「お爺ちゃんのブツブツはタメになるんだから、聞いておきなさい」

地震だ原発だ全然モテない(コレは、完全に個人的な事象です)だとか。
気が沈むことも多い昨今。
皆様におかれましては、「俺」という太陽に照らされて元気でしょうか?
俺はといえば。
ガテン系の方々に、性欲の対象として好奇の目に晒される毎日です。
外出着が、ピンクでスケスケのベビードール一枚というのも関係してるのでしょうか?
作業服に黄色メットの方々に「ヤらせろよ、ウヒヒ」とか言われてる日常。
「僕…そんなんじゃないです」とか言いながら、言葉と裏腹に身体を開いてしまうのです。
自分に流れる、淫蕩の血を呪う次第。
とは言え、見られれば見られるほど美しくなるのがキタナカの特権。
頬に翳を落とすほどの長い睫毛を伏せ、雄を惹き寄せる美しさとフェロモンを憂えている訳でございます。
そんな。
キタナカさんを慰めてくれる女性を、随時募集中であります。
男の人って、ホラ。痛くするから――。(必要以上に嗜虐欲をソソる、罪作りな潤んだ瞳で)

昨今の日記を見るにつけ「俺の日常が推し量れる内容が多い」と反省した。
「は? 普通の日記はそうだろ!」と仰られる向きもあるかも知れません。
いえいえ、そんなことはないんですよ。
その理由を、本日はお話ししようと思う。
非常に面白くないコトになりそうだが、まぁ一人語りなのは普段からなので気にしない。

俺における行動指針の殆どは、「自分が愉快になる」に由来するんですよ。
普段の会話も然り。
この日記も然り。
こと日記に関しては、「他人の為に」なんて少しも考えたこともないというのが正直なとこ。
今、読んでくださっている諸賢には本当に申し訳ない事をしてる…と思う。

さて。
「会話で愉快になる」というのは、どういうことだろう? と考えてみる。
一つに「流れに身を任せる心地よさ」がある。
「打てば響く相手との会話は、時間を忘れる」という経験は、諸賢らもお持ちだろう。
他にも、ノリもあるしタイミングもあるし共通の話題というのもある。
この内。
ことタイミングというものについては、誰もが悩む部分であり楽しい部分でもあると思う。

俺がよく、たとえ話として持ち出すのは「猫が寝込んだ」という駄洒落だ。
この駄洒落で、会話を盛り上げることは可能だろうか?
答えは「確実に可能」である。
ただし、「汎用性は限りなく低い」。
ハイブローな時事的面白ネタは、「汎用性は高いが、賞味期限が短い」。
つまり。
「猫が寝込んだ」で盛り上がる可能性は、五百回の飲み会で一回チャンスがある。
「泥酔おもらし女子」は高確率で盛り上がるが、来月は使えない。
ということだ。

会話は非可逆的に進んでいく。
推敲も無ければ、「今の無し!」もない。
1.会話の流れを読む
2.脳内の引き出しにある、今もっとも相応しいタームを検索
3.発言
4.反応を見て、次の流れを検討する
5.「1.」へ戻る
ビジネス用語で言うところの「PDCAサイクルに近いな?」と、書きながら思った。
1.「P」LAN(計画)
2.3.「D」O(実行)
4.「C」HECK(行動に対する評価と検証)
5.「A」CT(改善して実行)
存外、人間の社会的活動というものは通底するものがあるのかもしれない。

もっとも。
「お前は『DO』ばっかやんけ!」という非難もあろう。
そう。
俺は、延々と愚にもつかないことを話し続ける人間なのである。
大っ変、申し訳ない。
ホラ! ヒロユも、ちゃんと謝って!(保護者ぶって、責任回避)
だって。
「PLAN」と「CHECK」が面倒だしさぁ。
てひひ。

さて。
「また、軌道修正できないレベルに脱線してるな。キタナカって奴は…」とお思いでしょうか?
大丈夫、大丈夫だから。
きっと、多分。
だといいな。

会話に対して、日記。
しょっちゅう書いているのだが「飲み会で話したいバカ話」が、この日記の意義である。
飲み会でタイミングを逃し、話せなかったバカ話。
思いついたは良いが、話す相手のいない状況でのメモ。
現実逃避のための、脳内キャラとの会話(狂言回し)。
こういったものの集合体なのである。

「会話」という行動と「日記を書く」という行動の違い。
■会話
【メリット】
・ライブ性
・相手の反応を見て、軌道修正が可能
・話さなくても参加は可能
【デメリット】
・非可逆的に進行
・失言は取り返せない
・流れに乗れず、発言を控えるケースもあり
・相手との、共通の話題を見つける必要性
■日記を書く
【メリット】
・推敲が可能で、遡った修正(過去改変)が可能
・失言を取り消せて、言い控えた言葉を言うことも出来る
・最後まで書いてから、出だしを修正することすら可能
【デメリット】
・相手の反応が分からない
・言葉と違い「残る」ので、ある程度の責任が求められる
・書かなければ、何もしていないのと同じ
・時間が経てば、時事的な話題は風化する

かつて、友人との会話をハンドルネーム付で日記に書いてた時期がある。
結果として「俺は、こんなこと言ってない! ヒドイ!」と責められた苦い思い出だ。
決して悪意からの行動でなかったことは、ココで弁解させていただく。
より(自分にとって)面白おかしい会話に改変した結果なのである。
より「漫画的な」と言い換えても良いだろう。
自分が言い損ねた言葉。
それに対する相手の対応。
それをシミュレートする過程で、極めて漫画チックになる。
その行為が該当人物の人格を歪め、本人が不愉快に思うのも頷ける話だ。

つい先日の、荒川へのサイクリング日記を思い出していただきたい。
俺は、若者と共に女性の尻を追い回したことになっている。
その若者が、俺と同様に涎をドリドリ流しながら走っていたか?(俺は涎まみれでしたが)
そもそも、彼は追いかけたのか?(俺は追いかけましたが)
俺は「堪りませんなぁ堪りませんなぁ」と口に出しながら走ったのか?(出しましたが)
あの日記を、彼が読んだらどう思うか?(……あ!)
まぁ、そういうことです。

一応の予防線として、今の俺は不自然なまでに個人名(ハンドルネームも含む)を日記に書かない。
「自転車関係の友達とサイクルモードへ」。
「若い娘さんと飲み会に」。
「巨乳女子高生と懇ろに」。
「雌奴隷 緊縛地獄」。
このように、同行した当人以外には分からないように書く。
そもそも、事実関係を書くこと自体が稀有ですけどね。
逆に不快に感じられた方が居たら、申し訳ない。

また。
この日記が「飲み会の戯言を記録する」媒体であると考えると、時事ネタは相応しくないのだ。
「あれ? 『泥酔おもらし女子』って何だっけ?」ってのは好きじゃない。
むしろ、会話では拾えないレベルの小さな部分を拾う。
つまり、いつか来たるべき飲み会の席で使うネタ帳のようなものだ。
まぁ使えた試しは無いが…。
もっとも。
十年も続けてると、過去に自分が思いついたのと重複することもある。
そういった場合は、「お爺ちゃん、また同じコト言ってる」と温かい目で見て欲しいのです。

追記:
言い訳は、いい訳!

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喜多仲ひろゆ
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