【台湾の地質環境】大漢溪
台北市に流れ込む特徴ある河として、今回は大漢溪を取り上げます。この河も日本で考えるところの普通の河の流れ、山岳部から海へというルートから少しズレた流れをとっています。
大漢渓の河に沿った古い街
この河に興味を持ったのは、淡水河を上流に登ると現れるいくつかの街を歩いたことがきっかけです。それは新荘、三峡、大渓、三坑と言った新北市と桃園県に点在する観光地です。
これらの街は、日本人の行く観光地としてはそれ程知名度はありませんが、台北に住んでいると、一日の日帰りで行くことのできる手軽な観光地としてそこそこに有名です。そして、これらの街は、いずれも清朝時代に発展の契機を持つ歴史のある場所で、老街と呼ばれる古い街並みを有しています。
そしてもう一つの特徴は、これらはいずれも大漢渓のほとりに発展した街であることです。淡水河を大稻埕からさらに上流に登ると大漢渓と新店溪に分かれます。このうち大漢渓を遡っていくと、新荘、三峡、大渓、三坑の街を巡ることができます。
これらの街はかつて大漢溪が舟運の要路として貨物の運送に使われていたことから、交通の要衝として発展してきました。そのような台湾の内陸部と台北を結ぶ主要な交通動線になっていたわけですね。そして、そのために大稻埕が貨物の集積地として台北で発展を始めたわけです。
桃園大圳と石門大圳
そして、この大漢溪を調べると、桃園台地に水を引き込む桃園大圳と石門大圳という農業用水路があることを知りました。桃園大圳は嘉南大圳に先立って建設された農業用水路です。というのは、この大漢溪の河の流れは、桃園台地に遮られて、台北の方に流れているのです。そのため桃園台地にはたくさんの溜池が設けられ、それが今では文化遺産として見直されているなどということも知りました。
問題はこの大漢溪の流れです。石門ダムを出た場所で急激に北東方向に流れを変えています。そして林口台地まで北に流れ、そのまま台北に向かいます。この河も海への最短距離をとらず、迂回して台北に流れ込んでいます。不思議だと思い、この河の歴史も調べてみました。すると、基隆河と同じように、大漢溪もその流れを時代によって大きく変えていたことが分かりました。
大漢溪の歴史
大漢溪は元々海の方向に直接流れていました。それが河の流れの侵食を受けることで、段々と東に向きを変え北上を続けていきます。最終的には大漢溪の流れは林口台地にぶつかり、その東側を流れることになり、台北に向かうことになりました。
この様なことは桃園大地の土壌のありかたを分析することで判明してきたそうです。台北盆地では、巨大な水甕に溜まった泥の様に、相当に深いところまで泥で埋め尽くされているのですが、桃園大地では表層土にこの古大漢溪の痕跡が見られ、地表面まで礫が現れる土地となっています。
ですので、大渓の街から大漢渓の河岸段丘を見ることができます。この高低差は20mほどもあるのでしょうか、大渓の街から見下ろす大漢渓の風景はなかなかに雄大です。この様な大規模な河岸段丘ができた過程と、河の流れが東にずれていった経過は密接に関係しているわけです。河底が削られていくことによって、桃園台地よりも低くなってしまったということなのですね。
この様な侵食を受けたを結果、現在の大漢溪の流れができたわけです。それに合わせて、台北盆地の陥没ということも影響しています。
台北には不自然な川が2本も流れ込んでいる
前回説明した基隆河は、元々東の基隆方向に流れていた河が、2本とも180度向きを変えて台北の方に流れる様になりました。
今回説明した大漢溪は新竹の方向に流れていた河が段々と東に流れる様に方向を変え、現在は石門ダムを出た場所から90度東に方向を変え、やはり台北に流れる様になっています。
台北に流れ込んでいる河は、新店溪を別にすると、基隆河も大漢溪もこの様な歴史的な経過を経て、この土地に流れ込む様になったわけです。とても珍しい状況下にある土地だということが分かります。
次はこの台北盆地の成立について考察してみます。
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