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三島由紀夫と川端康成 その死生観
あなたは 三島由紀夫と川端康成とどちらが好きですか。はじめて、三島由紀夫をみとめて、世に出したのは川端康成でした。三島は、デビューした時から絶賛されていたわけではなく、全否定する評論家もいました。
川端康成は、三島に何を見出し、何を求めたのでしょう。
私は、そのことをよく考えます。川端は目利きだったので、さまざまな才能を見つけ、世に出しました。おそらく、面倒見のいい人と、周りから見られていたと思います。性格は温和で、敵を作りませんでした。私は、これらの特徴の多くは、川端が体が弱かったからではないかと考えています。
三島も、脆弱な肉体にコンプレックスを持っている1人でした。三島が、逞しい肉体に憧れ、マッチョな世界に身を投じ、結果、テロリズムに美学を見出した時、川端はそれを支援しませんでした。
三島は、それを恨みに思っていたと、伝えられますが、本当にそうでしょうか。三島は、川端の反応を予想していたと思います。三島と川端の出会いと別れが伝説となり、神話となって、日本の文学を支える背骨になることを2人とも望んだと思います。
私は、川端が文学者のもう一つの態度を世に示したのだと思います。証拠に、三島の割腹の2年後、川端は逗子でガス自殺します。
(下に続く)
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川端は、死をもって、三島に謝罪したのだと思います。
そのくらい2人の結びつきは強く、日本の文学に対する責任を感じていたのです。
その後日本には、中上健次、大江健三郎、安部公房と素晴らしい小説家は生まれましたが、いわゆる作家が文士と言われた時代は、三島川端の2人で終わりました。今、小説家は、小粒になり、命をかけて作品を作る作家などいないと思います。
川端は、芥川龍之介とも仲が良く、関東大震災の後の死体で溢れかえっている浅草を、一緒に歩いています。その後芥川が自殺をして 川端は一度死んでいると思います。彼は何がしたいかと質問されると心中がしたいと話してました。
2人は命をかけて 自分の哲学を守り抜きました。お互いに尊敬し、それぞれの立場を守りました。川端は本当は三島と心中したかったんだと思います。その方法、その美学に食い違いがあり、それが2人の死に様の違いだったんだと思います。
私たちの日本文学は、偉大な作家の偉大な死によって、日本人の精神の支えとなっています。
三島由紀夫(みしま ゆきお)は「名誉ある自死は、精神の自由を象徴するものである」と言い「死を美しきものとすること、いかに崇高な死であるかを求めること」というテーマを追求しました。
三島の四部作『豊饒の海』では、死を運命として受け入れる若者たちを描いています。武士道やギリシャ神話が彼の拠り所でした。1970年11月25日に陸上自衛隊の阿佐ヶ谷駐屯地で自決(割腹自殺)しました。(下に続く)
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その2年後 三島の跡を追うように 川端康成は自殺しました。彼の理想的な死は、心中だったと思います。結果としてそれは果たせず、1人で寂しい死を遂げました。
川端康成は随筆の「夕日野」に、
「作家は無頼、浮浪の徒であるべきだ。栄誉や地位は障害である」と書いています。
名誉は不遇と同じように、才 能の凝滞衰亡につながり易いと考えていました。
なのにノーベル賞を切望しました。
人の感情とは複雑で矛盾に満ちたものであります。
(下に続く)
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2人の死は、日本人の死の真逆の考え方を示していますが、それぞれに、死と向き合い小説を書きました。
三島は社会や政治を巻き込み、テロリズムすら辞さない名誉の死を選びました。
川端は、誰にも迷惑をかけない、個人的な苦しみを逃れるための死です。
まるで、日本人の死生観の対局ですが、2人とも死を見つめながら生き、創作するという点では共通していました。私は、川端の死は仏教的Parallax +モダニズムであり、三島の死は、儒教的+スコラ哲学だったのではないかと仮説を立ててみました。
いずれにせよ、
メメントモリ
文学とは、死を見つめて、死と戯れながら、あるいは死に弄ばれながら認めるものだということは同じです。
その死がいかに切実なものなのかは、その人の作品の文学的な価値につながるものなのだと思います。テロリストであろうと、色事師であろうと、狂人であろうと、それは変わらない、
その包摂性から社会が学ぶことは非常に大きいと思います。
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