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№4_学生時代 最終学年でのドイツ語の美学講読演習

こんにちは!小野博也です。

このnoteでは、後2〜3回ほどしたら、大学卒業後入社したVANのことを書いていきます。そして創業者、石津謙介氏のことを綴っていきます。

それまで、もう少し学生時代のお話を続けましょう。

美学講読演習は、あの苦労したドイツ語だった

一年の教養課程で第二外国語のドイツ語の取得を失敗し、二年生でなんとか取得は出来たことは、前回お伝えいたしました。

しかし、もともと格好をつけてドイツ語を選択したのであって、好きで真剣に勉強する気がありませんでした。そして、四年生の「美学購読演習」は、ドイツ語だった為、結局、最後の最後まで、語学力で苦しむ羽目に陥りました。

この四年生までに、成績は、A(今で言うと、優の意)が、なんと25教科も評価され、さすがアメリカ人の先生宅で、下宿をさせて頂いていた成果は十分に出せていたかと思います。

そのお陰で、四年生の時には、ゼミと(近代美術を選考)、論文の「カンヂンスキーの考察」と、このドイツ語での「美学購読演習」だけの単位取得でありました。

余裕があったので、他の科目までと一応登録しましたが、結局何も取得しなかった様に記憶しています。

この近代美術ゼミの履修と、春から暑い夏休みに必至に勉強して書き上げた論文(多分84~87頁の作だったと思います)に対する教授陣(教授、助教授達、3人の面接でした)の口頭試問も無事に終えることができました。

ゼミと論文がスムースにいっていましたが、残るは問題のドイツ語の「美学購読演習」との戦いです。内容の解釈は出来ていましたが、このドイツ語の「美学購読演習」の教授は、ドイツ語学科の教授ではなく、美学科の教授であった為、なにか気分的に甘えがあった事は否めません。後に反省したことを強く、強く、記憶しています。

厳しい宣告


後期の授業には、あまり出席せずに、大学四年間の最終の本当に最終の筆記試験を受けたのでありました。ところが、2月の中旬だったかと記憶していますが、美学科かの研究室から、呼び出しがかかり、なにかと問い合わせに行くと、「君は、最終のドイツ語の美学購読演習の後期試験で、不合格であるので、追加試験を受けて下さい。」と通告されました。

本当に、本当に、頭の中は真っ白け、何が何やら、さっぱり解らず、何度も何度も聞き返しましたが、回答は変わらず追試の通告をされるだけでした。

今日はこのあたりで終わります。
次回は、追試への挑戦を書いてまいります。ご期待ください。


60年前に渡米して帰化した私の姉の長男一家。現在はサンフランシスコに在住。

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