「営業職」について、の私見
またサルベージされた、「記憶が曖昧」な俺の文章。
とりあえず読まずにコピペするが、タイトルから察するに前回ほどはエッジを利かせにくいと思うから、多分上げるんじゃないかな?
あなた方の眼に入っているのが、その証拠ですね。
うん。
大学で就職活動をしていた当時、「文系男子は営業職になるべし」という風潮があった。
そんな訳で。
セオリーにのっとり、営業職をメインに据えた就職活動を開始した。
ここで、大きな問題が立ちはだかる。
私は「極度の対人恐怖症」なのだ。
幼少の砌(みぎり)から図鑑と百科事典を友とし、「外で遊んでらっしゃい」と親に言われると、外で図鑑を読んでいた。
未だに、人と目を合わせられない。
ゆえに、中学時代までの友人の顔が思い出せない。
親もそうだし、初めて会ってから十五年以上経っている家人ですら目を合わせられない、というのだから筋金入りである。
生まれ育った家庭環境が問題だったと推察するが、これ以上の脱線は避けたいので割愛する。
実際の私を知っている人間は、気付いていただろうか? という疑問が、ふと浮かぶが、気にしても詮無きことだ。
方策は練っていた。
なるべく対個人で話さないこと(大勢と話していれば、誰とも目を合わさなくても不思議がられない)。
そのためには、常に話題の中心に位置すること。
話題として一番フックしやすいのは「笑い」。
よって。
「笑い」に特化した話術を、試行錯誤しながら覚えた。
小学校時代は芸人の模倣をし、「笑いの方程式」を模索していた。
中学時代はグループAとグループBに対して、同じ話題を言い回しやトーンを変えて喋って、反応の違いを比べたりした。
高校時代は幸い「超」が付くレベルの進学校だったため、「知識」を下敷きにした笑いを学んだ。
この時期に、初めて「会話してる」という感覚を覚えた。
大学時代はOBや八回生の先輩もいたので、子供だましは通用しない。
慎重に自分の立ち位置を探るのに、一年間かけた。
下ネタNGな先輩、博識で知的な話題を好む先輩、会話の「間」の妙を好む先輩、等々。
概ね先輩やOB、同回生の話題の好みを把握して、二回生時の夏合宿で積極的に話すようにしていった。
「お前って、大人しい奴だと思ってたけど面白い奴だったんだな」と、OBに言われて嬉しかった。
大人にも通用するんだ、と。
そしてまた同時に、大人の「懐の深さ」も実感した。
どんなにニッチな話題(例えば「カンブリア紀の生態系について」とか)でも、必ず誰かが返してくれる。
オマケに、私が知らない知識も返してくれる。
「十年に一度の阿呆だな、君は」と敬愛する先輩に言われた時は、天にも昇る心地だった。
小中高と「将来はお笑い芸人になれるよ!」と言われ続けてきた。
バカを言うんじゃない。
お笑い芸人は、「最大公約数」の笑いを目指す。
つまり、百人の人間のうち八十人以上を笑わす仕事だ。
それに対して、私は「最小公倍数」の笑いだ。
五人の人間を全員、不快にさせずに笑わせる手法だ。
つまらなくて陰気な自分を、面白い人間に「擬態」させているだけだ。
実際の私を知っている人間は、不快に思われるかも知れない。
申し訳ないと思っている。
騙していた訳ではなく、弱い人間の生存戦略だったのだ。
中島らも氏を敬愛していたが、澁澤龍彦氏や寺山修司氏の著作も愛する根暗野郎で申し訳ない……。
私の「擬態」は、どこまで通用するのか?
