独りよがりの夢になってないか?
10日間のコロナ隔離期間を体験して、
持て余す時間により夢と幸せについて考える良い機会となりました。
独りよがりの夢になっていないか?
夢と幸せを重ねて考えた結論は、こうなりました。
高校を卒業し、プロになるべくアメリカ・スペインへ渡り、そして現在のクロアチアまでサッカーを続けてきましたが、
僕の夢は圧倒的に独りよがりなものでした。
アメリカでは短期大学という学問機関に通い、両親はアメリカの大学卒業という文言のもと、僕の夢と両親の希望がリンクして、サッカーがどんな結果であろうと応援を一気に受けられたと思います。
しかし、
レアル・マドリードを倒して世界1になりたい。
アメリカの短期大学を卒業して、
四年制大学のオファーを全て断って、プロの世界でやりたいと夢のためにハンドルを振り切った去年。
この新しい僕の夢はそこから独りよがりになりました。
人間は最期は1人なので、この決断をしたことは悪いものだとは思っていません。
1番近くの人に理解が出来ない夢を持ってしまった僕を止めることは誰も出来なかったと思います。
クロアチアでプレーして、来年に1部に上がり、CLでレアルマドリードをぶっ倒して世界1になりたい。
それが身体を動かす、僕の奥底に眠るものです。
しかしたぶん今レアルマドリードを倒したところで、周りを見たら完全に独りだと思う。
それはそうでしょう。全てを振り払っているのだから。
喜びを分かち合える人が誰もいない。
自分の中で納得はするでしょう。
しかし愛する家族でさえも、分かち合えない。
(喜んでくれるだろうが、一緒の熱量で喜べない)
こんな悲しいことはない。(笑)
だから今のこの夢の追い方では、僕は絶対には幸せにはならないと悟りました。
僕の中での幸せとは、
近い人と喜びや楽しい時間を分かち合うこと。
僕の夢を叶えることより喜びを分かち合いたい。
今回の隔離で思ったのは、幸せの尺度によって夢はいくらでも変えてもいい・変えられるのだということです。
クロアチアに来て、幸せのハードルは圧倒的に下がりました。
逆に日本ではとてつもなく高かった気がします。
モテたい、プロになって良い生活したい、SNSで良い写真をあげたい、どれもしょうもなく誰のためにやってたのだろうと思います。
今は近い人と一緒に時間を過ごすことが1番の幸せだと感じます。
クロアチアにいて、会える環境ではないからでしょうが、それでもいい。
自分のやりたいこと・夢と根底にある幸せをリンクさせなければ、本当の幸せは手に入れられない。
幸せがまず最初にあって、夢・やりたいことがある。
最初に幸せがあって、夢・やりたいことは二の次だということは揺らぐことはない。
こんな初歩的なことを分かっていませんでした。
だから今は近くの人たちと(僕の)夢を一緒に追いかけて、達成して喜びを分かち合いたい。
そのため夢は公言すべきだとも最近感じます。
(公言の仕方・SNSの使い方が今後の課題です。)
自分が追いかけている夢の延長線上に誰もいない未来は悲しすぎます。
人によって成り立つ世界で、独りよがりの夢はもう要りません。
独りではなく、目標や夢を達成して、誰かと喜びを分かち合いたいと思います。
サッカーは良くも悪くも多くの人に影響を与えるものであります。
色々な形で携わることができ、
その形ごとで夢を追いかける事が出来る。
だからまだまだサッカーで出来ることは沢山あるとも考えることが出来ました。
個人的には選手が1番影響を与えられると思っています。
僕はサッカーを通して、喜びを人と分かち合いたい。
近い人を幸せにしたい。幸せになりたい。
だからSocial Mediaで発信することもそう。
家族や友達・彼女を試合に呼ぶのもそう。
この独りよがりで作った夢を、いかに他の人と一緒に追いかけることが出来るか?
これが今の最大の課題です。
今年もあと2ヶ月。
今シーズンも7ヶ月しかありません。
偶然にもクロアチアでサッカーを続けられています。
全てに感謝をし、
レアルマドリードを倒した時に周りに誰か居てくれるように。
また誰かのきっかけになりたい。
誰かのために今後サッカー選手人生を歩んでいくのもありだなと考えられるようになりました。
もちろんレアルは倒したいですが。(笑)
そんなことを考えて未だ隔離を続けています。
もう少しちゃんと上手く心を整理して、まとめてからサッカーに戻りたいと思ってます。
その方が絶対に面白いし、プレーも人生も生き生きするから。
以上です。