしていたそうなのですが、アメリカの歴史と台湾のそれにはよく似たところがあるというのです。以前にこの様な言説を読んだことがなかったのですが、これはなかなか説得力がある、そしてとても興味深い見解だと思うので、ここで紹介してみます。
ここで書くことは、湯錦台氏の書いた内容に、ある程度自分の意見も加えたものであることはご承知おきください。
1. オランダ人により発見/開発された土地
台湾が原住民の時代から世界史上に現れてくる際に、オランダ人による台南占領という事件が大きく影響しています。
この事件は、1624年のオランダ軍の澎湖島から台南への撤退がその契機となっています。オランダは中国本土での貿易拠点の確保を目指していましたが、中国明朝の軍事力の前にその夢は叶わず、本土はおろか澎湖島に建設した要塞からも追い出されてしまいました。
そして、明朝の勢力範囲外であった台湾島の台南に新たに貿易拠点を築くことになります。これが台南のゼーランディア城(Fort Zealandia)です。この事件が台湾を世界史の舞台に引きこむきっかけとなるわけです。
この事件については鄭芝龍に関する記事でその経過を詳しく説明していますので、興味のある方はこちらの記事もご覧ください。
一方、アメリカに対するヨーロッパからの植民は、16世紀はスペインの勢力により行われ、17世紀に入ってオランダ・イギリス・フランスからの植民活動が始まります。
ニューヨークは、元々オランダによる植民が行われた土地で、初めはニューアムステルダムと呼ばれていました。ハドソン川にオランダ人が入植を始めたのは1609年、そしてマンハッタン島にフォート・アムステルダムという要塞が築かれたのが1625年になります。
これを時期的にみると、オランダ人による植民地としての最先端の要塞フォート・ゼーランディアが1624年、フォート・アムステルダムが1625年と、その設けられた場所と歴史的経緯は異なれ、同じ時期に形がほとんど同じ要塞が築かれ、世界史にその名を刻み始めていることが分かります。
ゼーラントとアムステルダムは、この当時のオランダを形成している二つの州です。アジアとアメリカで勢力範囲を分割していたのでしょうか。
因みに、太平洋にゼーラントの名を冠した島があります。ニュージーランドです。
2. 多くの原住民がいる
オランダ人が台南の地に貿易拠点を構えた時点で、この地は漢民族により統治された土地ではありませんでした。南洋系のいくつもの少数民族が、それぞれの部落ごとに頭目をリーダーにして統治する部族社会であったと考えられます。
そのような、少数民族により部落別に統治された台湾の社会にオランダ人が入植し、その後漢民族がとってかわり統治を進めるわけですが、この統治は17世紀から19世紀の間、台湾島全体を統治するまでには至っていなかったのだと僕は考えています。台湾島全体の統治は、日本統治時代になってから東海岸と山地部のすべてを日本の軍隊と警察隊がそのコントロール下に置くまで、実に20世紀になってからのことであると考えるのが妥当です。そのために日本統治時代には原住民による反抗が続き、武力闘争が絶えなかったわけで、原住民にとってはこれは独立を守るための戦いであったのでしょう。
一方のアメリカの歴史も、原住民たるアメリカインディアンの統治を、東部から次第に西部に進めていく歴史でもあります。アメリカインディアンだけでも、ナバホ、チェロキー、プエブロ族などとても多くの部族に分かれており、これらの部族が次第にアメリカ合衆国の支配下に組み込まれていく歴史です。
3. 強國の植民地支配を受けている
台湾とアメリカは、共に先住民による自立した時代から、周辺の強国の植民地支配を経て独立国となるという歴史的経過を経ています。
台湾は、オランダ統治、清朝による統治、日本による統治という歴史を300年に渡り受けたあと、現在の中華民国となり、ほぼ独立国と言ってよい状態になっています。
アメリカはオランダとイギリスによる植民統治を1626年から1783年まで受けており、その後独立国となっています。
独立した時期は大きく異なりますが、先住民族の時代から植民地となる歴史を経てようやく独立国となったという経過はよく似ています。
4. 多民族的な移民による新しい國家である
台湾は、原住民による統治の時代から、清朝による漢民族の植民、日本統治時代の日本人の植民、さらに光復後の中国本土からの外省人の移民という、多種多様な移民を受け入れいているという歴史を経てきています。
この流れは現在でも続いており、東南アジア各地からの労働者を新住民として受け入れています。
