君を好きだった頃の事
俺は美大に入るとすぐ、音楽サークルに入り、その部室に入り浸り、講義をさぼって、ずっと楽器を弾いていた。たまたまその部室の前を通りかかり、ギターを弾きながら歌う俺の姿をみていて、「一緒に映画を作らないか。」と声をかけてきた男がいる。映像研究会のヤスという男だ。「今のは君のオリジナル?そういう曲を僕の映画のために作ってくれないかな?」とかなんとか言ってた様な気がする。ついでに出演してくれないかなあ?とも。「そんなものには興味はないよ。」と断ったら、後日、女性を3人連れて部室にやってきた。「僕の後輩に君の事を話したら,ぜひ会いたいというので、連れてきたんだ。」といいながら。「私たちも映像研究会で、面白い作品を作ろうと思っているので、ぜひお願いします!」ときた。その無闇な明るい三人娘に気を取られて、「あ、え〜と・・・」と口ごもっていると,「私たちの作った映像作品を観に来てください。今日の午後6時頃から、私たちの編集室で上映しますから。」と,相変わらず明るく言って、その場所が記された案内を置いていった。ヤスは微笑みながら「来てくれるよね。」と念を押して去っていった。彼等が去った後は、なんともいえない沈黙に支配されて、楽器を弾く気持ちは失われ、コーラの空き缶にタバコの吸い殻を放り込んで、椅子の上の案内の紙をポケットに突っ込み、昼下がりの部室を出た。
部室はキャンパスの一番端っこにあって、部室の前には運動場があった。良く晴れた日に部室の前のベンチに腰掛けて、アコースティックギターでセッションをしているととても気持ちがよくて、小平市の空の下なのに、勝手にカリフォルニアに想いを馳せていた。
デザインを専攻していたので、家でやる課題が多く、夜中まで作業をして、寝坊をしてしまう事も多かった。家にいる時も大体音楽をかけていたので、(眠る時も)とにかく好きな音楽をずっと聴いていられる事が何よりも嬉しかった。ジャズを聴きまくり、ボブマーリー&ウェイラーズにハマり、福生のレゲエバンドと一緒にライブをした。ニューウェイブのロックのレコードを買い、RCサクセションのステージを観た。国立の多摩蘭坂で写真を撮り、スローバラードを歌いながら歩いた。あらゆるジャンルのカッコいい音楽を全部聴きたいと思った。気に入ったレコードジャケットはすべて壁に並べて、いつまでも眺めていた。
その日は午後の講義を終え、玉川上水沿いを歩き、鷹の台の駅の近くで食事をして帰る。一人暮らしにも慣れはじめていた。ポケットの中からさっきの映像研究会の案内が出てきた。今から、戻ればまだまにあうかな、と思ったけど、結局その日もずっと音楽を聴いて過ごし、映像研究会の事は忘れていた。
そうして、1週間くらいたった頃、学食でトレイをもって場所を探していると、ある女性が少し微笑みながらこっちを見ている。あれ、誰だろう、同じ専攻の人ではなさそうだし・・・
「どうして来てくれなかったんですか〜?」
「え?」と言うのと同時に想い出す。
「あ、あの時の、映像の3人の・・・」
その時は3人まとめての印象しかなかったので一人だけ違う場所で会うと、とっさには判らないものだ。
彼女は怒ってはいないけど、なんか言いたそうな目つきでこっちを見ている。
「・・・あ、あの日はちょっと締め切りの課題がたてこんでて〜・・・」
「え〜真面目なんですね〜課題ちゃんとやってる〜・・・でも来てくれないから、ヤスさんが、さみしそうでした〜」
そういわれると何かとても悪い事をした気がする。時間は本当は作れたはずだった。ちょっと彼らの作品を観に行けば良かったのかもしれない。
「あ、そうか、今度会ったら、また観に行くって言っておく・・・」
「え、ホントですか!?じゃあ、今日言っておきます、いつにしますか?」
矢継ぎ早に来る。こうなると向こうのペースだ。なんせこちらはお盆をもって席を探してる途中でなんともかっこつかない感じなのだし。
映像研究会の部室はハイテクな機材を備えた視聴覚室の隣接した場所にあった。ビデオ機材と編集機材がズラッと並び、音楽系サークルがひしめくキャンパスの端っこのボロボロの掘建て小屋とは比べ物にならない近代的なスペースが出現し、驚きを隠せないまま戸惑っていると、
「あ、バンドの!」
「来てくれたんだ〜」
と前回の3人娘のうちのポニーテールじゃない、あとの二人に遭遇する。
「あ、どうも。この前、もうひとりのポニーテールの子と会って、そん時にここに来るって言っちゃったから・・・」
