チャレンジと挫折
新次元の思考テクノロジーの初歩を知った私は、さっそく結婚をして実践をしようと思いチャレンジしました。
当時まだまだエゴまみれ過ぎるくらいエゴまみれな私は、3次元の思考癖ですぐに勝ちたいという観念に囚われていました。
師匠に勝ちたい! しかも、認められる為に!
あまりにも、お馬鹿過ぎますよね。
あまりにも、差が大き過ぎるとわからないんですね。
師匠の凄さもわからない。自分の身の丈もわからない。
私は体だけが大きくになっていましたが、中身はあまりにも幼稚以下でした。
今、当時の自分を観たら穴があったら入りたいほど恥ずかしい状態でした。
本当に愚かでした。
愛を伝えている思考テクノロジーなのに、愛とは全く真逆の勝ち負けにこだわっていた当時の私は、結婚したものの、多くは頭の理解しかしていなかったので、パートナーとの実践が全く出来ませんでした。
それどころか、間違ったやり方をしていたので、苦しくて仕方なかったのです。
そりゃそうですよね。勝ちたいんですから、オリジンを無視して聞いてないんですから。
師匠が、どれほどの想いで秘宝を体現され、どれほどの想いで伝えてくださってるのかもわからない愚の骨頂の状態でした。
その傲慢さゆえに、全く教えて頂いたものとは違うように勝手な解釈をして自分なりの実践をしてしまいます。
本当に素直でなく愚かな事でした。
そんな状態で結果が出るはずないのに、結果が出ない事に悩んでいました。笑えます。当たり前の事が起こっているだけなのに悩んでるんですからアホでした。
何事も素直に言われた通りに正しくやらなければ結果は出ません。
寝たきりになるまでの自分は、周りの中では結果を出していたので鼻が高くなり高慢でした。
傲慢とは本当に愚かな状態です。
自分の方が上だとどこかで思いたいのです。
そんな心を無意識に隠したまま、秘宝を習おうなんて自分にも師匠にも失礼極まりない状態でした。(本当にごめんなさいです)
念のために補足しますが、師匠の事は初めて会った瞬間から大大大好きですし、会う前から何者か知っていたので尊敬を超える尊敬もしていました。
とても、太刀打ち出来るようなレベルでない事もわかっているはずなのに勝とうとする事が成長出来る事だと思う男のエゴでした。
しかし、私のエゴは傲慢さも持ったまま
もう、わかった。やってやる!と傲慢さの塊でチャレンジしたのです。
謙虚さと素直さのかけらもありませんでした。
本当に、危険な状態に気づかないままだったので痛い目をみたのです。
無意識とは、本当に厄介です。そんなつもりはないのに無意識にそうなっているのですから、自覚出来ないので、破滅していきます。
実は、ここにも親子関係の傷が潜んでいたのです。
幼少期に厳しく育てられた私は、もう、これ以上厳しくされたくない!
もう、絶対に否定されたくないという反動で、思い切り頑張って結果を出して、「どうだ!どうだ!俺は凄いんだ!どうだ!」
「お前(父)の何倍も若くして稼いだぞ!」
「もう、お前に何も言わせないぞ!」と自分を鎧兜と剣を持って防衛していたのです。
そんな傷が残ったままだったので、薄皮は剥がれ父とは和解したものの、新次元思考テクノロジーミロスを明確に理解していなかったので、奥底の傷は癒えないその状態でのパートナーシップは悲惨なものでした。
今なら笑えますが、当時は自殺未遂をするほど苦しみました。
本当は、愛を知りたかったのに、当時はそんな気持ちが男の自分にあるなんて微塵も気づきませんでした。
ただ、ただ、人に勝ち優越感に浸りたかったのです。
つまり、コンプレックスの塊だったのです。
惨めな人生でした。
何も入っていない空っぽの器でした。
これは、今だから理解出来るようになったのですが、
当時は何もわからなかったのです。
自分でも、初歩しか習っていないのにある意味無謀なチャレンジでした。
しかし、よくやったと今なら自分を褒めてあげれます。
結果は、離婚になりましたし当然ものすごく傷つきました。
人生で最大に苦しく最大に傷つきました。
自分の事も相手の事も責めまくりました。
それまでの人生では感情を切ってひたすら結果を出していたマシーンのように生きていたので、生身の感情と出会った事が、ほとんどなかったのです。
それは、当時の私には苦しくて仕方なかった事でした。