就職活動の際に、私はセオリー通りに「営業職」を選んだ。
面接がネックになると思っていたが、「目を直視せずに、ネクタイの結び目辺りを見る」ことでクリア。
あっさり内定が出て、印刷会社の営業として社会人の第一歩を踏み出した。
本(漫画含)好きで、高校時代に学祭実行委員でパンフを作る担当だったことが、印刷業界を選んだ理由。
と言いたいところだが、中島らも氏の影響や出版業界への未練の方が強かったと記憶する。
ここが地獄の一丁目。
デスorダイのロシアンルーレット。
さあ、人生のロケンロールの始まりだ。
まずは、「一度、教わったことは絶対に覚える」ことに執心した。
手帳に書いたメモは、当日に家で読み返し自分のものにする。
理解できない部分は翌日、上司に確認して補完する。
絶対に、同じ質問は二度しない。
自分が、営業として致命的なハンディキャップを背負っていることは自覚している。
せめてもの抵抗だ。
上司には「呑み込みが早いな、君は」と褒められたが、必死だった。
だが。最初の関門は、すぐにやって来た。
「仕事をする上で『笑い』は必要ないし、一対一での会話が基本である」ということ。
もちろん。
会話の潤滑油として「笑い」は必要かも知れないが、自分が持っている「笑い」のスキルはエッジ過ぎた。
百科事典や図鑑等から得た、いわゆる雑学なら得意分野だが、仕事の上で出る話題ではない。
政治、経済、世の趨勢(すうせい)、TV番組や芸能人の話題。
つまり世事には疎かったのだ。
結果。
「擬態」ができない状態になった。
初めて訪問した先輩の顧客の社長に「目が死んでるな、君は。大学は? 社会学部か……、何やってんだか分からないな。俺は中卒だが、ここまで上ってきた」と言われた。
上司からは「君は地味で暗いから、『ジミー』と『クラーク』って感じだな」と言われた(持ちネタだったのかも知れないが、かなりキツかった)。
苦しかったが、逃げたくはなかった。
「何かを掴むまでは辞めない。辞めたら一生、逃げ続ける人間になってしまう」と思ってたからだ。
そのためには、新たなスキルの習得が必要。
自問自答を続け、出した結論は「誠実さ」だった。
時間厳守。
印刷知識の蓄積で、できることとできないことの判別と臨機応変な対応。
客先で電卓と紙があれば見積もり出来るまでの知識(工程ごとの単価は頭に入れておく)。
※当時は、営業にノートPCは支給されていなかった
ミスが起こったら、同じミスは絶対にしない(また、迅速な対応)。
これを徹底して五年。
自信をもって「他の印刷会社に納期で断られた仕事は、私に連絡ください。『物理的に不可能』なのか教えて差し上げます」と言えるようになった。
「用紙を乾きやすいコート紙に変更すれば可能です。デザイン会社さんと担当の貴方には二日間いつでも当案件に徹底していただき、徹夜を覚悟していただければ……。製本当日に研修会場十か所に納品するので、赤帽を五台は使います。送料だけでも十万円以上は覚悟してください」というような、激烈綱渡りな仕事も受けた。
結果。
ルート(既存顧客)の売上を伸ばすことが可能になった。
そして。
次なる関門が、私に襲い掛かった。
新しく導入したODP(デジタル印刷)専任の、新規開拓営業への転属。
オペレーター一人、営業一人の二人部署。
理由は「若手で一番PCに詳しいから」。
ルート営業の場合。
相手はウェルカム状態で、ポジティブな対応をしてくれる。
しかし。新規開拓は押し売り扱いで、仕事の邪魔。相手の対応は九十%以上ネガティブである。
パワーポイントで作った提案書を、目も通さず床に投げ捨てられた。
圧倒的にネガティブな視線を浴び続けていたら、「今日はココ」と決めたビルに入れなくなった。
結果は退社と相成った訳だが、九年間の営業職は非常に貴重な経験だった。
・自分の短所を、客観的に認める
・自分のアピールポイントを見つける
・徹底して長所を伸ばし、短所を上回るようにし、相手に認められるように振る舞う
・初めての相手とでも、普通に会話ができる(でも、私はネガティブな感情を向けられると無理)
・すべてにおいて、我慢強くなる
まあ。
人の目を見れないのは、相変わらずなんですけどね……。
具体的な例を挙げると、女性関係のスキルは確実に向上します。
恋愛の処世術と、限りなく近いからです。
・短所は、自分は不細工である
・長所は、収入が安定していること
・長所を伸ばして(仕事で実績を上げて)、お金持ちになる
・素敵な女性をディナーに誘い、しれっと奢るくらいの甲斐性を見せ続ける
・我慢強く、結果を期待せずに継続する
こんな感じ。
え?
お金は自分の本質ではないって?
「本当の自分」を好きになって欲しいって?
甘えるんじゃないよ、このスットコドッコイ!
金を稼ぐのは、立派な才能ですよ。
美しく生まれるのも才能だし、金持ちの家に生まれるのも才能。
「本当の自分」なんて言い出したら、醜くて悪党で美人を見かけたら「一発お願いしてぇなぁ」とか思ってる怪物ですよ。
理性で抑えてるだけでしょう?
「他人の目に映る自分」が、「本当の自分」なんです。
「女性が自分の価値を見出して(認めて)くれない」というような論調を散見しますが、自分の長所を認めず伸ばさない限りは、そのままですよ。
「自分に釣り合う女がいない」と言ってるのと同じで、だったら自分と結婚してなさいって話。
かく言う私も醜形恐怖症や自己臭恐怖症の気がありますが、結婚してます。
そういったスキルが、営業職に就いていると手に入りますよ、ってことで。
まあ。
私は、神経質な上に「お豆腐メンタル」なんで、二度と営業職に戻りたいとは思いませんがね。
モテるためなら何でもする! という強いメンタルの持ち主なら、営業職を経験するとモテますよ。
これ本当。
以上。
――次回は、「パソコン通信の進化」について書きたいと思います。
タメになるコトは書けていませんが、サポートいただけたら励みになります。よろしくお願い申し上げます。