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父と子の会話 【クラッシックとアイデンティティについて】


セックス・ピストルズ

息子:
クラシックってなんだろう?

父:
クラシックは、人間のアイデンティティのための記憶のシステムだと思う。

息子:
どういうことですか。

父:
君の質問に誠実に答えようと思う。音楽も、文学も、歴史の上に成立していることは事実だよね。歴史はほとんど、男性が書いたもので、戦争と文化の記録だ日本の権威は、明治以降は、文部科学省ということになる。クラシックを決めるのは、大衆ではなくて、時の権力だということになる。ここでクラシックの定義について言及しておこう。君は、おそらく音楽のクラシックについて、話していたと思う。それは、クラシック音楽とは違うと考えている。

【クラシック】
「class(クラス)」に由来する。転じて「古典」「格式のある」の意。文学、音楽などの芸術作品や服装、行事に対して用いる。歴史的に長く、評価の定まった物事を指して「クラシック」と呼ぶ場合もある。

ということで、本論では「クラシック」を格式があり、評価の定まった音楽をはじめとした芸術作品という意味として捉えるね。

僕らは、文化を、それぞれの環境や、学校や、リサーチで学ぶ。そして、君くらいの歳(20歳)になると、その人にとっての大雑把な価値の体系が出来上がっていく。例えば、君は、バイオリンを習っていたよね。それから、ハードバップのジャズを聴いていた。お茶の間でジャニーズの音楽が耳に入っていた。思春期にロックを聴き始めた。DJを志した。そういう、環境や背景が価値観を醸成し、君にとっての音楽の体系になった。
  
もし、君が宇宙人で、全く違う周波数で、全く違う音楽理論の音を楽しんでいたら、地球人とどんなコミュニケーションができるだろう。そこには共感性がほとんどない。それでは、つまらないよね。音楽は楽しむものだから。共感性が大事だ。多くの人が、共感できることは、文化としてとても大切だ。そのために、文化史、音楽史があり、クラシックがある。簡単に言えばそういうこと。

ここから少し掘り下げて考えてみよう。

いわゆる音楽のクラシックは、古く、紀元前6世紀、ギリシャのピタゴラスから始まる。音律を決めたのはギリシャ人だ。そのころ譜面はないけどね。中世以降、教会でも、純正律が主流になる。音階(ドレミファソラシド)の発明は11世紀あたり。イタリア人らしい。ピタゴラスは、音階の全ての音と音程を周波数比に基づいて導出した。ピタゴラス音律は初期ルネサンスまでの西洋音楽の標準的な音律であった。すごいね。ギリシャの哲学者は。音楽ってそもそも数学的だったんだね。ちなみにピタゴラス音律純正にならないところがあったらしい。これが問題だった。それで純正律が発明されたというんだ。ともかく、ヨーロッパのキリスト教会音楽は1000年、ピタゴラス音律だったんだ。歴史は長い。でも、僕らの知ってるクラシック音楽のバッハやモーツァルトは純正律だ。その間にいろいろあったんだろうね。

もともと教会の権威のための音楽を、王族貴族が、王権のシンボルとして あるいは、自分たちの、楽しみ守ってきた。そのおこぼれを、都市生活者が楽しむようになった。それから、大航海時代、産業革命を経て、ブルジョワジーが台頭してきて、音楽はだんだん、金持ちのシンボルになっていく。パトロンが変化したんだね。リッチになると、見栄えを良くしたくなるから、王侯貴族家族の真似をしたんだね。中国がルイ・ヴィトンやエルメスが大好きなのと同じ。

その後、文化芸術は、どんどんアカデミックになっていって、権力と結びついて、だんだん難解になって今に至る。クラッシック音楽は、ストラヴィンスキーかサティまで。捉え方はかなり大雑把だけどね。芸術至上主義とか形而上学とか、そうしたものは、余裕があって頭のいい権威主義者の妄想だと思うよ。ゲームとしては面白いけどね。
 
文学や絵画も似たようなものだね。観念化、抽象化は、難解さが特権性を担保するから、知ってる側は気持ちいいんだね。でも、必ず衰弱する。支持者がどんどんいなくなり、それにコンプレックスを持った新しい権力者は、それを否定するからね。日本の現代美術離れ、哲学離れ、クラッシック離れなんかもいい例だ。

話を戻す。イギリスの植民地アメリカは、奴隷を労働力として使った。そこから、ブルースやジャズが生まれ、それを白人が真似して、プレスリーが生まれ、イギリスに渡って、ビートルズが出現し、中産階級の楽しみとしての音楽と、アカデミックな音楽の境目がだんだん無くなっていった。1968年の5月革命で、ブルジョア的な権威はすべて地に落ちて、アメリカでは、ビートからヒッピー、そしてロックがある種の力を持つようになった。決定的だったのは、IT革命だね。僕は、個人的には、スティーブ・ジョブスが、アップルコンピュータの1998年の宣伝で、ジョン・レノンと、ガンジーとアインシュタインとキング牧師などを並べた時、全てが変わったと感じだな。

