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センサリーなおとなたち。

広い意味で捉えたら、人間誰しも「感覚過敏」(センサリー)
なのかもしれない。

最近、社会の人が集まっている所で「感覚過敏」(センサリー)の
違いによって起こった社会的対立がよく目立つ。

人の話し声やその内容が「うるさい」と感じて、トラブルになるのが
代表例、なんだけど、今まで「なぜそんな事が起こるのか」ということを
十分考えもせず、「なんか邪魔された、殺してやる、てか死んじまえ」と
呪詛の言葉を吐いてその場を紛らわしていたが、とある出来事をきっかけに
少し自分の考えを深めてみた。

「うるさい」と言ったり、わがままに振る舞う人って、
たくさんのサンブルから導き出されたことは
「皆、大人のなりをした子供、否、幼稚園児・幼児である」ということ。
大人ぶった言動や行動はするけれど、言葉のニュアンスが、
発音発語が幼児の域を抜け出てない、よくまあこれで長い人生を
乗り切ってきたねぇ、という感じの人が多かったから
私はそういう人を不快と感じていたのかもしれない。

さらに「うるさい」と行ったら、わがままに振る舞う人って、
どういう事情か分からないが、「陰々滅々」とした「負のエネルギー」を
まとってその場に登場することが多い、その悪いエネルギーに反応して、
トラブルを誘発していたとすれば、なんかやばいです。

顧みて自分はどうだと考えてみたら、そういうことを他人に見せているから
通勤でのは働き方がうまくいかなくなって、テレワークという働き方に
活路を見出そうとしたんだろ、本当は他人のことなんて言えないのにね。

そういう問題を沢山の人の手を借りてなんとかしようとしているので、
わたしは改めて「センサリーな大人幼児」にはなりたくない、と思った。


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