子育ても引き算思考が大切です
こんにちは、吃音の子供を育てている吃音当事者のサラリーマンNottiです。
今回は子育てにおける引き算思考がテーマです。
引き算思考とは、不要なものを捨てたり、やめたりすることで限りあるお金や時間を有効に活用しようとする考え方です。
5歳の息子の習い事を続けさせるかやめさせるかどうかを妻と話をしたときに意見がぶつかったことがきっかけでした。
私は子供の長所を伸ばすことにつながらない習い事はやめさせるべきと考えて、妻は子供が楽しんでいるのでやめさせたくないということで意見は平行線の状態です。
私がこの件を通じて子育ても引き算思考が大切と考えた3つの理由について解説していきます。
教育の目的に照らして習い事を取捨選択しよう
習い事が少ないほど親の経済的負担、体力的な負担を軽減できる
習い事をしない自由な時間が増えることは家族のゆとりにつながる
教育の目的に照らして習い事を取捨選択しよう
まず子供をどういう人間に育てたいか、夫婦で話し合いをして価値観を言語化することが大切です。
立派な社会人になってもらいたいとか、誰に対しても優しい人になってもらいたいとか、漠然としたことは頭の中にあってもなかなか夫婦間で共有し、言語化までできている人はほとんどいないのでしょうか。
私が目指す教育の目的は、「子供が自立できること」です。
自立をもう少し噛み砕くと、「大人になったときに長所を活かして世の中に貢献できること」だと考えています。
その長所を子供と一緒に見つけて上げることが親の責任であり、習い事をさせる目的です。
その目的から照らし合わせて、子供の習い事が適切かどうかを都度判断していくことが大切ではないでしょうか。
長男が行っている幼児向けの体操教室はなにか特定の運動を集中的に実施するのではなく、まんべんなく様々な運動を経験させるというものです。
その活動を通して、子供の長所を見つけられるのかどうか考えてみると、その習い事はふさわしくないのかなと思っています。
むしろ専門的な技能が身につく習い事(水泳やボルダリングなど)に通わせてみたいと考えています。
そのときに判断する軸は「あまり努力しなくても相対的に優れているか」だと思います。
本人はがんばっていなくても同年代の子供よりも優れていれば、そのフィールドが本人が勝てる環境です。
その環境に身を置けば、普通に努力すれば本人は勝てるので、成功体験を増やし、自信にもつながると考えています。
そういうフィールドをできるだけ多く見つけてあげることが親が子供にしてあげられる最高の贈り物なのではないでしょうか。
習い事が少ないほど親の経済的負担、体力的な負担を軽減できる
習い事に多く通わせるほど教育熱心な良い親という固定観念が刷り込まれている人も多いのではないでしょうか。
現実的には習い事をさせると、入会金などの初期費用だけでなく、不定期で開催される発表会の費用など思ったよりも多くのお金が必要になることも珍しくありません。
そういったコストを始める前に知らされず、入ってから出費が多いことに気づくこともあるでしょうか。
また、小学生くらいまでは少なくとも習い事をさせるためには親の送り迎えが必須になってきます。
トータルで考えると、習い事を一つ通わせるのも親の経済的、体力的な負担は避けられません。
夫婦共働き世帯の貴重な経済的・人的リソースを有効に活用にするためにも習い事は教育の目的に沿って定期的に棚卸しすることが大切です。
習い事をしない自由な時間が増えることは家族のゆとりにつながる
習い事をしない自由時間が確保できると、子供だけでなく、親の精神的なゆとりにつながります。
共働き核家族世帯はただでさえ、平日は仕事に追われて疲弊しています。
また幼児がいる家庭は睡眠も十分にとることができません。
そんな状況で子供を無理に習い事に通わせることは、家族にとって幸せなことでしょうか。
祖父母など協力者がいる恵まれた環境では問題ないでしょうが、多くの共働き世帯にとって、習い事を通わせることは簡単なことではありません。
夫婦の状況を振り返って、習い事を通わせてゆとりがないのであれば、思い切って習い事をやめさせる決断をするのは決して恥ずかしいことではないと思います。
むしろ無理に通わせて、家で親がイライラしている環境のほうが子供にとって悪影響は多いです。
今の現役世代は賃金が上がらないのにも関わらず、税金や物価は増える一方で、実質所得は下がり続けています。
そんな厳しい状況で親が無理をしない環境を親自身が選択できる判断をもてることが大切だと考えています。
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