「え〜!ケイに会ったんだ〜、聞いてないよね〜」とか言いながら二人で盛り上がっている。
その二人の声を遮るように男の声がした。ヤスだ。
「今、試写室に案内するから。」
「あ、久しぶり、先日、ポニーテールの・・・」
「ケイから聞いた。こっちが試写室。」
ヤスについて、ポニーテール以外の二人も歩き出す。その後についていくと今度はテレビモニターがズラッと並ぶ部屋にたどり着く。
「・・・あの、映像研究会って、あの8ミリとかで映画を作ってるんじゃなくて・・・」
「ここは、ビデオ技術を駆使して、映像を作り、音楽やアートを表現したり、いろんな作品を作っているところなので、撮影は全部ビデオ。それもシブサンで。」
「シブサンって???」
「四分の三の略、テープ幅が19mm(3/4インチ)だから。」
シブサンとあぶさんの違いも判らず、8ミリ、シングルエイトしか知らない俺は愕然としながら沢山のモニターの前に立ち尽くしていた。
映像研究会で作った映像作品を順番に観ていく。いろんな手法で音楽も駆使して、今は映像でここまで出来るのか、と見入っていた。でもこんなアートな作品とはあまり縁がないよな、と退屈になりはじめた頃、ヤスが
「これは主にアートっぽい、イメージ映像の分野だけど、俺はもっとストーリー性のあるものがやりたいんだ。つまり、脚本があって、役者がいてセリフがある。」
「でもそういうのは、映画の世界でやればいいんじゃない?ビデオアートはもっと感性で勝負するものだと思うんだけど。」
「なるほど、そういう考え方もある。でも、俺はあの部室で君の歌うのを聴いていて、ピンと来たんだ、これは面白そうだと。」
「え!?何?意味が判らないんだけど。」
「とにもかくにも、君の歌の世界が、イメージを広げてくれて、彼女たちに話したら、それ面白い、一緒に作ろうという事になったんだ。」
ケイといわれるポニーテールはいなかったけど、それ以外の二人は楽しそうに同意して頷いている。
「俺そんな歌うたってね〜し、大体、勝手に部室に・・・」と言いかけたけど、
「わたしはマナで、この人はカヨ。」と話は遮られ
「ヤスさんより、一年下です。学年は同じだけど。」
結局全員ピカピカの1年生じゃねーの。
マナは落ち着いた感じのショートワンレンが似合っている。
カヨは前髪を額でそろえた長めのボブヘアーだ。
「学食で会ったのがケイ、今日はいないけど。」
そんな話をして、はじめての事だらけでお腹いっぱいになり
「じゃ、また!」と帰り際に、
ヤスが
「脚本が出来たら、また持っていくから。」
と言った。
脚本?まあ、よくわからないけど、曖昧に返事をして3人と別れた。
ある日部室でダンパ(ダンスパーティの略)のためのバンドの練習をしていたら、ヤスがちょっと真面目そうな顔であらわれた。
「やっと脚本の草稿が出来たんだ。読んでみてほしい。」
とノートを一冊置いて行った。練習を終えて、ベンチに腰掛けてそのノートを読んだ。
表紙にはマジックで「君を好きだった頃の事」というタイトルが書いてある。
なんか恥ずかしくなる様なタイトルだなと思いながらページをめくる。
ある男(主人公)がある女に恋をする。だけどその女は違う男にひかれている。ギター弾きの男だ。彼のギターを聴くと恋しい気持ちで夜も眠れなくなる。片想いでギター弾きには気持ちを打ち明けた事がない。ある日、主人公の男は井の頭公園を歩きながら彼女に気持ちを打ち明ける。真摯な態度の彼に(主人公)に女性も気持ちが傾いていく。ギター弾きには仲のいい年下のファンがいる。妹みたいな存在でいつも一緒にいる。主人公と、その想いを告げた彼女がデート中に吉祥寺を歩いていると、ギター弾きが仲良さそうに年下らしい女性と歩いているのを見かけてしまう。ギター弾きの事を忘れていたつもりだった彼女の気持ちが揺らぐ。思わず、ギター弾きの前に駆け寄り、あなたの弾くギターが好きです。と告げる。ギター弾きも彼女を意識し始める。年下の女性は穏やかじゃない。主人公は・・・
というような、ストーリーが書いてあり、なんだか、よろめきドラマっぽい感じもしなくはないけど、ヤスなりに一生懸命書いたんだろうと思い、感想を伝えるためにその夜、彼に電話して彼の下宿している井の頭公園の近くで会う事にした。
「いせや」の近くの「M」という喫茶店でジャズを聴きながら、ビッグコミックスピリッツの「ぼっけもん」を読みながら、ヤスを待っていた。約束時間を少しまわり彼はヘルメットを小脇に抱え店に現れた。KAWASAKIをいつも大事に磨いていた。俺はノートを返しながら、感想を伝えた。二人分のアイスコーヒーが運ばれてきた。彼はミルクだけをいれ、俺はガムシロップとミルクをいれた。
