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【台湾の面白い建物】菁寮聖十字架天主堂

ドイツの建築家ゴットフリート・ベームの設計したという、菁寮聖十字架天主堂を見学してきました。1955年に設計され、1960年までかけて建設されたという、この建築家の初期のカトリックの礼拝堂です。ボランティアの解説員が詳しく説明してくれました。

僕の生まれるより昔の時代に、ドイツの建築家の設計した内容を、設計した本人が台湾の地に来られないという状況で設計と建設がされています。台湾の建築師が台湾の気候風土に合わせて具体化していったという物語と、その結果としての作品は、とても興味深かったです。

ゴットフリート・ベーム

実を言うと、僕はこのドイツ建築家のことをよく知りません。1920年生まれというと、日本で言うと丹下健三の1913年よりは若く、槇文彦の1928年よりは上という世代です。
今回聞いたボランティアの説明では、彼の一族は皆建築を家業としていて、父親も著名な建築家なのだそうです。そして自らもカトリックの敬虔な信者であり、ドイツの神父が台湾に赴いてカトリックの布教に努めると聞き、無償でこの聖堂の設計を行ったそうです。そして、この作品が彼にとっての処女作であるとのこと。
しかし、残念なことにベームは台湾の地に赴くことができずにこの設計作業を行なっています。

スケッチと模型

下のアクソノメトリック図が建築家によって示されたイメージなのだそうです。大きな配置と塔のイメージはこの通りですね。
変わっているのは、このイメージでは構造が全て細い柱になっているのが、実現されたプロジェクトでは、耐震要素としてコンクリートの耐震壁が設けられていることです。それは台湾の建築師が地震国である台湾の条件に合わせて変更を提案し受け入れられたものだということです。

ゴットフリート・ベームによるスケッチ
台湾の大学で展示のために作られた模型だそうです。
四角の聖堂の足元に耐震壁が見えますね。

外観

外観の特徴は、4つの尖塔です。説明によると、この尖塔はいずれも聖なる空間を示しているとのこと。最も大きな四角形の塔は聖壇の場所を、左下のものは洗礼を授ける場所で聖水をおいてあります。入口にあるものは聖なる空間への入口で鐘楼、右下のものは聖器具をおいてあります。
そして平面の屋根は一般の生活のための空間という位置付けです。

ベームの建築は、この尖塔の処理を巡って展開しており、この処女作ではその原初的なイメージが具現化されているということです。

聖壇の尖塔
後壁駅からタクシーで菁寮に向かう際、この建物の佇まいが目に入りました。

中庭

エントランスから礼拝堂に入るまでに、いったん外部空間を経ます。この設えがこの礼拝堂の特徴です。
カトリックの空間では、洗礼を授ける空間を外部に設けるのが慣わしなのだそうです。それは、充分にキリスト教の教義を学び、キリスト教に帰依することを受け入れ、神父から聖水を受ける。この儀式を経て礼拝堂の中に入るというのがカトリック的な洗礼のやり方なので、それに合わせて聖水を外部に設ける必要があるということです。そしてそのために、礼拝堂の周りが中庭状の外部空間で囲まれています。

また、この礼拝堂は二期に分けて建設されたとのこと。一期目は神父と信者たちの生活と学習のための空間。これが外周部に建設されました。その後3年経ってから、礼拝堂の建設が行われています。そのような工期を分けた建設事業という要望にも沿った建築計画になっています。

中庭に入って、礼拝堂の入り口を見る。
元々は木造で作られていた建具を、痛みが激しいためアルミ製のものに付け替えたそうです。本来のものを残しておきたかったと言っていました。
エントランス方向を見返しています。
洗礼のための空間です。中央に聖水がおいてあります。
聖水が中国式の甕の中に入っています。この様な西洋と台湾の文化の融合がこの礼拝堂の特徴です。
信徒の席はフラット天井、聖壇の部分は高天井となっています。また、この細い柱だけで計画されていた原案に、外回りにぐるりと耐力壁が設けられています。
ハイサイドライトが設けられ、自然換気による空気の流れを作っています。
この日は、聖壇にクリスマスのための飾り付けがまだ残っていました。
この礼拝堂は、台湾の建築の中でも非常に特異な位置付けにあるため、見学者が後を経たないそうです。建物の歴史について詳しい説明がありました。

屋根の中を見学

僕が日本の建築士だからでしょう、説明員が特別に尖塔の屋根の中を見学させてくれました。この礼拝堂で祭壇の上に構えるこの四角錐は、最大の聖なる空間となっています。構造的にも工法的にも、今から60年前以上の台湾では、建設に困難を極めたそうです。また,そのために現在も雨漏れなどの問題が起こっており、抜本的な修復が待たれている状態なのだそうです。

構造的には下部をRC造とし、それを基壇として丈夫に鉄骨の架構がかかっている混構造です。天井の中に入って見上げた様子は小さな東京タワーの様だと感じました。そして、この鉄骨のフレームに木製(檜)の垂木をかけ、下地板を取り付けています。そしてこれにアルミ製の屋根材を張っています。この木板下地にアルミの金属パネルを張っている部分に、現在ではいくつかの漏水箇所があり、そのために祭壇の上が雨漏りしてしまい、それを防ぐために現在吹き抜けとしていた祭壇上部を天井で塞いでしまっています。これは将来屋根面の補修を行い、祭壇の空間を元の様子に戻すことが期待されています。

祭壇左側の洗礼空間の上部
ハイサイドライトに設けられたエッチングガラス。現在の技術では復元が難しいそうです。
礼拝堂の座席の上部にあたる低い屋根は、緩いヴォールト形状をしています。
エントランスの鐘楼を見返す
アルミの屋根は,竣工当時は銀色に光っていたそうです。現在は風化が進み、グレーになっています。
礼拝堂の列柱の外側に耐震壁を設けて構造的な対応をしているわけですが、この処理が初期のキリスト教のバシリカ形式の礼拝堂によく似ています。右下のフラット屋根はそのまま側廊の上部です。
祭壇上部の先頭。アルミパネルによる屋根面は、隠し釘だけでは持たずに、表面から押縁で留めています。しかしその部分が止水上の弱点になっており、シリコンコーキングで処理しています。
祭壇上部のハイサイドライトの状態。

徐昌志建築師による解説


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