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【小学生の思い出】あの子への手紙はどこへ行ったのか?

わたしはなぜか、幼少期の記憶が極端に乏しい。
多分、思い出したくないことばかりだからだと思う。
家族のこと、友だちのこと、学校のこと。ほとんど何も覚えていない。
でも、思い出がなくてもそれなりの大人にはなれる。
人生が十代で終わっていなくてよかったと、今は思う。

そんなわたしの数少ない記憶のひとつに、「学校を休み続けているクラスメイトへ、みんなで手紙を書いた時間」がある。その日わたしは、クラスメイトの前で担任に怒られた。なぜ怒られたのか、理解できないまま大人になったから、記憶に残っているのかもしれない。

学校を休み続けていたあの子について、わたしは名前と顔しか知らなかった。クラスメイトたちも、同じくらいの距離感だったと思う。ほとんど会ったことがなかったのだから、親しい距離感というのも難しい話だった。

担任は、クラスメイト全員に原稿用紙2枚の手紙を書くように言った。みんなが何を書いたかは知らないし、わたしがどんな内容を書いたかも覚えていない。小学生の書く手紙だから、学校に来てほしい、来たら一緒に遊ぼう、なんていう願望とも約束ともいえないような、拙い内容だったんじゃないかと想像する。

わたしは、クラスで一番早く手紙を書き終わって担任に提出した。書き終わった人から出すようにと言われたので、素直にその通りにしたのだ。けれど、手紙を提出したわたしは、そのまま担任に怒られた。どんな言葉で怒られたのか、正確には覚えていないけれど、

「早く書けばいいと思ってるんだろ」
「◯◯さんのことを想って書いてないだろ」
「いい加減な気持ちで書くな」

そんな内容だった。

教室の一番前にある、担任の事務机の前に立たされたわたしは、思ってもいない方向から怒鳴られ、戸惑った記憶がある。その後、わたしがどうしたかは、何も覚えていない。

大人になった今、当時の担任よりも歳を重ねてなお、あのお説教の意味が難しい。もしもわたしが、「早く書けばいい」と思っていたとして、なぜ、クラスメイト全員の前で叱りつけられたのか。そして、「早く書く」とは、怒鳴られるほどの悪事だったのか。さらには、相手のことを想っていない、いい加減な手紙だと、なぜ担任にわかるのか。いまだによくわからない。そもそも、同じクラスに所属しているけれど、ほとんど知らない相手への手紙とは、何が正解だったのか。

学校という世界は、本当に難しい。
小学校も中学校も高校も大学も、永遠にうまくできなかった。

友だちを作れ、友だちを思いやれ、規則正しい生活をしろ、遅刻をするな、欠席するな、行事をたのしめ、クラスメイトとは仲良くしろ、勉強しろ、運動しろ、親孝行しろ。あれやれこれやれ、あれをやるなこれをやるな。

本当に、本当に。わたしには難しい世界の連続だった。

あの子が学校に来ない選択をした理由をわたしは知らないし、学校嫌いのわたしが必死に学校へ行く理由も誰も知らない。

人間は、お互いに知らないことばかりで、生物学上の分類くらいしか正確に認識できてないかもしれない。だからこそ、お互いに何も知らないことを受け入れて、まったく違う生き物だと理解して、それでも一緒に生きるために何ができるかを考える。学校では、そういうことを習いたかった。みんな同じが当たり前。はみ出し者は許さない。そんな毎日ではたのしくない。

この手紙の件を思い出すとき、「大人が正しいとは限らない」んだと、こどものわたしに教えたくなる。そして、傷ついたら怒っていいし泣いていいとも伝えたい。

学校がたのしいと思えない毎日に罪悪感はいらない。たのしい世界は他にいくらでもあるし、自分で創ることだってできる。そんなことを、こどものときに知りたかったなとふと考えた。



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広山しず
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