「Think different」それまでは、ロックはサブカルチャーだったんだ。マイケル・ジャクソンだったそうだよ。モータウンのソウルというサブカル。
  

Think different
ジョン・レノンとオノ・ヨーコ


日本における、その象徴は、イエロー・マジック・オーケストラからの坂本龍一だよ。彼は晩年、現代美術の文脈にも接続した。映画にもね。それは、おそらく、かなり自覚的だったと思う。彼のつくった音楽の教科書「スコラ」では、ロック、ジャズ、バッハ、ドビュッシーが並列なんだよね。画期的だと思う。文科省はどう反応したのかわからないけど。

https://commmons.com/archive/schola/
 
残念ながら、文学は、取り残された。坂本龍一は、一時期、歌を歌っていた時、一瞬現代詩に言及したんだけど、確か吉岡実だったかな「美貌の青空」って曲。そこ止まりだった。哲学は、ドゥルーズやデリダについて、語ることが多かったと思う。そもそも、マルキストだからね。バリバリのレフトだったわけだから。
国家権力とは相性が悪かった。だから、戦略としてニューヨークに住んで、アメリカから、日本に圧をかけたんだね。かなり戦略的だと思う。
 
彼だけが、国家権力におもねずに、日本人の新しいアイデンティティを作った。それが彼の偉大なところだ。でも、彼は東京芸術大学の作曲の出身で、高橋悠二や武満徹の直系エリート作曲家でもある。つまりジョン・ケージやクセナキスなどアカデミックな歴史ともつながっている。

若い頃の坂本龍一


晩年の坂本龍一

日本はクラシックを器用に書き換えることのできる国だと思うよ。それから、編集とアレンジが上手。平安時代、江戸時代は、典型だね。明治以降は、欧化政策で、覇権国から学んできたんだね。日英同盟。鹿鳴館でダンスして。滑稽だったと思うけど、一世代すぎれば、それなりに様になる。今の中国や韓国を見てればわかるよね。30年あればで、スタイルはかなり洗練される。

大正時代のモガ

永井荷風、谷崎潤一郎、竹久夢二あたりは、なかなかなもんだよ。

では、今の今、韓国や中国は、なぜそんなことをするか。それは グローバル資本主義の勝者はアメリカ(ユダヤ)で、アメリカのエスタブリツシユは大概、ヨーロッパ系、家柄がいい人は、大概、教養として、モーツァルトやベートーベンやバッハやショパンを聴いているからね。それは、聖書を読むようなものなんだろう。教養はステータスなんだ。

ユダヤ人やアングロサクソンはそのことをよくわかっている。つまり、覇権国が文化を支配するということを。ゆえにクラシックは常に権力と結びついているということだ。

古い中国でも、支配者の教養として、音楽は必須だった。六藝というのがあるでしょう。例の水戸の弘道館の篆額「藝游」君の名前の由来になったやつ。六藝とは、ピタゴラスとちょうど同じ頃、紀元前6世紀位の古代中国において士分以上の人に必要とされた教養のことで、礼(道徳教育)、楽(音楽)、射(弓術)、御(馬車を操る技術)、書(文学)、数(算数)の6種を指す。

馬と弓は武力だよね
あとは、道徳、
読み書きそろばん。
それに音楽が入っている。

六藝游 偲游(しゅう)は息子の名前


つまり、音楽は権力を支える、重要なプラットフォームとして認識されていたわけだ。いろんな音楽があっては困る。いろんな度量衡や暦や言葉や、思想があっては困る。それを統一するのが国家権力なんだ。

ジャズは黒人の音楽だが、公民権運動以降 黒人の社会的地位の上昇とともに アメリカ人の基本教養になった。クリントンは、コルトレーンが大好きだったね。でも、イギリスやフランスではジャズは未だにエスニックなものだと思う。

レゲエは イギリスの植民地から独立する過程で イギリスのロックと結びついた。レゲエ(スカ)だけが、本当の意味で音楽で真の市民革命を起こしたんだ。ジョンレノンはそれを予言していたな。彼は、ボブ・マーリーから多くを学んだんだと思う。しかし、アメリカは彼の主張を許さなかった。そもそもイギリス人だしね。奥さんは日本人だし。彼は新左翼に担がれて、革命のシンボルになってしまったけど、アメリカのエスタブリツシユからすれば、塵だったんだと思う。ケネディがアイルランド系カソリックで、WASPでないのと同じ理屈。

ではロックは? そもそも黒人の音楽だったプルースの真似をしたリバプールの不良が 世界に広めた その背景には 公民権運動やベトナム戦争の敗戦が大きいと思う。

要するに、前の権力が負けたってことだね そうやってアメリカにおけるロックは、文化の中心に躍り出た。

公民権運動
ボブ・マーレーはジャマイカを独立に導いた


 
翻って日本は?
 
