俺が伝えたいことは言語化できない
俺が伝えたいことを書くね?
言葉で伝わり易い部分から。
でもテーマは全部、同じなんだ。「伝わりにくい」だけなんだ。
あ。書いてる途中で気付いて、目次形式にしたよ。
一つ一つが長いと思うから、気になった部分だけ読んでね。
疲れたら、読むのをやめてもいい。
俺の長文は八〇〇〇文字以上が基本だから、疲れないために五五〇〇文字くらいに収めたよ。それでも長いよね……。
■「『差別をするな!』という『逆差別』は、本っ当にやめてくれ!」
本当にすべてを曝け出したら多分、俺は皆さんに憐れまれる人間だろう。
その「弱点」を武器にすれば、多くの人に読んで貰えると確信してもいる。
それは取りも直さず「伝えたいことが多くの人に伝わる」正しい方法論だとも分かっている。
でも「より多くの人に読まれる」ということは、「より多くの『都合の良い曲解』」を生むことも分かってしまっている。結構、本気で絶望してる。
「私、ちょっと『***(病名)』かも~」とか、軽々しく使う人間に読んで欲しくない……という俺のエゴだ。
早速、パラドックスが発生してる訳なんだ。難儀な男だね、俺も……。
そして。
それを「『***』を差別するなー!」って言って、「健常者」が金儲けしてる今の世相が、いっっっち番に腹立たしい。
「いいこと書いてるね。うん、その通り」って言ってくださる皆さんがいたら嬉しい。でも残念だけど、言語の限界で三割がた伝わってたら御の字だよね? って思ってる。
だから。俺は手を替え品を替え、違うモチーフに変えて同じことを書き続けているんよ。
いいかい? 俺は、ここ二年以上の間、スッポリと記憶が抜け落ちてるんだ。ずっと布団に伏して、思索に耽り続けていたんだ。
で、やっと立ち上がれた。産まれたての仔羊のようにプルプルしながらね。
それで「天才」になったんだよ!
それは「俺の手柄」なんだ。
他人に「良かったね」って言われるのは、超不愉快なの。
同じ期間、同じ状態だった人から言われたら、悔しいけど泣いちゃうかも知らんけどね……。
だから。「可哀想だから、サポートしてあげよう」なんて、見下されたくないし憐れまれたくない。
別に、直截的に「キチガイ」と言われても気にしない。
俺は「パンク哲学者」だからね。
ま。それ以前に、俺は「天才」なのだよ明智君。
蓋を外した缶カラを置いて、百万円入れてもらって「おありがとうごぜえます、旦那さま」なんて自分はゴメンだ。
そんな端(はした)金で、俺が憐れまれてたまるかよ!
そりゃあね。
一億円くらい渡されたら、「一生。アナタ様の道化として、お道化(どけ)続ける所存です!」って、キッパリハッキリと敬礼しながら申し上げますけどね(「掌(てのひら)返し」の達人なんだドン!)。
俺は貧しくったって悲しくったって、漫画「魔少年ビーティー」で言うところの「精神的貴族」なんだ。泣くのは「コートの上」だけって決めてんだ!
だから、サポートされたくない。
ま。うら若き美女なら、援助されて交際するのも吝かではないけどね。
俺は餓死する覚悟なんか、とっくのとうに済ませてる。
もしサポートしてくれても、「文章のプロじゃない俺」は、「ラッキー! 今日の晩飯が食える」くらい無為に、そして無駄に消費する。
感謝なんて、これっぽっちもしないと思う。
これは、物凄いパラドキシカルな問題。
そして俺は、なんとエゴイスティックで了見の狭い人間なのだ!
そして、自己嫌悪に陥る。
恐怖で、手が震える。
でも、自分がやると決めたことだ。
だから。「ほんの一人でもいいから、『共感』や『気付き』を得て欲しい」と考え、なけなしの勇気を精一杯に振り絞って、記事を書いている。
■自己承認欲求を超えて、それでも書きたいこと
それでも、「スキ」されると嬉しいのは事実だ。
抗いようがなく「人間は『自己承認欲求』を満たしたい生き物なんだなあ」と、自分の大脳旧皮質的であり本能的な部分に落ち込む。
自分の「本能」すら超越したい、まだ俺は修行不足だ。
そして。キチガイ部分の俺が、苦悩に耐え切れずに書いてしまった。
「全方向にケンカを売っていくスタイル」と書いて、「高額情報商材」を売っている著者をディスった。しかも続報付きで。
※ただし、特定されないように、最大限の尽力はしたつもり
「note」で開催されているコンテストに、「コンテスト自体の定義が破綻してる」という内容の記事を書いて応募した。
「パンク精神」ココに極まれり、だ。
――それ以降、「スキ」されることと読者が激減した。狂犬に、わざわざ咬まれに行く人間はいない。正しい判断だ。
それでいい。
こうなることを、俺は望んでいたはずだ。
でも。昔の、苦しかった自分を救ってくれた昔の文章を読んで「今現在、苦しんでいる人たちに『笑い』」を届けたい、「コイツよりは俺はマトモだなあと思って欲しい」、という願いを放棄することになった。
少しだけ泣きたくなったが、それはスマートじゃない。
そこで「杉並の狂犬パンク哲学者」の異名を、自分に持たせた。
ガブガブ咬む、しかも恐水病持ち。
それで。
「もう、なにもこわくない」巴マミ状態に、自分をした。
首を落とされて声帯が無くなっても、俺は叫び続けるさ。
「癲狂者」上等! この「天才様」にかかってきぃや!
