建築を進路に選んだわけ
建築の仕事を選ぶというのは、僕の場合、高校在学中にこの方向性を定めていました。その経過を書いてみます。
ダイアブロックで遊ぶ子供
僕はいつの頃からか、"ダイアブロック"というプラスチックの積木のオモチャにハマってました。どういうキッカケでどうだったかはすっかり忘れましたが、気がついた時にはものすごくたくさんのブロックがあったので、親が子供に買い与え、それで息子が一心に遊んでいるのを見て、だんだんとブロックを増やしていったのだと思います。
初めは手順図通りにブロックを組み立てていたのですが、だんだんとオリジナルの形を作る様になっていきました。僕の子供の頃は、"ゲッターロボ"とか"宇宙戦艦ヤマト"などのアニメーションが盛んだった時代で、これをヒントに、合体する飛行機とか、全長1mにも及ぶ戦艦などを作っていました。
ダイアブロック
プラモデルにハマる
中学生になると、今度は専らプラスチックモデルばかり作っていました。ミリタリーフィギュアが多かったですね。戦車、飛行機、戦艦等。ガンプラのはやる前の時代だったので、これらの模型に小遣いの全ては消えていました。
この様に、昔から形を作る、そして3次元的にモノを考えるということが好きだったのだと思います。
中学生でパースを書く
中学生のある日、図書館で透視図を書く入門書を見つけて借りてきました。それは、一消点透視図から二消点透視図まで、建物や立体物、街並みなどをどの様に描くのかという基本を教える本でした。僕は、自分に絵心がないことは分かっていましたが、この立体を作図の手法で描くというのは可能だと思い、自分で勉強を始めました。
この作業は、とても僕に向いていた様です。透視図の作図の方法から、消失点の設定の仕方、ガイドとなる45度の消失点の位置をどう計算で求めるかなど、この参考書に書かれていないことまで、自分で研究を始めていました。
覚えているのは、プラスチックモデルで作った西ドイツのゲパルト対空砲戦車を、模型の三面図をもとにパースに起こしたことです。これがなかなか格好良く描けた。線画なので、白黒で作図しているだけですが、それでも立体感が表現されて、それらしく見える。自分で勝手にこんな透視図を書いて、悦に浸っている。そんな中学生でした。
建築学科と工業デザイン学科を受験
中学生の時に、既にこのパースペクティブの画法を自力でマスターしていたので、高校生になって進路をどうするかと考えた時に、この様な立体的な造形や空間把握に長けている自分にはどんな仕事が相応しいのか、ある程度方向性が見えていました。それは自分で考えたことと、進路指導の先生の意見もあったでしょう。僕の両親は子供には好きなことをさせるという教育方針でしたので、進路についての意見はありませんでした。
そして、選んだ進路が建築学科と工業意匠学科でした。工業意匠という学科は、1980年代の後半、それほど多くの大学で準備されていたわけではなく、僕は千葉大学で受験したのみでした。この試験には僕の苦手な素描科目があり、恐らくこの出来が良くなかったのでしょう、試験は落ちてしまいました。
建築学科はいくつかの大学で合格し、最終的に芝浦工業大学に入学することにしました。
得意なことを進路に選んだ
僕の場合、子供の頃から好きだった模型作り、立体的にデザインすることをそのまま活かせる仕事として建築を選びました。大学の専攻も意匠デザイン、卒業してからも建築設計事務所での業務を30年に渡って続けてきました。
セルフプロデュースの能力には欠けているので、自分で設計事務所を開くことはしませんでしたが、自分の設計した建物が、日本、台湾、中国の各地に存在するという、とても恵まれた仕事をしてきました。そんな仕事の内容は、下記の記事にまとめています。
この記事の表紙に使っている"深圳市体育中心"という建物は、コンペ時に僕がアイデアを出したものが、そのまま採用されて中国深圳で実現したものです。こんな400mに渡る建物の全体像を初めて模型で形にしたのは自分です。それは、長さわずか10cmのエキスパンドメタルで作った屋根の形でした。
建築計画というのはチームで設計を進めていくものなので、自分の作った形がそのまま形になるということはなかなかありません。そんな中、僕の考えた平面図や形態の提案は少なからず採用されて、実際の建物として実現しています。社内コンペをやったり、担当に指名されて設計を進めていくと、合理的で無理のない解決案なのでしばしば採用されました。気を衒わず、素直に形を作っていく。それを説明すると、受け入れてもらえるということだった様に思います。
こんな風に、子供の時に好きだったことが、直接仕事につながっているというのは、とても幸せなことだと思います。
しかし、建築という仕事の裾野はとても広い。形を作るだけではなく、材料、構造、環境、生産システム、法規などなど、さまざまな勉強を積み重ねないといけません。今、僕は台湾にいて日台間の建築文化に関わる軋轢を解消するという仕事に取り組んでいます。こうなると、もう直接図面を描くとか形を作る仕事ではなくなっていますね。そんな状況ですが、今はこの課題にやりがいを持って臨んでいます。