公民権運動もなく、ベトナム戦争もない。
だから、この国のロックにリアリティはない。かっこ悪い、と僕は思う。(ここは偏見です)

アメリカは日本人がそれを消費するために、ファッションと歌謡曲というコードを作った。プロ野球やプロレスと同じ。グループ・サウンズそして、ジャニーズ。
大衆文化ではアイデンティティは問われないからね。しかし そこで流行っただけでは 日本人の文化にはならない。歴史になるためには、反復して、それを情報として流し続けなくてはならないわけで、経済原理ではないんだね。
 
広島・長崎に比較してマスメディアで福島原発の情報が少ないと思うのは、僕だけじゃないだろう。それは、都合の悪い真実だから。大学で、福島原発のことを検証する学会はあるんだろうか?その研究成果は一般人は手にすることはできるのだろうか。

日本のカルチャーは、消費されて終わり、
アカデミズムは相手にしない。
だから、日本人には、現在がない。
日本の学生は現代史を勉強しない。

過去と今日だけを生きている。幻想と欲望の資本主義。「愛と幻想のファシズム」という小説があったっけ。懐かしい。日本は、真逆に向かった。ドゥルーズの予言通り。
消費文化の中で、スギゾでおしゃれな記号消費、円環の逃走を繰り返した。差異と反復、差異と反復。スペクタクル資本主義。「なんとなくクリスタル」「逃走論」は予言の書だった。

現代美術 
現代哲学
現代文学 
精神医学
ファッション
インテリア

そうしたものが、上手にアメリカナイズされた。村上春樹しかり。サザンオールスターズしかり。ディズニーランドしかり。村上隆しかり。
 
教育と、マスメディアとマーケティングによって。
映画とスポーツとセツクスによって。
恋愛映画を観て、スポーツ観戦でうさを晴らし、安易なセックスを安全に楽しめるシステムを作り上げた。これって、VRのシミュレーションじゃないか。
あるSF作家が日本について話していた言葉を思い出す。(日本はすでにサイバーパンクだった)哲学者の言葉を思い出す(東京は精緻な機械システムであり 個人は部品である)
 
婚姻率、出生率が下がるのは自明である。
誰が苦労してちっちゃな他人のためにお金を使うのか?
病気(エイズや梅毒)と妊娠(巨額の出費)のリスクをなぜ瞬時の射精のために?
合理的なコスパである。
AIも同じ回答を出すだろう。
 
日本弱体化計画は今もしっかり進んでいる。
日本の適正人口は、今の半分というので、まあ、いいんじやないか、僕なんかは思う。僕はすでにもう半分アメリカ人だから。もちろん半分は大和民族だが、それは、バイキングを懐かしく思うロンドン市民のようなものである。
 
日本という概念には未来がない。
あるのは、永遠の現在。
今日の欲望と忘却(痴呆)

日本は、まさにコンビニエンスエコノミーだ。
すべてが、消費されてフローされる。
ストックは宗主国に上納する。
それに最近はアマゾンエコノミーが加わった。
そしてnoteもGoogleになった。
 
日本は、三島由紀夫の言う通り、
なんの歴史も残らない。
歴史はアメリカつくってくれる。
同盟国だから、それでいい、と政府は言うだろう。

話は変わるけど、
「はつぴーえんど」の凄さは、日本のロックに歴史を打ち立てたってことだね。
シティポップの流行は、間違いなく、はっぴいえんどの功績だよ。その文脈から出てきてる。
もちろん、キャラメルママ、ティンパンアレー、サディスティクスも重要。メンバーほぼ同じだからね。
 
彼らは、数年の間に、日本のオリジナルのロックを作った。それは、海外にも通用する、それは証明されてるね。米軍基地のそばに住んで、極東放送で育って、コピーではなく日本のロックをでっち上げた。これは、平安貴族が、中国の真似をして、鎖国して、平安文化をつくったくらい、偉大なことだと思う。
文学にはそれが起こらなかった。三島由紀夫が、切腹して、墓に持っていってしまったからだ。
村上春樹は好きだけど、所詮、坪内逍遥だよね。外国のモノマネ。カッコいいけど、中身がない。