「心」は少しだけ傷んだけれど、「気持ち」はだいぶ軽くなった。
ドンと来い! 差別反対主義者ども! 俺の心は差別用語で一杯だ、それで一冊の辞書が出来るくらいだ。
■「過去の自分」が書きたかったこと
当時「未来の自分が笑える文章」を目指して、鬱々としながら書いていた。
仕事の重圧で押し潰されそうになりながら、自分を嘲(あざけ)った。
「蛤日記」や「大昔の日記」等がそうだ。
自分にとっての会心作でも、他人にとって「良作」であるとは限らない。
こと「笑い」に関しては、個人々々で全然「ツボ」が違う。
だから。mixiで書いてた頃は、「電車の中で読んで、笑いを堪えるの大変だったんだぞ! 面白い日記だったら最初っから、そう書いておけ」等の反応が返ってくるのは嬉しかった。でも、大抵の場合は自分の「会心作」ではなかった。
――そもそも、全部「面白い」つもりで書いてたしね……
それでも、「他人に『笑顔』を与えた」という真っ直ぐなレスポンスは、嬉しくて小躍りしたい気分になった。
水面下で足掻く「白鳥の足」みたいなことを書くが――。
実は、相当に苦しんで書いていたんよ。
「笑いの方程式」で計算をして、息を吐かせぬジェットコースターに乗っているようなスピード感で矢継ぎ早に書いてった。
海馬による知識の紐づけが得意だったので、クルクルと話題を自在に遊ばせて一つのテーマであっても、着地点を見誤らないように頑張った。
相当な知恵者でも、全部の元ネタは分からないだろう。
CMから、スポーツから、昔の歌謡曲から、落語の一節から、漫画から、アニメから、ゲームの台詞から、スポーツ選手、等々の自分が海馬に蓄えた知識の結晶。パクるのではなく、自分のエッセンスとして比喩的に使った。
読み手のリズム感を重視するために、句読点の位置まで拘(こだわ)った。
私は話題性よりもその時現在における自分の在り方に問題性を提起するようになっていった。
という文。まあ読点が入って無い時点で醜い文章だ。
これに俺が読点を入れると、こうなる。
私は、話題性よりも、その時現在における自分の在り方に、問題性を提起するようになっていった。
多分、これくらいが次第点なんじゃないでしょうか?
でも、なんだか読み難いし、平仮名が続くのを補助する「、」が気に入らない。前後の文章がないから判断は難しいけどね。
だが。その文章を読んで欲しい! と強く思う状態なら、俺は文章としての美しさを捨てて、こう書くだろう。
私は――。「話題性」よりも、その時点における「自分の在り方に関する問題性」について考え方がシフトしていった。
地の文で鉤括弧は濫用するのは褒められたものではないが、「話題性」と「問題性」を効果的に繋げるために敢えて、そうするだろう。
修正しても気に入らない日記は、上げずに捨てた。上げてからでも消した。
過去から、自分の偏執狂的な部分は自認していた。
「パラノイア」なんて洒落た言葉とは真逆の、穢(きたな)い気質だ。
「会話」では、速さと言葉の情報持続性が無いので気にならなかったが、文章を打つのは大変だった。
書く時は、自動筆記に近い状態で「リラックスして話す」くらいのスピードで打てるようになる、誰でもそうなる。
でも――。推敲には、異常なまでに時間をかけた。
句読点だけではなく、文章の順番を替えたり削ったりもした。
上げてから時間が経って誰も読まない状態でも、自分で読み直して気に入らなければ読点(「、」)の位置を変えるくらい拘った。
もはや、アニメ「慎重勇者」の主人公並の慎重さだ。
※ギャグアニメ。作中で、勇者を召喚した女神をして「もう、この慎重さは病気! この勇者、病気だわっ!」と言わしめる主人公です
そこまでやって。それでも自分で「会心作」と思えるのは、ごく一部。
「#キタナカの本気」は、自己採点で「75点以上」の文章群。
少なくとも、現在の書いた本人が「くすっ」と笑えるくらいのレベル。
でも、先述の通り「他人からは評価されない」。
まあ。他の文章でも、「くすっ」としてもらえたら僥倖だ。
俺が「自己承認欲求は捨てた」と宣言したからには、他の文章で「気晴らし」になってくれれば良いな、と思うに至った。
■「つまり、何が書きたいんだってばよ?」
通底したテーマは、「ココロのクスリ」と「気付き」だ。
まずは「ココロのクスリ」から、お話しする。
同じようなタイトルの漫画が存在したような気がするが、気にしない。
「抗生物質」で治らない人は、「漢方」を試せばいい。
その「漢方」すら厳しい人のための、「ビタミン剤」みたいな位置付けを目指してる。
もちろん、普通の方にも「サプリ感覚」で読んで欲しい。
