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ryuchellは優しすぎたからこそ
話したこともない人の死で、こんなことを考えた。
すべては想像でしかないけれど。
ryuchellが亡くなって、一週間が経った。
訃報を聞いたときのショックは大きく、
友達でもファンでもないのに、落ち込んだ。
俳優の三浦春馬さんが亡くなったときも、
同じような想いを抱いた。
悲しい。
やるせない。
事故や病気ではないのだ。
どうにかできたんじゃないのかと思ってしまう。
どうにかしなければいけないと思う。
自ら死を選択するほどの悩み、苦しみがあったのか。
自ら死を選択するほどのそれは、一体どれほどのものなのか。
ryuchellは、あまりにも優しすぎた。
優しいのではない。
優しすぎた。
そう思った。
すべての人々を、愛そうとしすぎた。
![](https://assets.st-note.com/img/1689945239330-MpTdwz5xWJ.png)
普通の人よりも、愛が大きかった。
愛の光が強かったか故に、
影もまた深くなってしまった。
そんなふうに思えた。
![](https://assets.st-note.com/img/1689945297795-zlubr6LcG7.png)
この、「ブス、死ね」というDMに対し、
ryuchellはこう返信したそうだ。
「僕は可愛いし、生きます」
さらに、相手にこう伝えた。
「そしてあなたも、生きて」
ryuchellが離婚すると、また多くの誹謗中傷があった。
勝手すぎる。
ぺこがかわいそう。
子どもがかわいそう。
こういう内容を、傷つける目的を持った酷い言葉がたくさん投げられた。
ryuchellがつらかったのは、
自分自身を責められることよりも、
家族に対しての罪悪感だったのではないだろうか。
自分自身を責められるだけでも、尋常ではない苦しみを味わう。
さらに、愛する人を自分のせいで傷つけてしまうことは、
何百倍も、苦しい。
ryuchellは、本当の自分として生きる選択をし、離婚した。
偽りのない、ありのままの自分として。
自分に正直に生きることが、それが一番愛する人を裏切り、傷つけてしまう。
このジレンマに、とてつもなく悩み苦しんだに違いない。
それでも、きっとありったけの勇気を出して、ぺこと話、世間にも公表した。
この生きる態度そのものが、自分に正直に生きる人の光になるという意義も持っていたのではないか。
自分は非難に叩かれることを覚悟のうえで。
この偉大な愛と勇気が、孤独という深い闇を生んでしまったのだろうか・・。
なぜ、人は自殺するのか。
その理由のひとつのキーワードは、
「居場所」。
人は、自分の居場所がないと、死んでしまう生き物だ。
自分は必要ない人間だ。
本当の自分は、愛されない。
ありのままの自分は、欠陥品だ。
こう、考えてしまう。
アドラー心理学では、人の最も根源的な本能は、
生存本能ではないと考えている。
なぜなら、人は自殺するから。
自ら命を終わらせるということは、
生きることよりも強い欲求が存在するということを証明している。
では、生存欲求よりも強い欲求は何か?
それは、「所属の欲求」。
所属とは、居場所やつながり。
いじめにあったり、世間に非難を浴びたりすると、
世の中みんなが敵に思えて、誰も信じられなくなる。
世界から孤立する。
孤独の力は、人を殺すのだ。
しかし、孤独を回避することは不可能。
生きるということは、孤独だからだ。
生まれるときもひとり、死ぬときもひとり。
自分の気持ちを完全に分かってくれる人はいない。
100%自分の期待通りに動いてくれる人もいない。
人生とは孤独。
生きるとは孤独。
これは避けようがない、揺るぎない現実。
でも、それは絶望とは違う。
絶望ではない。
孤独が在るから、つながりが生まれる。
孤独だから、つながりに気づく。
孤独だから、人のあたたかさに癒される。
孤独がなければ、つながりもありえない。
なんという矛盾。
なんという皮肉。
愛を作るのも人間。
しかし誹謗中傷をするのも人間。
戦争やいじめがなくならないように、
誹謗中傷もなくなることはないだろう。
どれも、人間の業なのだ。
光と影。
陰と陽。
生と死。
必ず死ぬのに、なぜ生まれるのか。
この世界は、矛盾でできている。
矛盾に、どう生きるか。
僕たちはいつも求められている。
誰よりも光を信じた彼は、
誰よりも優しすぎた彼は、
世界のこの矛盾をどうとらえていたのだろう。
彼が誰よりも愛の人だったからこそ、
僕は、この結末が、悔しくて、悲しい。
世界の本質は、人の本質は、
愛と光だと信じたい。
彼の死を受けた僕たちは、
誰かを責めるのではなく、
社会を非難するでもなく。
自分はどう感じているのかに、
もっともっと、しっかりと目を向けるべきと思う。
話したこともない人の死で、こんなことを考えた。
すべては想像でしかないけれど。
すごい人だった。
ありがとう。
安らかに。