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《萬曆十五年》與國家治理的難題

2024年8月に、聯經出版社の主催した【歷史細節看大局:《萬曆十五年》與國家治理的難題】という座談会に参加してきました。登壇したのは中華民国行政院長の職にあった毛治國氏と、ジャーナリストとして著名な陳鳳馨氏です。司会は、聯經出版社の涂豐恩氏が務めていました。

《萬曆十五年》

黃仁宇氏の著した《萬曆十五年》という本は、この歴史家の代表的な著作として有名です。日本語でも翻訳書が出ていたと思います。
僕は台湾留学時代にこの本を買って読んでおり、その後この黃仁宇氏の本を10冊ほど読んでいます。「中国マクロヒストリー」「資本主義與廿一世紀世紀」などの通史的な本が特に有名ですね。

聯經出版社があらためてこの本を出版するにあたっての座談会といういうことで、いったいどんな話をするのだろうととても興味をそそられ、参加してきました。

座談会の全容は紹介できませんが、話題になったいくつかのトピックについて紹介してみます。

数字での管理

黃仁宇氏の基本となる主張は、封建時代の中国は、国家を数字で管理することができなかった。これに対して、ヨーロッパ各国はルネサンス以降、商業主義の時代に移り、政治がお金の管理をできる様になった。このことが、ヨーロッパが資本主義的な先進国になり、中国がその後塵を拝することになった要因であるということです。

この主張は、黃仁宇氏の著作に繰り返し現れます。例えば、「資本主義與廿一世紀世紀」では、資本主義の歴史を、ヴェネツィア、オランダ、イギリス、アメリカと述べてきて、その要諦を商業ソフトウェアの発展史と捉えています。また、明朝時代の税務を研究した書籍などもあります。

そうした黃仁宇の見解に対し、陳鳳馨氏が真っ向から疑問を呈したのです。
「数字を以って国家を管理するなんてことは、今の時代、コンピューターの技術を以てさえ難しいことです。そんなことが封建時代の中国で可能だったのでしょうか?無理に決まってます。中国の歴史をこの様な視点で評価するのは妥当ではありません。」

そうして、この議論は黃仁宇氏の歴史的体験による、ヨーロッパに対するコンプレックス。何故、中国はヨーロッパに劣ることになったのか、その理由を歴史に求めた一つの回答でしかないだろう、という見解でした。
黃仁宇氏は。中国国民党に従って中国の南部戦線に従軍しています。そこで、近代的なイギリスやアメリカの軍隊と、前近代的な中国の軍隊の違いを実感し、その理由をこの様な歴史観に求めている。そういう見方でしょう。

黃仁宇氏は、とても著名な中国史の大家です。そのような人物の歴史観に対して、この様な相対的かつ批判的な見解を示しているというのが、とても面白かったです。

戚繼光の評価

陳鳳馨氏は「萬曆十五年」に描かれている人物のうち、戚繼光をとても高く評価していました。この人物は、戚家軍を率いて倭寇討伐に活躍した将軍です。封建時代に、限られたソースを用いて有効に軍隊を組織し運用しています。

しかし、これは軍事という限られた領域であったから運用が可能であったのだろうと評価していました。国家運営の立場では、張居正萬曆帝の時代に相当に努力して、それなりの成功を収めたが、それは彼の死後すぐに覆ってしまった。中国という巨大な国土をコントロールするのは、封建時代では困難であったろうという意見でした。

僕は、明朝末期の歴史を興味を持って勉強しているので、この戚繼光についての勉強を改めてしてみたいと思いました。
この時代を勉強することは、倭寇の歴史を学ぶことにつながるので、日本史とも大いに関係があります。

また、このことに関して、毛治國氏から国の運営というのは今でさえ、限られた情報しか得られない中で政治的判断をしていくという状況は変わりませんと発言がありました。

日本の失敗

もう一つ面白かったのは、参加者から次の様な質問が出された際の、毛治國氏の発言です。

「日本は、かつて技術において世界をリードする国でした。それが今は、技術的には世界に遅れた国になってしまっています。それは何故でしょうか?」

この質問に対して、毛治國氏は日頃から考えることがあったのでしょう、次の様な言葉を以って説明しました。

「無框做框、有框破框」

意訳すると次の様なことだと思います。
「仕事の枠組みがなければそれを作らなければいけない。しかし、それができたらその枠組みに縛られるのではなく、それを常に壊していかなくてはならない。」そして、日本の組織は、自ら作った枠組みに縛られてしまい、新しいことにチャレンジする意欲がなくなってしまっている。それが、日本経済が低迷している理由でしょう。とこの様に説明しました。

僕は日本の会社組織の頑迷さ、フットワークのなさを痛感しているので、この発言にとても納得したところがあります。そして、台湾の指導者は、今日本のことをこの様に見ているのだと、目から鱗の落ちる思いでした。

しかし、僕はこの様な意識の問題は、「人間万事塞翁が馬」。指導者が、この様な自己満足の意識になり、外部から学ぶという姿勢を失った途端に、世界の潮流から遅れていくと考えているので、この毛治國氏の発言に、かえって危険なものも感じました。

台湾が今世界から注目される半導体王国となっているのは、今この時の徒花かもしれない。20年後30年後には、今の日本がそう思われている様に、過去に栄華を誇れる時代があった。油断していると、そういうことになりかねません。

この聯經出版社の座談会に参加したのは、これが二度目でした。前回は書店の地下空間を使った小規模なものでしたが、今回は台湾大学の学外ホールを使ったとても立派な会場でした。

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