宣告からが長かった② 泣
※針生検の話を含みます。
針生検を受けに病院へ。
事前にどんな検査なのかを先生から丁寧に教えてもらっていたので恐怖しか無かった。え。
「オッパイに太い針を刺して、組織を削り出す」
怖い。怖すぎる。
部分麻酔だから痛くないと言われていたが、待合室で仔犬のように震えていた。
いざ診察ベッドに横たわり、麻酔をうってその時を待つ。
「はい、行きますよぉ。音が大きいけど大丈夫だからねー」
「ばちん!ばちん!ばっちーーん!」
それはオモチャのピストルのような音だった。麻酔のお陰で痛みはなかったが、針が引くたびに衝撃があって痛くないのに「痛っ・・・くないか」とアホな事を言っていた。
終わってみれば大した事なかった。(個人的感想です)
後日、針生検の結果を聞きに、姉を伴い病院へ。
これが事実上の乳癌宣告となるのだが、ここに来て思っていたより癌の感じが悪かった。
「全摘後、抗がん剤推奨ですね」
勝手に、切ったら終わりだと思い込んでいた。
ゴツンと頭を殴られたような衝撃。
「マジですか・・・・」
母親の姿を思い出した。
それはまさに「闘病」だった。
当時まだ可愛い盛りの孫(姉の娘)の為に、やってあげたい事が山のようにあった母はここで死んでたまるかと。
鬼の形相で抗がん剤治療にあたっていた。
髪が抜け、どんどん痩せこけていった。
見ている方も辛かった。頑張れ頑張れと無責任な言葉をなげかけた。
針生検でわかったのは、
ER弱陽性 PgR弱陽性 HER2陰性
(限りなくトリプルネガティブに近い)
グレード3
顔つきが悪いと言われてなんか嫌な気分になる。
「私、一次再建したくて」
「うんうん。うちの病院は無理だからね。希望の病院ある?紹介状書くよ」
スムーズ&スマート。
A病院が希望ではあるが、手術まで待たされるのは嫌だと伝えるとなんと知り合いのドクターが居るからと直ぐに連絡をとってくれた。
天使か。
左程待たずに行けそうとの事で紹介状を書いてもらう事にした。セカンドオピニオンではなく、紹介状。A病院で治療する事にした。
最短で紹介状と針生検のプレパラートを受け取り、事前に初診予約をしたA病院に。
この時点で人間ドッグから一カ月ちょっと。
さらにA病院で、針生検以外の検査プラスMRIの検査。治療方針が決まるまでまた一カ月を要した。
A病院の検査から、手術(全摘、センチネルリンパ節生検、TE挿入)+抗がん剤+ホルモン治療との、方針が示された。とはいえ、術後の病理検査次第という事だった。
ということで最短で実施できる手術日でお願いした。
そして、再建できるかはリンパ節への転移が1個以下である事が条件である。
1月初旬の人間ドッグから、手術が決まるまで、本当に自分の身に起きてる事が不思議でならなかった。仕事はしていたが、時々【ちーん】となっていた。魂が抜けてるっていうか。上の空、気もそぞろ。
やる気スイッチが何処にも見当たらない日も多々あった。
上司に休職の旨願い出た時に寛解してからの出社で良い、今は病気を治す事に専念しろと仰っていただけた。これはとても有難かった。抗がん剤治療しながら仕事をするのは無理な気がしていた。
乳癌患者様のブログや、YouTubeでは仕事をしながら治療にあたられている方もおられ「自分はなんと不甲斐ないのか」と要らぬ落ち込みをしたものであるが、まぁ自分は休める環境にあるのだからと有り難く治療に専念することにした。