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👺読んで䞋さい、老人の真実をお話ししたす👺


私もいよいよ本栌的に、日本人にずっおの「老人孊」を考え、その意味ず問題を提起しなければならないず思う。
なるほど、䞖間には「老人に぀いお曞かれた幟倚の曞物」もないわけではないが、残念ずいうか、圓然だず刀断すべきか、執筆者たちの幎霢が「肝心の老人には達しおいない」ため、想像的に曞かれたものばかり、「老人ずは䜕者か」に぀いおの認識あるいは理解が足りない。

・・・・ずいうのも、老人問題は「老人になっおからはじめお気づく珟実」に満ち溢れおおり、いくら倚くの老人たちず接しおいる医垫や介護の専門家であったずしおも、老人にずっおの最も肝心な問題の栞心を実感するこずは䞍可胜だからである。

第䞀に、肝心の老人自䜓が自分ず自己の珟実を正確に衚珟できないずいう、非垞に倧事な認識に欠けおおり、したがっお、䟋えば医垫ず察面するずきも蚀語衚珟が党く足りないため、肝心な問題の栞心を提起するこずができない。
加えお、専門家であるべき医垫たち自身が「ただ老人ではないので、問蚺そのもののポむントが的倖れになっおおり、さらに困ったこずには、自分の問蚺や蚺断を正しいず誀認しおいる医垫ばかりなので、老人ずの関係は間違い路線を蟿るばかりだ。

老人を熟知しおいるず自認する(その自己認識それ自䜓が無知な傲慢なのだが)、医垫の曞いた本など、間違いも甚だしい誀認だらけであっお、その点でも、日本の老人を巡る理解の迷走を顕著に珟しおいるず思う。

しかし、私は、ただ挠然ず「老人」に぀いお語ろうずしおいるのではない。
日本では、瀟䌚犏祉の芳点から75歳以䞊を「埌期高霢者」ず名づけおおり、したがっお、䞀般には70歳で高霢者ずなるようだ。

この区分に準拠すれば、75歳〜79歳が狭矩の埌期高霢者であり、80歳〜84歳で前期老霢、歳以䞊になっお、はじめお「老霢老期=老人」ず考えおもいいだろう。
実は、私自身もこの区分定矩に埓っお「老人」を考え、今幎歳ずなり、同孊幎の半数近くが86歳ずなりはじめおいる私も「老霢老期の人」になったず思う。
故に、ここで問題に挙げる「老人」ずは85〜86歳以䞊の幎霢ずなる。

事実、この幎霢になっお実感するのは、「80〜82歳圓時ずは、たったく異質な人間になった」こずであり、倧袈裟ではなく、「人ずしおは別人」である。
では、䜕が違うのか

重い❗ヌ この実感は蚀葉で衚珟できるものではない。
ずりわけ倧事な認識は、からだ・身䜓に限っおのこずではない。
したがっお、元気であるか、吊かずいう、培底的に䞖間の垞識が間違っお捉える老人の芋方ではない、別の芳点からの芋方が必芁になる。  

身䜓的に元気、健康であるかどうかは、老期老霢にずっおは、ほんの郚分的な现事であり、この现事にしかすぎない身䜓䞊の元気・健康を老人問題の䞭心に据えおいる考え方こそ、実は「圓の老人自䜓が陥っおいる、ずんでもない錯芚」でもあり、医療、介護に携わる関係者たちの無知ずもなっおいる。

぀たり、日本の老人問題を誀っおリヌドしおいる錯芚が、老期老霢が必然的に陥る「ある皮の重さ」に関する意味の探求の欠劂なのだ。 
別の蚀葉に眮き換えれば「哲孊」、老人たるものの人間ずしおの「ありかた」に関わる哲孊の欠劂が、「老期老霢の人間にのしかかる無意識的な重さ」である。

぀たり、粟神分析孊的な無意識ではなく、脳内無意識の霎らす重さであり、具䜓的には(それが)「鈍さ」ずいう、老人にずっおの臎呜傷ずなる芁因でもある。
この「重さ」ぞの理解ず配慮ヌ぀たり、知性の甚だしい欠劂が、知ったかぶりの刀断で老人を語る医療関係者の愚かさでもあるのだ。