「早速読んでくれてありがとう。」
「なかなか面白かったよ」
「でさ、この配役の事なんだけど」
「うん」
「このギター弾きの役さ」
「え?」
「やってほしいんだ、お前に」
「無理無理、芝居なんか絶対無理」
「セリフは少なくするからさ」
「セリフが多いとか少ない以前に、本人の指向的に無理があるし、大体、俺はギター弾くくらいしか出来ない」
「そう、ギターを弾いてくれればいい。ギターを弾けるやつがいない」
「この年下の女性はケイがやる。」
「あ、ポニーテール。」
「あいつは、おまえが出るなら出てもいいと言っている」
「でも主人公もヒロインも知らないけど、どんな人達?」
「同級生ばかりで揃えた。ヒロインは一番綺麗だと噂の祐子」
「そう、それってお前の好みで決めてるだけじゃ・・・」
「監督の特権だからな」
「監督って・・・やっぱりなんか昔の映画研究会のノリなんだよな〜」
「もちろん、マナとカヨも出演する」
「あいつらは、明るくていいなあ、見てるだけで気持ちが楽しくなる。」
「ところで、俺の部屋にギターが一本あるんだけど、音が出ないんだ、直してくれたらお前にやるよ」
「どんなギターか知らないけど、そんなに簡単に直せないぞ」
「じゃ、ちょっと見に来いよ」
配役の話は何となく曖昧なまま、彼のアパートに向かう。彼のバイクの後ろにまたがると、夕暮れの風が気持ちよかった。
ヤスのアパートは、井の頭公園から5分くらいのところにあった。部屋に入ると美大生らしくポスターカラーやクロッキー帳などが積み重なっていた。奥の方からギターケースを出してきて、フタを開けると、中から出てきたのは、GibsonのLes Paulだった。
「これ、ギブソンじゃん・・・」
「そうだよ」
「これ、こわれてるって、どこが?」
「音が出ない」
「そんなの配線とか、ジャックの不良とか、そんなとこだと思うんだけど」
「直せるか?」
「・・・たぶん」
そういってケースから取出して、ジャラ〜ンと弾いてみる。チューニングは、くるっているけどネックの調子も悪くなさそうだ。
「これ本物だったら、すごく高価だと思うんだけど、ちゃんとプロに直してもらえば、ちゃんといい楽器に蘇ると思う。」
「そんなにいい楽器なのかな、このギブソンは本物だと思うんだけど」
「あのね、ギブソン、ってだけで、もうすごいの。それ以上のブランドはないの。レスポールと言えばギブソンなの。俺のはグレコだからレスポールじゃないの。そっくりだけど、圧倒的に違うの。そんなものを簡単にあげるとか言っちゃいけないの。」
「でも、フォークギターと勝手が違うし、ボケた色が気に入らないから、やっぱりお前に・・・」
「ボケた色って・・・これがレスポールの特徴で、サンバーストっていう塗装方法なの。何度も言うけど、これが直ったとしても、もらうわけにはいかない。第一、お金に困ったら質屋に行けば良い金になる」
「その手があったか」
「じゃ、しばらくお前に預けるから、好きに弾いててくれる?」
「それは、まあ、いいけど・・・」
その後は安いウイスキーをロックで割りながら、帰り際に酒屋で買った缶詰なんかをつまみにして、いろんな話をした。適度に酔ったところで、彼はまた奥から今度はアコースティックギターを引っぱり出してきて、ネックをつかみ、こちらに差し出した。「弾いてくれ」
「お前が弾くんじゃないの?!」
「俺はうまくない」
「うまくなくてもいいから、弾いてよ、弾いてるとこ見た事ないし」
「もう少しうまくなったら弾いてもいいけど、今日はあの歌が聴きたい」
「なに?」
「お前が部室で歌ってた、あの曲」
「そんな歌忘れちゃったよ」
「じゃあなんでもいい」
「・・・最近よく聴いてるレコード、RCの『雨上がりの夜空に』のB面に入ってるんだけど」
そして、ヤマハをつま弾きながら鼻歌のように「君が僕を知ってる」を歌う。
何も言わず聴き入っていたヤスが、いい歌だね、と言った。
それから後は何をやってもずっと、いい歌だ、と言いながら、コストパフォーマンスの高いオンザロックを飲んでいた。
研究室に課題を提出し、わたり廊下を歩き、次の講義を聴く教室に向かう途中に賑やかな声が聞こえる。
声の方を振り返ると、3人娘が手を振っている。マナとカヨ、今日はケイもいる。足を止めると、近づいてきた。
「この前ヤスさんと、盛り上がったそうで~」
