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「海殤」

台湾で、"牡丹社事件"のことをノンフィクションとして作成している映画があるというのは、5年ほど前から知っていました。台湾の友人が、この映画の日本語資料の翻訳に関わっていたからです。
その映画「海殤」が、この度"沖縄環太平洋国際映画祭"で上演されました。

この友人は、この沖縄での放映に参加して、通訳者として同行していました。そして、とても興味深い内容だったと紹介してくれました。
ですので、僕はまだこの映画を観てはいませんが、ここでこの映画のことを紹介してみます。

Wikipediaによる台湾出兵の記事

「海殤」

""の文字は、若くして死ぬこと、或いは非業の死を意味するそうです。ですので、この場合は海における事故で亡くなった人々という意味なのでしょう。

牡丹社事件重現大銀幕
1871年深秋的一個暴風雨夜晚,一艘從琉球宮古島啟航的船隻在茫茫大海中失去了方向。69名船員與乘客在與狂風巨浪搏鬥後,有3人溺死,最終66人漂流到台灣恆春半島東岸的八瑤灣(今日的滿州鄉港子、九棚一帶)。原本應該是獲救的喜悅,卻因文化差異與溝通障礙,演變成一場悲劇。
在與當地排灣族高士佛社的接觸過程中,由於語言不通和文化習俗的巨大差異,最終釀成54名琉球船員遇害的慘劇,僅有12人倖存。這個原本單純的海難事件,卻在複雜的國際政治背景下,演變成改變東亞格局的重要轉捩點。
日本政府以保護琉球國民為由,在1874年派遣軍隊進攻台灣南部原住民部落,這也成為日本首次對外用兵,並藉此向國際社會展示其軍事實力。這次行動在日本史料中被稱為「台灣征蕃事件」或「征台之役」,也是我們在歷史課本中讀到的「牡丹社事件」。

映画のホームページより

牡丹社事件を大スクリーンに

1871年、暴風雨にさらされたある秋の夜、宮古島から出発した進貢船が大海原で遭難しました。69名の乗員は、波に弄ばれて3人が死亡、残った66人が台湾恆春半島東海岸の八瑤灣に流れ着きました。本来であれば、彼らはここで命拾いをしたと喜ぶところでしたが、文化とコミュニケーションの違いのために、これが悲劇となってしまいます。

現地パイワン族高士佛社と接触する過程で、言語が通じないことと、あまりに大きな文化習俗の違いのために、最終的に54名の乗員が殺され、わずか12名のみが命をながらえることができました。この、本来であれば単純な海難事件が、複雑な外交状況の下、東アジアの国際関係を変えていくターニングポイントになります。

日本政府は、琉球国民を保護するという旗印のもと、1874年に台湾南部の原住民部落に軍隊を派遣します。これは、日本の明治政府が外国に対して武力行使を行った嚆矢となり、国際社会に対しその軍事力を初めて示した事件です。この行動のことを、日本の歴史資料では「台灣征蕃事件」或いは「征台之役」と呼び,台湾の歴史教科書では「牡丹社事件」と呼んでいます。

歷史紀錄片的力量:從遺忘到對話
「牡丹社事件」看似一場因船難而起的悲劇,實則揭示了殖民擴張與文化誤解交織下的複雜歷史。沖繩船員因船難滯留台灣南部,卻因語言與文化的隔閡,遭原住民殺害,隨後引發日本出兵台灣的行動。這不僅是日本近代化軍事行動的開端,也奠定了琉球王國命運的轉折點。透過《海殤》,觀眾得以重新審視這段歷史,並反思國族、殖民與文化的糾葛。
導演胡皓翔的創作態度值得肯定。他並未僅止於重現事件,而是深入探討不同族群在歷史中的角色與立場。片中結合紀錄片與戲劇重演,訪談台灣原住民排灣族後裔、琉球學者,以及台灣、日本等多國專家,展現了多元視角的交鋒。這種跨越國界的視野,賦予影片更深的歷史厚度,也讓觀眾得以從不同文化的視角,理解「牡丹社事件」的複雜性。

映画のホームページより

歴史ノンフィクション映画の力:忘却から対話へ

「牡丹社事件」は遭難事故から派生した単純な悲劇の様に見えますが、実のところ植民地化を進める帝国主義と文化的なギャップの錯綜した、複雑な歴史事件です。宮古島の船員は遭難のために台湾南部に留められ、言葉が通じず文化的習慣も異なっていたために原住民に殺されてしまいました。そして,この事件が明治政府の台湾への行動を引き起こしてしまいます。このことは、日本の近代化された軍事行動が発動される発端となっただけでなく、琉球王国の運命をも変えることになります。この映画《海殤》を見ることで、この歴史的事件を知り、国家と民族、帝国主義と文化の相剋を考えるきっかけになるでしょう。

監督胡皓翔氏は、この事件をスクリーンに再現するだけでなく、異なった民族の歴史における役割と立場を丁寧に描いています。その態度は賞賛されるべきでしょう。映画の中では、記録された映像と、新たに制作された映像を組み合わせています。そして、台湾原住民パイワン族の末裔、沖縄の歴史学者、台湾と日本の専門家達を訪問して、多面的な視点からこのドラマを構築しています。この様な国際的な視点が、この映画を歴史的に深みのあるものにしており、観客を異なった文化的側面からこの「牡丹社事件」の複雑さを理解できる様にしています。

日本語ホームページより

1871年に起こった「牡丹社事件」を台湾の映画監督ション・フー(胡皓翔)が7年の月日をかけて制作したドキュメンタリー。宮古島から首里に年貢を納めた船が帰路で嵐に遭遇し、船に乗っていた69人の琉球人は、あえなく台湾南部へ漂流。そこは原住民であるパイワン族が住む地域で、たどり着いた琉球人の一部が殺害されるという悲劇が起こる。後に牡丹社事件として知られるこの出来事は、日本による台湾侵攻(1874年の台湾出兵)の口実となる。その後の琉球併合にも影響を与え、ひいては東アジアの地政学的状況を大きく変えるきっかけとなった事件をアーカイブ資料、インタビュー、再現映像で紐解いていく。

映画祭ホームページより

感想

この牡丹社事件のことは、日本政府の立場と清朝政府の立場から語られることが多いと思います。聞くところによると、この映画ではパイワン族、宮古島の人々を殺すことになった、原住民の立場からの描写が多いとのこと。これは、テレビドラマ"蘇卡羅"でも採用された視点です。
友人によると、このドラマはノンフィクションであることを目指しているため、蘇卡羅とは違って史実により近い形で映画のストーリーとなっているそうです。とても興味のある内容ですね。

なお、この"牡丹社事件"については、平野久美子氏の「マブイの行方」というノンフィクション作品があります。この本も、宮古島と台湾のパイワン族のことを直接取材して記録しているもので、今回の「海殤」とはよく似たスタンスで書かれています。

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