頭城搶孤
もう随分前に日本の"世界ウルルン滞在記"という番組で、この"搶孤"という祭りのことを知りました。芸人さんが数日のトレーニングを経てこの櫓登りにチャレンジしたのですが、半分も登れずあえなく脱落するという結果になっていました。
頭城の街に
それで"搶孤"のことは知っていたので、是非現地で見たいと思って調べたところ、宜蘭の頭城で行われる祭りだということが分かりました。宜蘭の女性と結婚した友人にこれを見たいんだと話していたら、"搶孤"に参加したことのある地元の友人を知っているから、彼に聞いてみると言われました。そして、2019年8月29日の夜がイベントのクライマックスなのでそのタイミングで来るのが良いと教えてもらいました。時間は21時から深夜2時までとのこと。台北の仕事を18時過ぎに終え、18時40分の自強號に乗って、20時に頭城に着きました。
ホテルに荷物を置いて、地元の宴会に誘われて少し食事をご馳走になった後、現地に向かいました。途中で見た様子は特に特徴のない田舎町といった感じでしたが、会場はすごい人出でした。これは旧正月を凌ぐ勢いなのではないでしょうか。
搶孤の由来
そもそも、この祭りは鬼月の普渡拜拜に起源を持つものなのだそうです。台北の街中でも、旧暦の七月は鬼月と呼ばれ拜拜が行われます。鬼門が開き先祖の霊が戻ってきているので、彼らを祀るわけです。そして、鬼月の最後の日に鬼門が閉まるので、最後の供え物を出して祀ると言うのが一説、その供え物を荒々しく奪い、鬼達を驚かすと言うのが一説だそうです。
なので日付の変わる深夜に、この祭りは行われるんですね。
競技スタート
22時から23時頃まで、踊りとか来賓の挨拶とかあって、その後選手宣誓、23時15分に"搶孤"が始まりました。
この櫓は、大きなものと小さなものがありますが、はじめに小さなものの競技が行われました。これは始まってあっという間に終わりました。ほとんど一息で棚の上に登ってしまいます。この大きさのものが、この祭りの原型なのでしょう。
本番の搶孤
続けて、大きな櫓での競技が始まりました。こちらは大変です。前哨戦として、柱に紙銭を撒き散らします。柱の滑り方を少しでも防ぐ意味なのでしょう。
テレビで見て、この柱登りが過酷だと言うことは知っていましたが、想像を絶するものです。優秀な選手は、15分ほどで柱を登りきり棚の上に登りますが、半分くらいの選手は1時間たっても柱の中間部に張り付いたままです。柱を登りきった後でも、棚が四周に張り出しているので、その縁にとりつき上に登るのも一苦労です。
棚に登るまでは前半戦、その後櫓の上の塔を登っていきます。そしててっぺんの飾りを切り落とすまでが競技になります。
安全に配慮した競技
途中でギブアップする選手もたくさんいました。その場合消防車がアームを伸ばして選手を救出します。会場には救急車と消防車が待機しているのですが、てっきり消防車は高所からの撮影に使うものだと思っていました。これは選手を救出するための準備だったんですね。
翌日の朝、列車で台北に戻る際に、その友人とチャットしたところ、彼は深夜の祭りの後そのまま続けて、祭りの後片づけをしていると言うことがわかりました。選手も大変ですけど、あなた方も大変ですねと書いたら、彼の返事はこうでした。我々がいるので、選手は思い切って競技に臨めるのです。我々が、選手にとっての支えなんです。そうなんですね、こんな過酷な競技ができるためには、精神的な後ろ盾も必要なんですね。
なるほどと感心しました。テレビなどで紹介されるのは、櫓登りの派手なシーンばかりですが、選手が全力で競技に臨めるように、万全の体制が敷かれている、現地で見てそのことがよく分かりました。