たった一つの冴えた別れ方
「私の命ってね、もう長くないらしいのね……」
抱きしめる僕の腕の中で、彼女はそう呟いた。
「ま、ガンって奴。リンパ節に出来ちゃうと……どうにもならないらしいの」
ごく普通に、「今日のお味噌汁は、ちょっとしょっぱかったね。ゴメンね」って言うみたいに。
頭の中が真っ白になって。
どうしてそんなことになる可能性を、僕は無視してきたのか?
どうして彼女に、もっと優しくしてあげられなかったのか?
そんな疑問や自己嫌悪が、頭の中をグルグル回って……。
気分が悪くなってきた。
自分の不甲斐なさに。
世の中の不条理に。
気付けたはずだ。
彼女が、病院から帰ってきた時の表情で。
「生理痛が重くて……心配かけてゴメンね」と苦痛に顔を歪める君を見て。
普段飲んでいる薬からだって、調べることはできたはずだ。
「あはは。なに、この世が終わるような顔をしてるのよ?」
笑顔を浮かべる君。
こんなに優しい笑顔で笑える彼女が。
こんなに温かな身体を持った彼女がどうして、若い身空で死ななければならないのか。
こんな下らなくて。
こんなに情けない人生を送っている俺がどうして、彼女を失ってのうのうと生きていくのか。
もっと気の利いた台詞が言いたかったのに
「『キン肉マン』の超人だったら、俺のパワーを半分分けてやれるのにな」
としか言えなかった。
「何それ!?」と笑う、君の笑顔が眩しくて。
悲しくて。
その後に続く言葉は出てこなかった。
その晩は、ニ人で朝まで語り合った。
他愛もない話題。
つまらない映画――。
くだらないTV番組――。
楽しかった旅行――。
そんな時間が、この先もずっと続くと思っていた。
いや、そうなるはずだと自分を騙しながら生きてきたんだ。
翌朝。
「じゃあね」
「またな」
そんな簡単な挨拶で、僕たちは別れた。
そして。
その日以降、僕たちは会うことはなかった。
それまで毎日していたメールも、拒否されるようになった。
電話をする勇気も、僕にはなかった。
そして四ヶ月。
彼女の親友だったU子ちゃんから電話が来た。
「イキナリごめんね。『絶対言うな』って言われたんだけど……」
……彼女の訃報だった。
どうして、僕は彼女のことを忘れて生きることを選んだのか?
どうして、僕はその四ヶ月を彼女と共に居てあげられなかったのか?
どうして、彼女は自分の訃報を僕に報せたくなかったのか?
どうして。
どうして。
どうして。
そして十二月。
クリスマスに賑わう街並。
僕は、人の流れに逆らうようにして帰宅。
パソコンを立ち上げると、メールフォルダに一通の新着メッセージ。
そこには、見慣れた名前があった。
もう二度とは見るはずのなかった名前――。
「貴方にクリスマスカードが届いています。内容を確認したい場合は下記URLをクリックしてください」
立ち上がるウェブブラウザ。
流れるオルゴール音のクリスマスソング。
可愛らしくサンタクロースをあしらった、便箋を模したメッセージカード。
「私から君へ」から始まるメッセージ。
――私から君へ
ありがとう。
わたしは、あなたに沢山の元気をもらいました。
わたしは、あなたに「人を愛する」ということを教えてもらいました。
あなたは、わたしに「生きることの意義」を教えてくれました。
あなたは、わたしに「優しさ」を教えてくれました。
あなたに会えて本当によかったです。
きっと。
あなたはわたしに対して罪悪感を抱いていることでしょう。
「一緒に居てあげられれば…」とか思っているんじゃないでしょうか?
でも、わたしはこれでよかったんだと思う。
こんなに、やつれた姿はあなたには見られたくないし(あれから20kgも体重が減ったんだよ!ダイエット効果絶大だね!w)。
痛みも結構スゴいから、発作を見たらヒくって!
間違いない!w
でもね。
あなたとの思い出が、わたしを支えてくれたんだよ。
中華丼のウズラの玉子で喧嘩したり。
失敗したシチューのブロッコリで、気まずい思いをしたり。
そんな。
くだらないやりとりを思い出しては毎日、思い出し笑いしてるんだよ。
あなたとの思い出は、きっとあなたと一緒じゃなきゃ、なかったもの。
わたしの宝物です。
最後にもう一度だけ。
「ありがとう」。
僕は、そっとウェブブラウザを閉じた。
世の中には、どうしようもないことがある。
それは、絶対的な事実でしかないんだ。
そこには幸不幸の差はなく、悲喜劇という言葉さえ陳腐だ。
だけど、これだけは言わせて欲しいんだ。
こちらこそ、本当に「ありがとう」。