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"歴史は繰り返す"

これは一般的に使われる言葉ですが、台湾における移民の歴史を考えたときに、改めて深くそのことを思いましたので、ここで紹介しておきます。

「艾爾摩莎的瑪利亞」

これは日本語にすると「フォルモサのマリア」、17世紀初頭の基隆の和平島を舞台にした、スペイン人の視点から見た台湾統治の物語です。1624年にオランダ人が台南に上陸、要塞を作ってゼーランディア城と命名、台湾の統治を始めるわけですが、その直後1627年にスペイン人が基隆に上陸を果たし、台湾の北部を支配下に置こうと同じように軍事拠点を設けます。これはサン・サルバドル城と呼ばれています。

フォルモサのマリア

そして、基隆を舞台にスペイン人と原住民の様々な交流が描かれます。小説はスペインの宣教師が母国に残した手紙を元にしており、この資料を基礎にして物語としての膨らみを持たせています。ですので、全くの架空の物語というわけではなく、一定の史実に基づいた小説になっています。

ここで触れたいのは、スペインの軍人が現地で平和に暮らせるように、植民政府が原住民との結婚を勧めたという件です。オランダの資料にはそのようなことは書いてありません。ですので、この様な西洋人と原住民の婚姻をスペインが政策として行ったというのがとても興味深い記事でした。
スペインは南米で同じような政策をとっており、それを基隆でも採用しただけなのかもしれません。

これらの記事から分かることは、この時代スペインから来る人間は、軍人と商人,宣教師などほぼ全てが男性で、女性の来訪者は皆無だということです。そしてそのことは、台湾の移民の歴史で繰り返されていきます。

清朝時代の漢民族の移民

17世紀初期の鄭芝竜による植民政策、1660年代の明鄭時代の状況については関連した記事を読んだことがありませんので、清の時代の移民のことについて述べます。

清の時代の中国からの台湾への移民も、上記のスペイン人のケースとよく似ていました。台湾にやってくる移民は基本的に男性でした。台湾で求められるのが労働力であり、土地の開墾や農夫としての仕事なので、女性は相応しくないと考えられたのでしょう。
商人として財をなして、大陸の家族を台湾に呼び寄せるケースもあったようですが、それは例外であって、移民は基本的には男性だったようです。

そうすると、台湾でこの単身者が、現地で配偶者を見つけるケースが出てきます。そして、この頃は塾番と呼ばれていた平埔族と漢民族の混血が進みました。そして、漢民族の文化では男系の系図を重視しますので、大陸からやってきた、祖先の姓を使い続けることになり、母親方の血筋は系図からは消されていくわけです。
歴史を経ていくと平埔族は漢族と同化していった、ないし吸収されていったという言い方をされますが、これは単に漢民族の姓が残ったというだけで、遺伝子的には、女性の平埔族の系統のものの方が多く残っているはずです。男性は漢族あるいは平埔族であるのに対し、女性のほとんどが平埔族であったはずですので、遺伝子の濃度としては平埔族の方が濃くなります。
ですので、平埔族が漢族に同化・吸収されたのではなくて、血の濃さを考えると、逆に漢族の血筋が平埔族側に同化・吸収されたというのが遺伝的な現実なのだろうと考えています。

ですので、日本統治時代に台湾にいた漢族は、実は多くの平埔族の血筋を受け継いでいる人たちだったはずです。そしてそのほかに、純血な平埔族や高山族がいたのでしょう。

現代の台湾で台湾人ですと言っている人達、彼らの父方の祖先は確かに明鄭の時代、あるいは清朝の統治時代に台湾に来ているかもしれません。しかしその配偶者、母親の系図を辿っていくと、そのほとんどが台湾の原住民になるはずです。何しろ大陸から漢民族の女性が来るというのがレアケースなのです。

日本統治時代は、女性も少なからず日本から移民として来ていましたし、また戦後にはまとまって日本に引き上げてしまっていますので、この考察からは外します。

中華民国の時代

時代は代わり、日本が敗戦し中華民国の軍隊が台湾に進駐してくることになりました。この外省人と呼ばれる人達もほとんどが男性でした。この場合、清朝の時代とは異なり、女性の来台が禁止されていたわけではありません。高級軍人であったり、裕福な商人であったりすれば、家族同伴で台湾に来ることができました。
しかし、それは第一世代の外省人を52万人のうち、一部でしかありませんでした。圧倒的多数は、独身で、または結婚して家族がいるにも関わらず、単身で国民党の軍隊に入りそのまま台湾にやってきた人達です。結果として単身の男性が多数を占めています。

そのため、中華民国の時代になってから、この単身の男性達は台湾人あるいは原住民との結婚を余儀なくされました。女性の側でも戦争の後の混乱の時期で、台湾地元の男性と結婚したくてもできない、あるいは将来性を考えて国民党の男性との結婚を考えることがあったのでしょう。
このように考えるのは、台湾で出会う外省人の第二第三世代の人たちの多くが、お母さん又はお婆さんが、台湾人あるいは原住民ですというケースばかりだからです。僕のまわりで、両親揃って外省人ですという人間を見たことがありません。
もちろんそれは皆無ではないでしょう。外省人の女性で、中華民国時代の初期に活躍した人もたくさんいます。こういう女性は、配偶者を外省人から選んでいるケースが多いと思います。

現代の台湾人意識の背景

このように考えてくると、台湾人であっても、その身体には多くの原住民の血を含んでいるはずであり、外省人であっても、その二世三世では少なからず台湾人の母方の血を含んでいるということになります。

このようにして、時代が経過すると外省人対台湾人という二項対立が、だんだん現実を分析するのにそぐわなくなっているのだと思います。もう生粋の外省人ということはかなりの少数派になってしまっている。現実は外省人であっても母親が台湾人であるとか、お祖父さんが外省人であったが他はみな台湾人であるというように、自らの血における外省人の濃度は次第に希釈されつつある。そういう風に考えることが、今の台湾の国民性と国内政治を理解する際に必要なのだろうと考えています。

もう少し象徴的に考えてみると、台湾の女性はほとんどが昔から台湾にいたと考えられます。そして多くの異民族あるいは種族の男性が外からやって来ている。そして、この2者が結婚して台湾化が進んでいく。台湾ではこの歴史が繰り返されています。

近い将来この傾向は更に深まるのでしょうか?それとも新たな移民と女性の自立の時代を経て、変化していくのでしょうか?定点観測をするに際し、とても面白い視座だと思います。

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