絶対に忘れることのない
12月2日(木)。今日がチームメイトの両親の経営するホテルに泊まる最後の日。
そして最後のディナー。
もうここには帰ってこないかもしれない。
そう思った僕は、チームメイトのお父さんに思ったありったけの感謝を伝えた。
クロアチア語がまだ不十分だからGoogle翻訳で。(笑)
その文がこれだ。
お父さんはというと、
いつも愛情込めてランチとディナーを作ってくれて、時には僕の部屋の電球を取り替えたり、コロナにかかった時は毎日部屋までご飯を運んでくれた恩人である。
読んでいるお父さんは時折笑顔で嬉しそうにしていた。
僕がこのチームで試合に絡めていないことは知っていたし、
最初はお父さんの友達に日本から来ているサッカー選手なんだ!と紹介してくれていたのも、いつしか気を遣ってもらっていたと思う。
僕自身もこの4ヶ月は本当にサッカー人生の中で1番・2番を争うくらい試合に出られなかった。苦しんだ。
要因はハッキリ分かっている。クロアチア語が不十分だったこと・経歴がないことによる信頼を得られなかった。
毎日が嫌になる時は何回だってあった。
コロナにかかった時は本当に何してんだ?と自分が分からなくなり、コロナ明けにそのまま帰ろうかなと荷物をまとめたこともあった。
上手くいかなかったのを知ってか、
お父さんは読み終わりに涙してくれた。
4ヶ月という短い期間ながらも、クロアチアに第2の家族が出来た感覚で、サッカーを通して繋がる事ができて、
クロアチアに来て、本当に良かった。
本当に濃い時間だった。人生でも絶対に忘れることのない時間を過ごすことができた。
お父さんの涙でまだサッカーを続けよう。またクロアチアに帰ってきたいと心の奥底から思った。
結果で恩返ししたい。また元気な姿を見せたいと。
クロアチア語が分かっていないから、普段の会話は続かないし、正直いつも何を言っているのか分からない。
しかし最後のお父さんの言葉はハッキリと分かった。
『ウチの息子も試合に出れない・使ってもらえないと小言を呟くけれど、次だ!練習しなきゃ!それが本当に大事だよ!』
お父さんの嬉しそうな横顔・見せた涙・そしてこの言葉を忘れることはない。
そして部屋に帰って、ひっそり涙が溢れたことはお父さんには言えない。(笑)
明日、初めて試合のメンバー入りしたためにザグレブへ行って、そのままザグレブから日本へ帰る。
だからチームメイトの家族と会えるのは明日の朝が最後だ。
本当に僕を迎え入れてくれてありがとう。
努力しよう・練習しよう・サッカーで恩返ししたい・また会いたい。
この人のために頑張れると思った。エネルギーをもらった。
クロアチアで感じた悔しさ・優しさ・夢・希望の全てを忘れる事なく生きていきたい。
忘れないようにしたいと感じた夜でした。
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