自意識ってやつは、ある意味で人間にとっての「呪い」だ。誰だって自分を意識しないわけにはいかないけど、あまりに自意識が強いと、なんだか息苦しくなる。たとえば、道を歩いていても、「今の自分はどう見られているだろう」とか、「こんな振る舞いをしたらあの人はどう思うだろう」とか、いちいち気にしてしまう。自意識が旺盛すぎると、自分がまるで他人のために生きているような気さえしてくるんだ。
そもそも自意識というのは、見られている自分、評価されている自分を気にすることから生まれるものだ。でも実際には、他人が自分にそれほど関心を持っているかと言えば、たいていの場合そんなことはない。みんな、案外自分のことだけで手一杯なんだからね。それでも、僕たちは「誰かに見られている」という幻想にとりつかれてしまう。これは、言ってみれば「一人芝居」のようなものだ。自意識が強くなるほど、他人の存在は曖昧になり、ただ「見ている誰か」という漠然とした観客に向けて、自分を演じるようになってしまう。
この「一人芝居」の中で、僕たちはどんどん窮屈になっていく。他人の目を気にしすぎて、いつの間にか自分の本来の姿を見失ってしまう。好きなことをしているつもりが、実は他人に認められるための行動だったり、自由に生きているつもりが、実は「こうでなければならない」という無言のプレッシャーに縛られていたりする。自意識が暴走すると、自分で自分を檻に閉じ込めるようなものだ。
自意識から解放されるのは難しい。いっそ、「自意識を捨てろ!」なんて言いたいところだが、それができれば苦労しないよね。結局、人間は自意識から完全に逃れることなんてできない。だからといって、ずっと自意識に押しつぶされているわけにもいかない。じゃあ、どうするかというと、僕たちはこの厄介な「自意識」とうまく付き合っていくしかないんだ。
僕の考えでは、自意識とうまく付き合うには、まず自分の欠点や不完全さを認めることが大事なんじゃないかと思う。完璧を目指すと、どこまでも他人の視線が気になってしまう。だけど、「僕は僕でいいんだ」と、少し肩の力を抜いてみると、案外自意識はおとなしくなるもんだ。そうすると、自分の本音が顔を出しやすくなるし、他人の評価に振り回されることも減ってくる。自分の中にある「恥ずかしさ」や「みっともなさ」を堂々と晒してしまえば、それを見た他人の目もそれほど怖くなくなるものだ。
自意識がゼロになればいいなと思うこともあるけれど、もしかすると、それはそれで面白くないのかもしれない。自意識というのは、確かに厄介なものだけど、それがあるからこそ僕たちは自己を見つめ直し、また少しずつ成長していくことができるのかもしれない。結局のところ、自意識とは「呪い」であると同時に、僕たちが自分自身と付き合っていくための一つの「鏡」でもあるんだろうね。