空は、澄み渡って穏やかだった。雲が幾つか浮かんでいたが、太陽の光を遮るものではなかった。 陽光は、その下にあるものに、あまねく降り注ぐ。とうぜんのことながら、辺りを住宅に囲まれた、その場所にも降り注いでいる。そこでは、全ての物体の姿形が明らかになり、その本性が開示されているかのようだった。そこは、あまりに純粋であるがゆえに、物が動かず、従って風も吹かないかのようなのだ。そこにあるものは別の何かを表しているのではなく、ただそれ自体の内在的な本性が、明るみに投げ出され、世界に
その空き地は、フェンスによって周りを囲まれ、仕切られている。緑色に塗られた金属製のフェンスの、その網目の隙間は粗いから、内部の様子を確認することは容易だ。 といって、その空き地の上にあるのは、とりたてて言うほどのこともない。 空き地の中央の部分には何もない。奥の壁際には、ほとんどガラクタに近いような板が立て掛けてある。それと背が低く、横に長い、用途のよくわからないが、しかしおそらくは工事のときに、人の往来を制限するために使うような、鉄製の器具が置いてあった。それくらいのも
これは、ひとつの敷地である。 アスファルトで舗装されたこの敷地は、四角形に区切られ、外の土地と隔てられている。表面は、濃い黒の部分と、白っぽくなっている部分と、色彩に濃淡がある。 手前の歩道とは、縁石によって、僅かな高低差を設けられて、区切られている。縁石沿いには、薄黄色の穂のついた雑草が、ところどころ生えている。縁石の下部に、僅かに生えている部分もあれば、上部に、かなり生い茂っている部分もある。雑草は、縁石の線上だけではなく、敷地を取り囲む境界線に生えている。そうでな
なにやら得体の知れない英語のような記号の連なりが、白いスプレー塗料を用いて大きく書かれている、粗末な素材でできた青い壁の、その下に拡がる地面には、細い茎を持つ短い雑草がびっしりと生え、また張られた細いチェーンで仕切られている、道路に面した敷地との境界の、その両端には葉の大きな草も生えていて、つまり敷地の一面全体は柔らかな緑で覆われているから、そこには豊かな自然の生命力を感じ取れると言っていいのかもしれないが、しかしでもその敷地の真ん中あたりなどが、灰色と黒色の地面が剥き出し
0・はじめに 北野武の19作目の長編映画となる『首』には、観るものに手放しで絶賛させることを、躊躇わせるような何かがある。さりとて失敗作として切り捨てることの出来ない魅力にも溢れている。何かが異常に過剰で、何かが圧倒的に足りないのだ。 要するに、本作は、評価するのを戸惑わせるという点で、“問題作”ということである。少なくとも、私はそう思う。では、この作品を問題作にしている要素とは、どんなものなのだろうか。 以下、ネタバレを含むのでご注意を。また当然のことながら、既
どうしてそうなったのか、それを知るものは誰もいないし、おそらくは確かめようもないことなのだが、海を突き進む船の波紋のような形で、あるいは鉤(かぎ)のような形で、黒のビニールシートの一部分が裂かれたことによって、露出し、大気に触れている、乾いた薄茶色の地表には、灰や白や臙脂っぽい色の大小様々な形の石が散らばり、枯れて色の抜けた長い雑草の茎の束と、地中深く埋まっている内の一部分だけが飛び出たパイプやバルブの類、そして空の、ラベルも剝がされたペットボトルが一本、転がっているだけで
敷かれた黒いビニールシートの隙間や破れ目のところどころから、成長した雑草が生え出ていて、一本の茎の頭頂部に白い小さな花を咲かせているだけのささやかなものもあれば、細長い葉と薄黄色の穂を噴水のように飛び出させているものや、極めて長い茎を持って天に伸びようとしているもの、子犬でも隠れられそうな茂みにまで成長しているものなど、規模は大小様々であって、人の手入れが為されないまま放って置かれたようなその雰囲気は、アスファルトの道路とを隔てる境目に、一本だけ立っている細い木の杭に、かつ