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ヴィジュアル・シンカーと建築設計の仕事

"ゆる言語学ラジオ"のPodcastは、とても面白く示唆に富んでいて良く聞いているのですが、この"ビジュアル・シンカー"に関する回の放送は聞き逃していました。2023年の放送で、かなりバズっていた様です。
この放送では、ビジュアル・シンカーとノン・ビジュアル・シンカーの二項対立で議論を進めていました。しかし、この放送を聞いて僕が思ったのは、建築設計の仕事というのは、これを両方持ち合わせていないといけないということでした。

ゆる言語学ラジオの3回の放送

ゆる言語学ラジオは、水野太貴さんと堀元見さんの2人のパーソナリティーが、言語の様々な課題や関心について、縦横無尽に語るPodcastの番組です。YouTube版もありますが、基本は語りを主体とする内容です。

ゆる言語学ラジオとは
ゆるく楽しく言語の話をするラジオです。「springはなぜ春もバネも意味するの?」「『象は鼻が長い』の主語は象?鼻?」などの身近なトピックから、コトバの奥深さを感じましょう!「言語学の二歩くらい手前の知識が身につくラジオ」を目指しています。YouTubeとPodcastで配信中!

"ゆる言語学ラジオ公式ホームページ"より

この回では、水野さんがとてもハマったという「ビジュアル・シンカーの脳:「絵」で考える人たち」という本について、3回に分けて話しをしていました。
基本的に、このパーソナリティーが2人ともビジュアル・シンカーではないという気づきから、自分と異なる思考を持つの人のことも尊重しなくてはいけないと、その様な趣旨の議論を展開しています。

面白いと思ったのは、彼らは自分たちが言語マッチョで、「言語ですべての事象が説明できると考えている」と言っていたことです。僕は、言語に対してその様な不遜な考えを持っていなかったので、そんな風に考える人がいるのだというのが驚きでした。

そして、身の回りにも言語を操ることで会議に臨むスタイルの人間が確かにいると、思い当たる節もありました。会議の相手が、その様な言語マッチョかもしれないと考えると、対応の仕方も変わります。

第1回:絵で物事を考える「視覚思考者」にはどんな世界が見えるのか?

第2回:言語化に興奮するタイプの人間は、文章で惚れちゃう

第3回:心は存在しない

建築設計の仕事

僕は、仕事が建築設計であるからか、常に物事をビジュアルに理解しようという傾向があり、仕事上でも「見える化」をキーワードに、様々なものをビジュアライズしています。
noteでは、音楽のハーモニーをビジュアルに分析するなどということもやっています。

建築設計の仕事でいうと、例えば外観や内観のパース。二次元の図面を三次元的に表現にしないと、普通の人にはどの様な建物になるか把握できないので、透視図法を使って建物情報を立体化して表現します。
そもそも、パースを描かなくても、平面図、立面図、断面図を描いている時点で、ビジュアル化していると言えます。

建物外観のパース

建築工事に入ると、工程スケジュールの計画と管理も大きな業務ですが、これも見える化、ビジュアライズして表現します。

建築工事の工程表

これらの図像化された表現に限らず、建築士の仕事は、物理的な物と物との関係を表すために、納まりを表現するスケッチをよく描きます。言葉でいくら説明しても具体的なイメージが湧かないと思われる時には、その部分のスケッチを直接手で描いてコミュニケーションを図るということが、日常茶飯事です。

打ち合わせに使うスケッチのレイ

これを、言葉だけで仕事をしろというのは、事実上不可能です。逆に僕の様に外国で建築の仕事をする場合には、言葉が通じなくても、図面によるコミュニケーションで大概の問題をお互いに理解共有できるといった具合です。図によるイメージの方がコミュニケーションの手段としては優れている。そして、それに言葉が補足説明をしている。その様な図面と言葉の関係でないかと思うくらいです。

例えば、言葉でのみ理解する様な人間に、打ち合わせの場でそれを図に描いてみろと逆質問してみることがたまにあります。建築設計の仕事をする際には、多かれ少なかれその内容を物理的に具体的な物としてイメージして発言します。その頭の中のイメージを共有しようと、相手に図にしてみてくれと言うと、その様なトレーニングをしていない人間は、ビジュアライズすることができないことがほとんどです。

