「他者といる技法」読んだ記録


今回読んだ本


タイトル : 他者といる技法
著者 : 奥村隆
発行所 : ちくま学芸文庫

概略


この本は、「他者との関わり方」の一例を紹介してくれるものである。
私はこの本を通して、日頃感じている「小さな悲しみ」との付き合い方を考えるきっかけを頂いた(本当は、「付き合い方を学ばせて頂いた」と書きたいところではあるが、きっとこの本は「学びという形で問いを閉じる」ことを望んではいないと私は考える)。

はじめに


第6章では、「理解」について述べられている。「他者を理解し過ぎている状態が存在する」というのだ。
前提として、人間は必ず「理解の過小」状態にあると言える。他者が何を考えているのか完璧に理解することができないからだ。しかし、ここで注意すべきは、「過小とは、何らかの基準を設けなければ使えない言葉である。」ということだ。ここでいう「理解の過小」とは、「完璧に相手を理解する」という基準のもとでの過小だと言えるだろう。
この前提の中で、「完璧な理解」ではなく「適切な理解」を基準とすべきだと言う。他者を「理解できる対象ではなく、理解できない対象」と捉えるということだ。この時、常に「理解の過小」状態であった人間に「他者を理解し過ぎている」という新しい状態が定義されるのだ。

この本を読んで考えたこと


概略で、「小さな悲しみ」と述べた。私の経験から、「そんなことをする人だとは思わなかった」を挙げたい。
この感情を「理解」という観点から考えると、「他者を完璧に理解できる存在だと仮定して、枠組みに入れている」ことに気づくことができる。他者を、「理解できる対象ではなく、理解できない対象」と捉えることができれば、「そんなことをしない人」と定義しなくなるのではないだろうか。

まとめ


「他者を完璧に理解することはできないし、自分が完璧に理解されることもない。なんとも言い切れない状況の中で、それらしくそこに存在している。」この状況に気づいたことで、私はより自由に生きていけるだろう。

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