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【明清交代人物録】洪承疇(その三十三)

順治帝の命により、洪承疇はあらためて征南軍を指揮することになります。

彼は、戦場に向かうにあたり、順治帝からの全権を得られる様に万全の準備を整えます。洪承疇が前線で指揮をとっている際に、北京から足を引っ張られること、戦場に出た際に周りの官僚からの協力が得られないことを心配しての処置です。
順治帝は、この洪承疇の心配を払拭すべく、彼への全権委任状を認めました。

順治帝の信任を得て

順治5年、洪承疇が北京に戻ってから以降、中国南部においての清朝の国土統一の動きは停滞していました。これは、張獻忠の部下であった李定國、孫可望雲南、貴州に拠点を構え、らこれを攻めあぐねていたこと、福建における鄭家軍に対しても海軍を持たない清朝は手を出しかねていました。
そして、これらの反清朝勢力が、第3の南明皇帝、永暦帝の旗印の下に結集する事態になり、順治帝もこの勢力をこれ以上放置できないと覚悟を決めたということです。

しかし、あらためて征南軍を組織するにあたり、その総指揮官の人選に、洪承疇以外に適切な人材がいませんでした。そのため順治帝は、この時すでに60歳を超え、眼病に悩んでいる洪承疇を、あらためて五省総督に指名し、征南軍の全指揮権を与えると指示を出します。

全権委任状

下記が、順治帝から洪承疇に示された命令書です。順治帝が洪承疇に対し、非常に細々とした指示を出していることが分かります。
ただし、順治帝がこの時自らの意思でこの指示をしていたのかと言うと、それは必ずしもそうではないだろうと考えています。順治帝は未だ年少で、漢文を学んでいる状態であれば、この文の草稿は漢人ブレーンにより認められたものと見るのが妥当だと考えられます。ましてや、この様な詳細な指示を少年皇帝が考えているとは思えません。
この文章を書いたのは、范文臣であったかもしれません。彼が孝莊太后の意向の元に、この様な全権委任状を書いたといったところでしょう。

"茲以觀商兩廣地方底定已久,滇,黔阻運遠,聲教罕通。不𢌥之徒,未喻朕心、時煽惑蠢動,漸及潮南,以致大兵屡出,百姓未獲寧息。朕承天愛民,不忍勤兵黩武。困苦赤子,將以文德綏懷,歸我樂字。必得夙望直臣、曉暢民情、練達治理者,假以便宜,相機剿撫,方可敉寧。遍察廷臣,惟爾克當斯任。前招撫江南,奏有成效,必能肅將朕命,綏靖南方。茲特命卿經路略湖廣、廣東、廣西、雲南、貴州等處地方,總督軍務,兼理糧餉,聽擇扼要處所駐紮。應巡歷者,隨便巡歷。總督應關會者,必咨爾而後行。爾所欲行,若系緊密機務,許爾便宜行事。巡撫、提督、總兵以下,聽爾節制。兵馬、糧餉,聽爾調發。文官五品下,武官副將以下,有違命者,聽以軍法從事。一應剿撫事宜,不從中制,事後具疏報聞。滿兵留撤,俟到日酌妥,即行具奏。事關藩王及公者,平行咨會,相見各依賓客禮。文武各官,在京在外,應於軍前及地方需用者,隨時擇取任用。所屬各省官員,升轉補調,悉從所奏。撫、鎮、道、府等官,有地方不宜,才品不稱。應另行推用者,一面調補,一面奏聞,吏、兵二部,不得拘例掣肘。應用錢糧,即與解給,戶那不得稽遲。如緊急軍需,按解未到,即與就近藩司,權關行文取用,具疏奏聞。其歸順官員,內外酌量題錄。投降兵民,隨宜安插。事會可乘,即督兵進取。時宜防守,則慎固封疆。各處土司,已順者加意綏輯,未附者布信招懷。四川、江西、河南、陝西地方,鄰近湖廣,應有兵事相關者,移文總督,巡撫,犄角策應。卿受茲委任,務開誠布公,集思廣益。收拾智勇,毋為逆黨所誘。綏輯窮黎,毋為貪官所苦。進戰則得地以守,固守則出奇以戰。練士卒在平時,選賢良置要地。務使滇、黔望風來歸,官民懷德恐後,庶稱朕誕敷文教至意。功成之日,優加爵賞。地方既定,詳籌善後,即命還朝,慰朕眷懷。爾其欽哉!”

