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量子詩/シン感覚詩の夜明け❸


川端は、自分の表現がモダニズムのかなり先を行っていることを知っていた。翻訳した時にどうなるか考えて書いている。シュルリアリズムと仏教の相性がいいのもわかっていた。自分が描いているものが、物語の仮面をかぶった詩であることもわかっていた。物語が破綻しても平気なのは川端の資質が詩人だからだ。イギリス文学において詩の優位性は当然知っていたし、漱石、芥川の正当な流れは、小説による詩であり そこに純文学の名前をつけ擁護した。37歳で ポストモダンを海外より10年年早く先回りしていた。だから、ベケットより早く、受賞したのだ。ヨーロッパで高く評価されるモチーフもよく理解していた。ペットへの偏愛を描いた「禽獣」、心霊的な幻想の「叙情歌」、ロリータコンプレックスの「眠れる美女」ストーカーの「みづうみ」
強烈なフェティシズムとインモラルは、欧米のインテリを強く惹きつける。

戦後1957年のペンクラブの世界大会開催と翌年の国際ペンクラブ副会長就任は、日本の文学を世界に知らしめた一番大きいイベントだった。それから川端は、ゲーテメダルを受賞し、「ねむれる美女」を完成させ、アメリカ、ブラジルへ出かけ、フランスから勲章をもらい京都に住み「古都」を完成させた。
だから、自分が賞をとれることはわかっていた。緻密に動いてきた。三島は、国内にとどまった。三島に推薦文を書かせたのは、川端がとるまで、三島が動けないようにするためだろう。三島は政治的な理由で割腹自殺をした。ノーベル賞をとっていたら、躊躇したろう。だから、三島にとっても、ノーベル賞をとらないことで可能になる行動だった。三島を失い、川端は理解者を失った。やることはやった。
三島が生前、批判的に川端の小説について、批評しているが、実はそれこそが、シン感覚派の今後の方針となる。

     構成の乱雑さが一種の鬼気を生む    
     重複と抒述を前後させる 
     老人の恋は青年対処女のバリエーション
     川端さんがついに文体を持たぬ      
     中世文学の虚無主義、終末感、
     暗いエロティシズム
     すべての人間関係が〈ゆきずり
     ↓
     構成を計算して乱雑にし
     重層的な時間
     意味の多重性
     神秘性を作り出す
     年齢や教育に依らない人間関係
     脱構築とニヒリズム
     始まりも終わりもない
     ノマド的な展開

「恋愛がすべて」と川端は言った。恋愛は、まさに多世界解釈にとって重要な起点となる。親しい人の死、恋愛、病気、事故自死量子的な世界を描くために作家が体験しなければならないものである。私たちも恋愛をしなくてはならない。その情熱は、異性だけでなく同性へも、美術品へも、芸術の才能や日本そのものにも向けなくてはならない。私たちが、目指すのは西行、鴨長明、世阿弥、芭蕉でいい。仏教者の文学がが最も優れた小説である。シン感覚派は、大正後期から昭和初期にかけての日本文学の一つの流派1924年(大正13年)10月に創刊された同人誌『文藝時代』を母胎として登場した新感覚派の流れを踏襲し、川端康成の完成させた永遠の新感覚を学び、踏襲することで、世界の文学のトップランナーに躍り出ようと思う。

特に私は『水晶幻想』、その展開として『みづうみ』『山の音』に注目する。「意識の流れ」その延長・発展・洗練されたもの、それは量子的である。不確定で、揺らぎ、相補的である。読者によって内容が変わる。過去と未来が知らず知らずに交錯する。霊や魔術が日常化する。私たちは川端が小説によって実現した、量子的表現、魔術的リアリズムを、これからの現代詩に引き継ぐことにした。多宇宙理論の生命、進化、時間は、すべて仮想実在であり、
人間の想像力がなければ形にならない。科学、数学、芸術、虚構は実は皆同じであり、詩は、作者の創造力によって
もっとも短い形と少ないエネルギーで、新しい量子的存在、進化、認識、計算の基礎をつくる点で、人間の知性にとってもっとも大切な営みであることを世界に理解させたい。

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