擦り減っちゃって何も出来ない人は、そのまま寝てていいんだ。
「PCに電源を入れられる元気」くらいは出てきた人は、最初は「youtube」等でストレスが減る「受動的なコンテンツ」を受け取るといいよね。
文字を読めるくらいまで回復したら、俺の「#蛤日記」やマガジンの「戯れ言」を読んでみて欲しいかな? くらいの気持ち。
俺が書いた「戯れ言」だから、尖った笑いよりは優しく書けていると思う。
「お粥」みたいに、「栄養価は低いけど、消化しやすい」文章にしているつもりだ。
自画自賛になるが――。
「みっともないオッサンが右往左往している」様は滑稽であり、俺は彼らを愛してやまない。
性的な描写も多いので、嫌悪される方もいらっしゃるだろう。
そんな方は、「もっと優しいビタミン剤」を書かれている著者は沢山いるからね、そっちで「用法・用量を守り」ながら少しずつ読んでね。ビタミン剤でも、病気によっては「毒」にもなる。
身体に合わなければ服用をやめて、医師・薬剤師などに御相談ください。
元々、健康な方。或いは「苦しさが収まらない原因が分からない」方々のために、真面目な文章も書いてます。
こちらは、「俺自身(や知り合い等)の苦しみ」を、心の整理の為に書いた文章。
なるべくフラットな視点で書いているつもりなので、「思想を押し付ける」ような文章ではなく、楽チンな姿勢で哲学気分を味わえるように書いているつもり。
ただし。
「差別的表現」を生理的に受け付けない方には、「毒」でしかありません。
「このサプリは合わなかった」と思って、諦めてね――。
もちろん。
俺だって「天才(キチガイ)」ではあるけど、「聖人」じゃあないから、思わしくない文章になってしまうことも多々あるよ。
トゲのある文体で、人を傷つけてしまうことも多いだろう。
「#パンクなキタナカ」や「#ネガティブな俺ダメ絶対」が、完全に「それ」にあたる。
俺自身が文章を書くリハビリ中だから、「これは合わない!」と思ったら、健康な方でも避けて通るといい。
次に、「気付き」。
これについては、俺の貧弱な語彙では表現できない。
本っ当に無理だから。
敢えて日本語で表現するなら、「固定観念を壊すことの、圧倒的なまでの困難さ」と「自分の価値観が根底から覆された時にパニックに陥らない方法」を、「新しい自分を認めて、新しい価値観も認めていける」よう促すための「気付き」を得て欲しいための文章だ。
うん。全っ然伝わらないよね? 俺も書いてて「?」ってなった。
でも、これが限界。
■「神頼み」や「他力本願」もいいけど、最初は自分
結局は俺の、自己満足な文章なんだ。
理由だって、俺のエゴでしかない「後付け」みたいなもんだ。
「これからの自分」が書く方向性だって、今は分からない。
俺はセラピストじゃない。所謂「文筆業」で、俺に当て嵌まる職業は無い。
・小説家:稀に詩的なものや物語性がありそうなことも書くが、才能が皆無
・エッセイスト:違うよなあ。気分で書いてるから、本職の人に怒られるわ
・コラムニスト:情報は古いものばかりだし、コラムの体裁を取っていない
・ジャーナリスト:同上。カメラも使えないしね……
・漫画原作:友人であるプロの原作も実際にやったけど、完全に趣味レベル
・評論家:自分が気に入ってる物の評論は書けても、嫌いな文章は読めない
・ライター:昔。業務としてライティングしてたけど、それでも無理だった
ね?
「雑文書き」って言葉が、俺ほど似合う文字書きはいないのよ。
「ナンバーワンになれたから高笑い。君は、いつまでもオンリーワン」なんだよ。いや、金銭的な問題は別にしてだけどさ。
語彙はまあまあだと思うから、「校閲」とかは出来るのかな?
調べて書いてないから、本職さんには鼻で笑われちゃうのかな?
だからさ。
このままで、いいんだよ。
「これから」の若者たちはさ。
まだ、俺が通り過ぎた「煩悶する日々」を送ってるんだと思うのさ。
俺の頃より、世間の風は厳しくなってきてるしね。
だけど、俺はエールを送ることしかできないんよ。
自分がようやく得られた「気付き」を、キチンと伝えられる自信が無い。
スキルもない。
車もそれほど、走ってねぇ。(吉幾三)
オーケンは言ったのさ。
「それでも、生きていかざるを得ない!」ってね。
本当にそう思うし、疲れたら逃げちゃえばいいのさ。
大丈夫! 君たちにとって「人生の大先輩」の俺が、人生から逃げ回ってるんだからさ――。
ふう。最後まで読んでくれただけで大した忍耐力だと思うし、ありがたいと普通に思っている。本当にありがとう。
――最後まで読んでくださった皆様に、祝福のあらんことを。