《清世祖実録》より

「すでに広東、広西を平定して久しいが、雲南、貴州の地には我が清朝の威令は届いていない。不逞の輩は未だ朕の心を知らず騒ぎを起こし、湖南にまで兵を送り、民の生活をおびやかしている。朕は民を愛する心から、兵を起こすことを躊躇ってきた。しかし、彼ら民草が朕の徳を慕い、我が清朝の元に降るようにしたい。民情に明るく、民を治める手腕に長けている人物に、この任務を授け、時に応じて反乱軍を討伐し或いは招撫し、我が軍の元に降したい。廷臣各人物を見た中で、この任に相応しいのはただ一人、汝だけである。以前、江南の招撫に赴き成功を納めている。きっと今回も朕の期待に応え、南方各地を平定してくれるであろう。
よって、汝洪承疇に対し、湖廣、廣東、廣西、雲南、貴州の各地を経略する任務を与える。軍務、兵站を任せ、各地の重要な駐屯地を使うことを許可する。各土地を自由に視察する権利を与え、各地の総督を汝の命に従わせる。汝の欲する行動は、各部門に協力させ、これを実行させる。巡撫、提督、総兵は汝の命に服させる。兵の配置、糧食の手配は、汝が直接指示をして構わない。文官五品以下、武官の副将以下で汝の命に服さぬものは、軍法によって処罰してよい。敵の征伐と招撫に関することは、朝廷に許可を求める必要はない。現場の判断で処置し、事後報告をすることでよしとする。ただし、藩王或いは満州貴族に関しては、処置をすると共に朝廷に確認をし、その相手に応じて対応すること。京府の内外を問わず、文武の各官僚、そして前線及び各地方での人材は、汝の判断で採用を決めて構わない。各省の官員の昇進、異動、補欠採用も自由に行って良いが、事後報告をすること。撫、鎮、道、府における官職で、その地方に相応しくなく、或いは品格にかけるものを、他の人材に変える場合、その人事を実行すると共に朝廷に報告すること。吏部及び兵部においては報告の必要はない。糧食が足りなく補給する場合、各部門には速やかにこれに対応させる。戸部はこれを遅延させてはならない。緊急の必要がある場合、中央からの指示がなくとも、近隣の官員がこれを準備し、追ってこれを朝廷に報告する。降伏してきた官僚は、適切に判断しこれを採用して構わない。降伏してきた兵員は、適宜これを各部隊に配属してよい。機会があると見れば兵を進め、守るべき時は城門を閉じ堅固に守る。各少数民族に関しては、我が軍に付き従がうものはこれを優遇し、服さざるものは信書を送りこれを説得する。四川、江西、河南、陝西地方は湖廣に隣接しており、戦闘が起こった際には、總督,巡撫に書を送り、互いに協力させる。汝はこの命を受けた暁には、公に自らのこの任務に対する抱負を明らかにし、広く外部に意見を求めること。多くの知恵を集めれば、反乱軍のつけいる隙はないであろう。貧しいものには便宜を図り、悪徳役人から守ることこと。軍を進める際には、まず堅固な陣地を確保しこれを守る。そして、敵の隙をついて攻める。平時には、条件の良い土地を選んで、軍隊を訓練する。そして、雲南と貴州の人民が、我が軍の威風に感化され投降してくる様仕向けること。官と民が降れば、共にこれを受け入れ、その後朕が布告文を送り、彼らの恭順を寿ぐ。この任務が成功した暁には、爵位と褒賞を授ける。これらの反乱が治れば、その前後措置を明らかにした上で、北京に戻ることを許す。朕もその捷報を待っている。」

この順治帝からの指示は、微に入り細を穿って、とても具体的な委任の内容を書いています。征南軍の人事権を一切委任する、中央へは事後報告で良いと言うのは、組織の権限の最も重要な部分を洪承疇に委ねていることになり、特筆すべきことだと考えています。
その他、少数民族への特別な対応であるとか、賞罰の権限を委任するが、その範囲は満州貴族を含まないなど、とても具体的で興味深い指示が事細かに書いてあります。

この様な命令書に対し、洪承疇は次の様な返事を書いています。

“臣年逾六十,理宜退休,乃蒙皇上特畀經略之任。伏讀聖諭,信臣任臣,懇至周詳。臣當盡心竭力,以期剿撫中機,無負皇上承天愛民本念。伏願皇上勿忘今日信臣初心,時諭吏、戶、兵三部,仰承天語,遵依條款,毫無改易,俾臣得以竭蹶展布,庶可仰報隆恩於萬一也。”

《清世祖実録》より

「臣、すでに齢60を超えており、職を辞すべき年齢です。しかし、その様な私に、陛下自らこの様な経略の任をお授け下さいました。この様に臣のことを信頼していただき、様々なご配慮を賜りました。臣、謹んでこの任をお引受けいたします。敵に対する際、従わないものはこれを討伐し、招撫に応ずるものはこれを従えます。陛下の天意を奉じ、民を愛するお考えに沿う様、努力いたします。陛下におかれましては、この様に臣のことを信頼いただいた初心を忘れることなく、吏部、戸部、兵部の三部門にその意をお示しいただき、彼らがこれに従うべくご指導いただきます様、伏してお願い申し上げます。そういたしますれば、臣、その図るところを実行し、陛下の恩に報いることができるでしょう。」

洪承疇からのこの様な要望に沿って、順治帝からは次の様な回答が示されています。

“卿練達民情,曉暢兵事,特假便宜,往靖南服,一應調度事機,悉以委託,距京雖遠,春注彌段,務殫忠猷,副茲信任,凡有奏請,朕靡不曲體。內外請臣,須同心共濟,著照傳諭遵行。”

《清世祖実録》より

「汝は、民情を熟知し兵事にも長けている。そのため、今回特別に様々な便宜を図り、南方を伏させるために派遣する。兵の手配、戦機の把握に関してはこれを汝に一任する。戦場は北京からは遠い。汝の忠誠に関してはこれを少しも疑わず、信頼している。送られる奏請書はこれを違わず承認する。京府と南方の戦場に離れるが、汝は朕に協力してことに当たって欲しい。朕の命に沿って動く様に。」

これは、ある種公文書でのやり取りでしかないとも言えます。しかし、その後の事態の推移を見てみると、この順治帝の洪承疇への信任は、単なる建前ではなく、最後までこの部下を信頼するという、心からの言葉だったのだということが分かります。

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