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出石そばと桂小五郎
出石に来た
こじんまりとした
気のいい町
蕎麦は昔お国替えで信州から伝えられたという。
皿と瓶の白磁が美しいね
町の陶磁器のお店で、近くで白磁の石がとれると聞いた
皿を重ねていくゲーム性も去ることながら
蕎麦がうまい
蕎麦汁もうまい
卵と山芋を入れてさらにうまい
店の名前は「左京」という
日本三大騒動のひとつと言われる "仙石騒動" の
家老仙石左京から命名。
江戸時代中期に出石藩主松平氏と
信州上田藩の仙石氏がお国替えとなり
信州から来たそば職人の技法が伝えられた。
今では約40軒ものそば屋が並ぶ
関西屈指のそば処
出石は桂小五郎が蛤御門の変の後潜伏していた街としても知られる。確かに潜伏するにはいい場所だと思う。
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小五郎は、但馬出石出身の商人の助けにより、1864年に出石に潜入。昌念寺(しょうねんじ)から、養父市の西念寺(さいねんじ)城崎温泉の旅籠 松本屋(現在のつたや旅館)など潜伏先を転々と変えた。
出石周辺に潜伏するようになってから約5か月後、小五郎は「広江屋」という荒物屋(畳表・むしろ・竹籠などを扱う小売商)を営んだ。名前も広江孝助(ひろえこうすけ)と改めた。この荒物屋の跡地にあるのが「桂小五郎潜居跡」だ。
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出石のそばはそばの実を丸挽きした自然の色と出石の里の恵まれた水によって生まれる。
出石は
古事記・日本書紀では「天日槍命(あめのひぼこのみこと)」出石乙女の神話ゆかりの地と言われ、守護大名「山名氏」の本拠があった。