中華民国が台湾の統治を始めたのは1945年。中華民国自体は辛亥革命以降100年を経過していますが、台湾における統治は現在で80年足らず。国家としてはこの国はとても新しいと考えられます。
アメリカは、原住民による統治時代以降、ヨーロッパから新大陸とみなされ、ヨーロッパ各地からの移民が押し寄せるという歴史を経ています。それは19世紀以降もずっと続いており、この移民を受け入れるというスタンスは現在でも続いています。いまでは、オーストラリア、ニュージーランド、カナダなどの国が移民政策的にはより積極的であると考えられますが、日本やヨーロッパ各国と比べるとアメリカの移民に対する許容度というのはとても高いものでしょう。
アメリカの独立は1783年。現在まで241年です。これはヨーロッパや日本と比べるとやはりとても新しい国であると考えられます。
5. 民主主義を奉じている
アメリカは、王制をとらずに独立時から民主主義を奉じています。独立の過程も巨大な王権による統治ではなく、各州のリーダーが話し合いによって政治の方向性を定めるという、とても民主的な手法で運営をしており、それはある意味民主主義の優等生的な政府となっています。
そのような歴史的な経過を経ているために、アメリカ主義のレゾン・デートルは民主主義のことであるということもできるほどです。
一方の台湾では民主主義は後天的に持ち込まれています。これは僕の勉強したところでは、李登輝元総統が台湾存続の最大の命題として掲げ、それが現在の台湾にとても深く根を下ろしているのだと考えています。
台湾に中華民国がやってきた時点では、この国は蒋介石総統の指導の下に非常に専制的な政治が行われていたのだと考えられます。それが戒厳令の実施されている蒋経国の時代も引き継がれていますが、蒋経国が自らの後継者を李登輝と定め、李登輝が中華民国の生存戦略を民主主義の優等生になることであると定めたことから、この国の民主主義はとても先鋭的に進化していくことになったと僕は考えています。
台湾の民主主義は、日本統治時代にすでにその萌芽があると言えます。日本の自由民権運動に触発され、台湾内の台湾人の不公平な待遇を正すために、台湾人の声を政治に反映させようという動きは、日本統治時代にあります。しかし、それが中華民国の戒厳令政策のために圧迫され、長い間封じられていました。その動きも、国民内部からの力としてあったため、李登輝の上からの民主化の動きと伴って、とても強いムーブメントとなり、現在の台湾の政治を動かしているのだと僕は考えています。
6. 海洋国家としての意識が強い
地政学の勉強をすると、ランドパワーとシーパワーという概念を学びます。国家戦略を考えるに当たり、政府が海洋性志向を持っているのか、陸軍重視の戦略を持っているのかの違いがあるということでしょう。
その点アメリカは海洋国家であるとみなされています。シーパワーの国家であるというわけです。海洋の制海権を重視し、それにより交易の自由を確保する。イギリスの海洋国家的特性を引き継ぎ、現在のワールドパワーの根源となっているのは、この海洋支配を思想の根源に置く軍事/政治的思想だということです。
台湾は、太平洋の西端、東シナ海に面して浮かぶ島嶼国家です。この地理的条件から、海洋的思考をその歴史的経過から持っています。17世紀に漢人が台湾に目をつけたのは、貿易拠点及び制海権の確保という考え方がもとになっています。
日本人が台湾を植民地にしたのも、台湾をステップボードとして東南アジア、中国南部を勢力範囲に置きたいというシーレーン確保の野望があったからです。
現在の台湾も、その国の立脚するところは、海外貿易とその交易ルートの確保であると考えています。地政学におけるシーパワーの思考と同じです。
アメリカと台湾を比較して似たところがあるという見解を総じていうと、この様なことになるでしょうか。
17世紀に世界史に登場してきた若い国である。
他国による植民地支配を受けながら、自らの土地の原住民ももった上で、よその国からの移民も受け入れている多民族的な国家である。
現在は、民主主義を奉じ、海洋国家として国を運営している。
台湾とアメリカは、この様に国家の成り立ちと経過にとても多くの共通点を持っています。それは、国がオープンで、外国人に対してとても開放的という、現在の台湾人のキャラクターも合理的に説明できるように思います。
言語や伝統文化の面では、中国や日本の影響をとても強く受けている台湾ですが、アメリカとの共通点を見るというこの様な捉え方もあるということで、一つの見解を紹介してみました。
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