令和の夏目漱石や島崎藤村は日本にまだ生まれていない。これからに期待しよう。

ソリッドステートサバイバーってなんだ?
坂本龍一 高橋幸宏 細野晴臣


こうしたことをちゃんと教えてくれる人は日本にはないね。学校ではできないからね。坂本龍一はわかっていたなあ。宮台真司はわかってる。東浩紀も。
そのくらいかな。
 
いまだにアメリカの属国である日本は、
文科省も
メディアも
検察も
ヤクザも
みんなアメリカの手下。
僕らは選挙権のないユナイテッド・ステーツ・オブ・アメリカの日本人居留地に住む 主語のない黄色人種 アメリカファーストに納得し ゴールデンエイジを楽しみに待つ。仕方ない。

日本人は、アメリカの歴史を、日本の歴史のように勘違いしている。トランプ大統領を日本の皇帝と勘違いしている。マッカーサーと昭和天皇の関係は、今も続いているのだ。

だから 日本人のアイデンティティは? 日本人のルーツは? 日本人にとってクラシックは?と聞かれると、日本人は困る。苦笑いして
 
文学は?
「紫式部じゃないすか」と読んだこともないのに知ってる名前を挙げる。源氏は世界初のラブコメですって。
歌は?
「津軽海峡冬景色」
アイデンティティは?
「もち、天皇陛下でしょう」

考えたこともないから、思ってもいないことを言う。
これがイギリス人なら

歌は
「ビートルズ、セックス・ピストルズ、オアシス」
文学は
「TSエリオット、バーナード・ショー」
アイデンティティは
「イギリス国王」
 
となるわけ。
もちろんアメリカ人は
リンカーン、JFケネディ、キング牧師、アポロ計画、ハリウッド、スティーブ・ジョブス、ウォーホール、ポロック、ニルバーナ、ジミヘン、サリンジャー、ギンズバーグ、コルトレーン、マイケルジャクソン
となる。

世界のアイデンティティとアメリカのアイデンティティは同じだと日本人は思うが、世界には80億人人がいる。半分以上は、存在していないと同じなのだ。

世界の人口構成比 


つまり、日本人のクラシックは、そもそも借り物であって、それは、歴史的事実ってこと。しっかりした大人としては

「それを乗り越えるために、さまざまなことを考えている」
と言えるようになるといいけど。
同調圧力が半端ないから、この社会の中では、なかなかムズイ。(ため息)

極端な言い方をすれば、日本人(男)はほとんどが、社畜、家の使用人、消費機械だから。
女性には、クラシックなど必要ない。
なぜなら、子供を産み育てるから。もちろんそれは尊いことだと僕は思っている。だから、こんな話を妻にしたとしても、ほとんど意味がない。馬耳東風間違いなしだ。しかし、僕はこの文章を書くために、夕ご飯も食べず、5時間費やしている。それだけの価値があると思うし、面白いからだ。
ドーパミンが出ているのだろう。報酬体系がそもそも違うのだ。男と女では。国家論を語る女性は極めて稀だ。(ここは、フェミニズム的にアウトだと思う。申し訳ございません)男が作ったおもちゃを適当にあしらっているだけ。
ほとんどの男性は、女性に奉仕し、評価されるために生きている。(村上龍の受け売り。全ての男性は消耗品である)金があり、人望があり、権力があり、社会的地位がある男は、家を確保し、暮らしを守り、将来を保証し、子育てに資源を投入する。だから、モテる。それが現実だと思うよ。もちろん常に例外はあるけど。一般的には。

ここで30年前の日本で大いにもてはやされた村上龍の論説を少し、引用してみたい。30年で価値観はこうも変わるのだ。

『オレがいつもいってることだが、男は"消耗品"だ。使い捨てライターみたいなものだ。性能が悪かったり、ガスが切れたりすると、捨てられて、文句もいえない。 女は"戦利品"だ。倒さなければ手に入らない。男はさまざまなものを倒して、やっと女を手に入れるのだ。まず倒すべきなのは、その女の父親だ。そして、その敵が偉大であればあるほど、戦利品も豪華だということだ。』
 
『牡としての力強さを、などと叫んだって、そんなものは昔からなかったのだ。ただの消耗品だったのだ。しかし、耐久財より、消耗品の方が、自由がある。オレ達はその自由を愛するしかない。リスクを背負って、その自由を行使するしかないのである。』

  
そもそも、世界や、宗教や、国家や、歴史や、軍隊や、文化や、アイデンティティや、クラシックという概念は、全て男のものだと思う。言わずもがな権威的。それもわかっていた方がいいと思う。

反権威、反権力のクラシックという逆説は、セックス・ピストルズがすでにやってしまってるけどね。彼らはレジェンドだ。
 
長くなった。2時間の授業みたいな感じだね。
でも、とても重要な内容だったと思う。君の質問から、こうしたことを整理する時間が持てたことに心から感謝する。「クラシシズムとアイデンティティ」でいつか猫に向かって講義でもやろうかな。

カートコバーン
ピストルズ


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