これは、日台言語間の通訳業務の場合も同じです。建築の仕事についている通訳者は、建築技術の背景を持っていない人がほとんどです。彼らは全く言葉に頼って通訳をすることしかできません。これが、建築技術者が通訳をする場合には、先方の言っている内容を言葉として理解するだけではなく、具体的なイメージを持って理解します。そして、その視覚的な内容を改めて相手方の言葉にして伝える。その様な通訳をするので、会議の通訳者の話す内容を訂正することもしばしばです。彼らは、ビジュアライズされたイメージを持たずに訳すので、内容によっては全く理解できていないことがあります。

この様に、建築という仕事の性格上、様々なものをビジュアル化して表現するのですが、一方でこの仕事では言語化して表現する能力も求められます。
例えば、デザインの考え方、コンセプトをクライアントに説明すること。これは、建物のビジュアルイメージを示すことと同様に、とても大切なことです。この設計案は何を大事にして計画しているのか、その課題をどの様な具体的な形や機能にに落とし込んでいるのか。それらのことを、きちんと分かりやすい言葉にしてクライアントに伝えなくてはいけません。

設計プロポーザルやコンペの業務に携わると、このコンセプトを示すということは、デザインそのものと同じ様に重要なものです。どちらかというと、まず言葉ありきですね。この言葉でプロジェクトの方向性、戦略を定める。デザインというのはこの戦略に沿って考えられた戦術でしかありません。
このコンセプトというのは、中国や台湾のコンペではあまり重視されていませんが、日本のプロジェクトにおいては、評価の大きなポイントになります。

最初に述べた、建築設計の仕事には、ビジュアル・シンカーとノン・ビジュアル・シンカーの両者の能力が必要だというのは、その様な意味合いです。どちらが欠けても優れた建築の提案にはなりません。

Non Verbal Comunication

この様な、建築の設計と施工に関わるビジュアライズとは別に、僕は"Non Verbal Comunication"、"非言語コミュニケーション"についても関心があります。人間が行うコミュニケーションは、言語に頼る部分は一部でしかなく、言語以外で行うコミュニケーションがとても大きな比率を占めている。その様に考えています。

「非言語コミュニケーション」の本で例を挙げられていたのは、ある家族に寡黙で素直でない言動をするお婆さんがいたという例です。
家族の皆が、このお婆さんに話しかけても、お婆さんは、私には構わないでくれ、放っておいてくれと剣もほろろに断ってくるので、家族はお婆さんをその言葉通りに1人にしておいたそうです。
しかし、このお婆さんのボディー・ランゲージを観察すると、彼女は私も仲間に加えてくれ、一緒にいたいんだとそう読み取れる。この様に、言語と非言語のメッセージが相反することがままあるというのです。そして、おばあさんの本心は、どちらかと言うと非言語サインの方にに表れると、その様な説明をしていました。言葉は嘘をつくが、身体の動きや仕草は嘘をつけない。
その様に説いて、非言語によるものもコミュニケーションとしては重要な役割を担っているのだという趣旨の本でした。

これは、人間に限らず、動物を含めてもそうなのだと思います。動物は言語を操りません。しかし、動物がコミュニケーションをしていないかと言えば、そんなことはありません。動物は、音声、視覚、触覚などを駆使してコミュニケーションを図っています。言葉がなくとも、豊かな交流を図っている。人間も霊長類という動物の一種でしかないと考えると、言葉によらないコミュニケーション手段をたくさん持っていて、それを使いこなしているはずです。

というわけで、僕にとってはそもそもビジュアル・コミュニケーションや非言語コミュニケーションというのは自明のことだったので、どちらかと言うと、言語至上主義の人達がいて、彼らは言語だけでコミュニケーション手段は充分と考えている、そのことの方が驚きでした。
そして、世の中にはそう言った傾向の人が少なからずいるのだということが、新しい気づきでした。

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