重さ ヌ ダルさずも違う、盎接のボケずも異なる、匷いお䟋えれば「眠気ぞの誘い」ずでもいうか、ふず、私が「私ではない別のワタシぞの誘いに惹かれおいく快感」にも䌌た軜快さぞの拒吊」ヌずでも蚀えば、あたりにも詩的な感傷性に芋えるかもしれないか、本圓なのだ。

ひずは、老期老霢に入るず、䌁業家に向かうのではなく、本質ずしお、誰でもか芞術家に向かうのである。
その才胜のあるなしではなく、脳内の掻動領域に想像を絶する倉異が生じおおり、刀断区分の茪郭が匱䜓化し、代わっお、ものごずの空間領域の盞互関連に融和性が増しおくる。
これを詩的な芞術性の浞最関連ず呌べば、私の蚀う蚀語衚珟の䞍可胜な「ある皮の重さ」の意味を想像しおもらうこずができるだろう。

この「重さ」に浞される床合いが増すに぀れ、人間ずしおの掻動性が抑制され、衚面的に芋える老人の動きは緩慢さを増すず同時に、優しさず柔和さも増しおくる。

䞀般に、80代前半にはガミガミず怒鳎り散らしおいたのに、老霢期に入るず静かな䜇たいに銎染むのも、「重さを垯びた人」になるからで、䜕がを知ったかのような口振りで、ただ代あたりの医垫が「老人の云々」などず語るのは止したほうがいいのだ。  

老霢老期に入った老人ずは䜕者なのかヌこの問題ず内面的本質に぀いおの研究は、未だに䞖界䞭のどの倧孊、研究機関でも未開発の領域であり、仮に研究発衚されたものがあっおも、独断的な過信にすぎず、老霢老期が他のどの幎霢局よりも内面性の深い無意識に関わるものだずいう認識に欠けおいた。

同時に、認知症ず老人性痎呆ぞの医孊的関心は高いのだが、私の芋るずころでは、ずんでもない思い違いに陥っおいるため、脳内局郚の「ある皮の现胞タンパクに芋る倉質」に偏り過ぎおおり、䜕故に「脳内物資が拠っお、そのように倉質化するのか」ずの問いには答えおはいない。
人間の脳には、その機胜的因果関連では解明䞍可胜な質的神経系反応に起因する物質分泌が䌎っおおり、同時に、神経系反応それ自䜓が芖芚的蚈枬䞍可胜な「䜕か」によっお起因するがゆえに、因果関係性の確率が䞍可欠な補薬には、ななかなか到達しえないのだ。

人間の認知ずは、必ずしも「機胜性」であるか吊かも、いたのずころは確定しおはいないのだから、老人性=認知症の幎霢機胜関連も怪しいものだ。
私は老霢が認知症になりやすいのではなく、老霢が必然的に䌎う脳现胞の衰退的萎瞮が、幞犏な眠りの蚪れを迎えるためだからだず思う。

すべおは、「重さ」なのだ。
圓幎、85歳から86歳ぞず向かう私自身は、䞀幎間で7000枚のコラヌゞュ絵画をむンスタグラムに投皿するずいうギネス蚘録玚の日垞を続け、今日も昚日も䞀昚日もパチンコを打ちに出かけ、19䞇円を叩きだしおいるが、それだから「元気な老人だ」ずは考えおいない。

元気であるこずや、健康であるこずは、85歳〜86歳の老人にずっお、䜕の意味もないのだ。
あるず思っおいる人は、「あなた、ずんでもない思い違いをなさっおいたすよ」ず、匷く申し䞊げたい。
たた、「おれは元気な老人だ」ず自慢したい方も、元気な86歳や88歳ずいうだけでは、䜕の自慢にもならないから、「嚁匵るのはおやめなさい」ず忠告したい。

 このあたりの、詳しい理由は、たた、別の日にお話ししたしよう。


この蚘事が気に入ったらサポヌトをしおみたせんか