「うん、脚本も見せてもらって・・・」
「ということは、やってくれるんですね!ありがとう~」と3人口々に話す。
「いや、まだ・・・それは」と、躊躇するまもなく
「今日は、全員が集まる日だから、主役の二人を紹介するから、来てくれませんか」と、真剣な3人の目力に押さえ込まれるように
「うん、わかった、時間があれば、顔を出す」と答える。
もう、乗りかかった船だ、あとは野となれ。という気分に切り替わり、その後は3人娘ととりとめのない話をして
それぞれの講義に向かった。
夕方、映像研究会に寄ると、相変わらず賑やかな歓迎を受ける。
「あ、きてくれた〜」
「どーも」
「彼女がヒロイン役の祐子さん、みんなのマドンナ」と言いながら、祐子を紹介される。
「こんにちは」
「どーも」
「こちらが、主役を演じるシュウさん」
「こんちわ」
「どーも」
さっきから、どーも。しか言ってない~、とカヨにからかわれる。
遅れて、ヤスが入ってくる。あ、全員揃ったね、じゃあ、キックオフのミーティングにしよう。
という感じで、脚本を見ながらここはどーする、ここは誰がやる、私はそんなに器用じゃない~
俺はもっとこういう感じが良いと思う、やっぱりこれは~と収拾がつかない感じになり、どんどんその輪から離れて呆れてみていると、ケイが照れくさそうに俺の横にきて「よろしくおねがいします。」と言った。
クラスのマドンナをこの撮影をきっかけにモノにしようとしたのかどうかはしらないけど、ヤスも主人公を演じるシュウも、祐子をかなり意識していた。当然二人は恋敵のようになった。でもあっけなく勝負はついた。祐子には彼氏がいて、元々全く二人の事はアウトオブ眼中だったようで、その分気楽にこの映像制作に参加した。どちらかといえばビデオアートの方に興味があったらしい。恋のターゲットを失った二人の恋敵はときどき何かを言い合ったり、時にはとても仲良さそうにしていた。俺はと言えば、相変わらずの音楽三昧の毎日で、ビートルズのコピーバンドを組んだり、70’sアメリカンロックが好きな仲間と吉祥寺の「にしかいがん」というロックバーによく行くようになった。
撮影は順調に進んだ。シーンの合間には3人娘といつも大抵くだらない話をして、笑っていた。一緒に食事をしたり、喫茶店で打ち合わせしたり、少なくとも数ヶ月の間だけでも彼女たちとは、誰よりも気のおけない時間を共有できたし、ヤスや彼女たちと一緒に過ごす時間が好きになっていた。
クランクアップも間近のある日、その日は誰ともなく何度もNGを出したので、夜も遅くなってしまった。撮影終了後の帰り道をケイと歩く。
「私・・・なんか自信ない・・・」なんの脈絡もなくケイが言う。
「・・・?」
何も言わずケイを見た。ポニーテールをおろしている横顔がずいぶん大人っぽく見えた。
「泣きたい気分・・・」
「・・・?」沈黙があり、
「全然うまくできなくて、自己嫌悪」
「もしかして・・・」
「昨日、今まで撮影したところまでの仮編をみせてもらったんだけど、全然ダメ。立ち直れない」
「カリヘンって・・・ジミヘンとは違うよな」
「・・・」軽くスルーされて、
「私、二人のシーン、結構がんばったつもりなのに・・・それにくらべて祐子さんはやっぱり上手だし、どんどん気分が沈んで来ちゃって」
俺はギターを弾くシーン以外は適当に考えていて、みんなに会えるし楽しいからいいや、あとから編集でなんとかしてくれるんでしょ、と、高を括っていた。まったく不真面目きわまりないのはこちらの方だと逆に自己嫌悪に陥りそうなのをこらえる。
「俺はほとんど演技してないから・・・ギターを弾いて、ケイと吉祥寺を歩いて、祐子と高円寺のホームですれ違う・・・」
「でも、ギターは上手」
「芝居にはあまり関係ないし、ギターもそんなに上手なわけじゃない。それに、みんな素人なんだし、ケイが落ち込むことは無いよ。」
「こんな時、楽器が弾けたらいいなあって思う。」
「好きな音楽を聴けばきっと気分が変わる。今度カセットテープに録音してケイにあげる」
「え、ほんと?どんな音楽?」
「いろんなかっこいい音楽」
「うん、なんか、楽しみになってきた」
「よかった」
泣きたい気持ちから、少し復活した彼女の声に変わる。少しほっとする。
いつも陽気に話しかけてくるケイがはじめてみせる意外な部分に少し戸惑いながら、井の頭線の吉祥寺駅までの道。
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