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学生時代のヨーロッパ旅行(その二十七、トルコ)

エディルネからは、来た時と同じように長距離バスに乗ってイスタンブールに向かいました。イスタンブールは、ヨーロッパの大都市の様な高層ビルはほとんどありませんでしたが、オスマントルコ時代の歴史的建造物がとても印象的な、趣のある都市でした。

イスタンブールへ

エディルネを出た大型バスは、イスタンブールの街中からはかなり離れた、郊外のバスターミナルに到着し、そこから小型バスに乗り換えてイスタンブールの街に入りました。この時点ではイスタンブールに都市型の鉄道とか地下鉄は走っていませんでしたね。いまはどうなのでしょう。

小型バスは、イスタンブールの街の中心、駅の前まで行きました。このイスタンブール駅がオリエントエクスプレスの終着点になります。ヨーロッパ大陸の東の果てと言った趣です。

ボスポラス海峡沿いのホテル

イスタンブールには流石にツーリストインフォーメーションがあって、そこで英語を使って宿を手配しました。全く土地勘のない街なので、勧められるままに、ポスポラス海峡のエーゲ海側に沿ったホテルをとりました。

このホテルには3泊しましたが、屋上のレストランからエーゲ海にやってくるたくさんの船舶を見ることのできる、とても感じの良いホテルだったと記憶しています。表紙に使っている写真はボスポラス海峡側の様子だと思いますが、エーゲ海側では見渡す限り大小様々な、貨物船、客船、ヨットなどが海いっぱいに拡がっていました。
この時から今まで、どこの海でもこの様に船が密集している光景は見たことがありません。ボスポラス海峡の船の往来がそれだけ活発なのだと実感できる風景でした。朝ごはんを食べながら、その様な船の行き来する様子を見ていると、あっという間に時間が過ぎてゆきました。

ブルー・モスク

エディルネではミマール・シナンの初期の傑作であるセリミア・モスクを見学しましたが、イスタンブールには、同じミマール・シナンがオスマン・トルコの威信を示すために計画したブルー・モスクがあります。まず、この建物を見学に出かけました。

このブルーモスクは、イスタンブールでも最も人気のある観光スポットの様で、たくさんの観光客で賑わっていました。そして、エディルネのセリミア・モスクと比べると、とてもおおらかに空間のゆとりを持って計画されている様に感じました。
特に、遠くから見てもとても目立つ印象的な要素は6つ林立しているミナレットです。モスクだけだと、四角い平面に丸いドームがのっているので、方向性が分かりません。それが、このブルーモスクでは正面の広場側に2つのミナレットが追加されており、そちらの方向性が明らかなのが特徴的でした。

しかし、観光化されたモスクの内部空間は、セリミア・モスクで見た宗教施設として使われている厳かな雰囲気はなかったです。空間としては、とても美しくドームが輻輳した様子は、セリミア・モスクと同じでした。

6本のミナレットが美しいリズムを作っています。
この青色をターコイズブルーと言うのでしょうか?

アヤ・ソフィア

イスタンブールのもう一つの有名なモスクは、アヤ・ソフィアです。この建物は、元々イスラム教のモスクとして計画されたものではなく、キリスト教の大聖堂を、オスマン・トルコが摂取した後に改修をしてモスクに変更したというものです。
それが理由なのでしょう、セリミア・モスクとブルー・モスクが同じ建築ヴォキャブラリーを用いた、同系統の建物と感じられるのと比べ、とても角ばった重々しい雰囲気の建物でした。

壁面の一部には、トルコ時代に覆い隠されていた東ローマ帝国時代の壁画が、あらためて表面に出されていたりしました。
この様な歴史的建物の取扱いはそれぞれの国によって異なりますが、このオスマン・トルコのやりかたは、彼らの文明の多様性を尊ぶ精神を体現している様に思います。異民族によって作られたものであっても、残すべきものは残して使う。その様な思想があるので、キリスト教の聖堂がモスクに生まれ変わったのでしょう。
この考え方には、日本の植民地時代の建物を保存し、改修して使い続けている台湾と似たものを感じます。

エーゲ海から見上げるアヤ・ソフィア
この建物がキリスト教の聖堂だったというイメージが
わきません。とても巧みな改修工事です。

バザールで

エディルネでトルコのバザールに行きましたが、そこでは冷やかし半分に商品を眺めるだけでした。ですが、ここイスタンブールでは、日本に持って帰るお土産を買おうと品物を物色し始めました。

目に留まったのは絨毯です。店員さんは日本のお客さんにも慣れた様子で日本語で話しかけてきました。そして、この絨毯はアナトリアの田舎の家で手織りで作られた、世の中に二つとない特別な品物であると説明しました。
この頃はこの様な客引きに慣れていなかったことと、実家に持って帰るのに適当なものはないかと考えていたので、すすめられる絨毯を一つ買うことにしました。幅2.5m、奥行き1.2mくらいの赤い絨毯でした。値段は忘れましたが、決して安くはない買い物だった様に思います。

この時買った絨毯は、家に持って帰った後、とても長い間玄関のマットとして使われていました。日本家屋にはちょっとそぐわないなと自分では感じていましたが、両親は息子が遠くトルコから買ってきたプレゼントだと喜んでいたのかもしれません。

新市街

イスタンブールの旧市街は、この様な歴史的な建造物の林立する、とても興味深い観光都市でした。しかし、街歩きの好きな自分は、ここを歩くだけでは飽き足らず、地図に新市街とある地区にも出向いてみました。

説明によると、そのエリアはトルコ最大の経済都市イスタンブールの、金融・ビジネスセンターの様な場所なのだそうです。しかしながら、ヨーロッパの巨大な経済都市を見てきた後では、イスタンブールのこのビジネスエリアはちょっと見劣りしました。高層ビルはないし、ショッピング街としてもとても中途半端な感じでした。この時のトルコの経済的実力を反映していたのでしょう。

あとで学んだところでは、ケマル・アタチュルクによるトルコ共和国の建国というのは、西欧列強に対するアジアの抵抗の歴史として画期的なものであるということでした。しかし、その様にして民族としての独立を果たしたとは言え、国の経済力というのは都市の様子に色濃く反映している様に思います。高層建物がなく、都市景観としてモスクのミナレットがスカイラインに並び立つ様子は、とても情緒があるのと同時に、近代よりも以前の都市の様子という印象を持ちました。

現在のイスタンブールは、たくさんの高層オフィスビルの並び立つ、30年前とは全く異なった都市になっているようです。

低層の建物の街並みにモスクが建っている様子。

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