教師の先輩力 10の原理・100の原則
まえがき
こんにちは。堀裕嗣(ほり・ひろつぐ)です。
前著『教師の仕事術10の原理・100の原則』(明治図書・二〇一八年七月)から四年半が過ぎました。年を取ると月日が流れるのが早いもので、「仕事術」を上梓したのはついこの間という感じがしていました。本書の依頼は前著刊行直後にいただいていたのですが、まさか五年近くもほったらかしにしていたとは、我ながら呆れているところです。
本書の「先輩力」という概念は、若手をどう指導しどうアドバイスするかということなのですが、実は以前に似たような本を書いています。『若手育成10の鉄則・100の言葉がけ』(小学館・二〇一六年二月)です。こちらは言葉がけの本でしたので、先輩教師としての指導やアドバイスの「台詞」の本でした。従って、本書は「言葉がけ」の裏にあった思想を、「仕事術」の体裁に再構成するという趣の本になっています。
「ハラスメント」という概念が世の中に流布してから三十年が経ちます。本格的に現場に浸透してからでも二十年は経っているでしょう。
しかし、「ハラスメント」という概念は当初、「セクシャル・ハラスメント」を中心に論じられていました。多くの男性の「セクハラ」が報道されもしました。加害者が常に、「そんなつもりはなかった」と同じ言い訳をしていたのが印象的でもありました。しかし、それに対しては、言った側の意図がどうあろうと、言われた側が「ハラスメント」と受け止めればそれは「ハラスメント」である、という論理が展開されました。それはちょうど、いじめられる側が「いじめ」だと思えば、いじめる側の意図がどうであろうとそれは「いじめ」である、という論理と同様の構図です。
学校現場を考えると、この論理は、「セクシャル・ハラスメント」においては、割と容易に受け止めることができます。被害者の人権を考えればこの論理は当然のこととして受け止めることができますし、何より「セクハラ」という行為・発言は仕事上の必要性とは無関係だったからてす。セクハラ行為もセクハラ発言もせずに仕事を進めることは、誰にとっても難しいことではありません。それをやめられないのは、いわゆる「ビョーキ」の人たちだけでしょう。
しかし、「パワー・ハラスメント」という概念が登場して、状況は一変しました。若手に対する命令・説教・指導・説諭を現場からなくすことが、一般には考えられないことだからです。それ以前は管理職研修の一部でなされていたこの概念が、二〇一〇年代の前半から半ばにかけて強力に浸透する中で、職員室が目に見えてその様相を変えてきました。先輩教師が若手教師に指導することを躊躇するようになったのです。若者のためを思ったら言った方がいいのだが、最近の若者はよくわからないし、パワハラだなんて言われたらとんでもないことになるからやめておこう、そういう選択肢を取る先輩教師が増えたのです。そして、若者を直接的に指導するのは学年主任と管理職だけという、「縦組織」の構造が如実に顕在化してくることとなりました。
「パワハラ」と認定されずに若者を指導・援助するということは、その若者の難点をよく分析し、何が必要かを検討し、どのように言えばその若者に伝わるかまでよく吟味しなくてはなりません。そんなめんどくさいことをやらされるには、仕事としてその若者を育てることを課せられている人、即ち直接の上司である「主任」か「管理職」か、そのどちらかの立場にある必要が出てきたのです。俺はあの若者を育てる責任を課せられていない、良かれと思って指導してもそれがあだになる可能性があるなら自分は手を出す必要はない、意識的・無意識的にそう考える先輩教師が猛烈に増えたのが二〇一〇年代であったと僕は感じています。時代は「働き方改革」真っ盛り、それでいて「学校の危機管理」の観念も具体的に導入された時期でもありました。それらの機運が「めんどうなことにはかかわらない」という方向に拍車をかけた側面もあります。
行政が「教師のバトン」を鳴り物入りで導入したのは、二〇二一年の春のことです。本来は教師による教職に対するポジティヴな発言を集めることを期待して立ち上げた「教師のバトン」が、結果的にネガティヴ発言の集積に陥ったことが話題になったのは記憶に新しいところです。
二〇二二年になってTwitter上では、初任者の「何も教えてもらえずに担任をもたされた」「仕事があふれんばかり押し寄せてくるのにどう処理していいかわからない」という投稿が目白押しです。彼ら彼女らは夏休みに解放感から休みまくり、遊びまくり、夏休み後半には泣きの入った「二学期どうしよう」投稿であふれました。初任者は夏休み中にある程度二学期の準備をしなければ間に合わない、そんな先輩教師ならだれでも言えるような言葉がけをほとんどの先輩教師がしなかったのだということです。たまにそれを言った先輩教師を「うざい」と投稿している初任者を見ることもありましたから、この現状では仕方ないのかもしれません。
とにかく、現在、若手教師の力量形成をめぐる環境は、完全に「負のループ」に入っています。先輩教師は「自分は直接の上司じゃないし、リスクをとってまで指導する義務はない」とだんまりを決め込み、若手教師は「苦しい。優しく教えて欲しい。このままじゃだめになる」と叫ぶ。そして双方の思いが双方に届かない。現状は何も変わらない。結果的に若手教師自身とそれを指導する責任を課せられた主任・管理職だけが苦しむ。若手教師の中からは教職のやりがいも楽しさも知らないままに退職する者も出始める。そうした若者たちの声がSNSを闊歩するものだから、とうとう教員採用倍率まで目に見えて下がってきた。当然、臨時採用や講師を希望する採用試験待機者も減るので、退職者や休職者の枠を埋めることもできない。学校運営がまわらなくなる。もう、手の施しようがない状況が続いています。
そんな状況でも、自分が学年主任を担い、その学年に若者が配属されてくるということはあります。そんなときには、さすがに指導しないというわけにはいきません。その若者が育たない限り、自分の学年がまわらなくなるわけですから。とすれば、たとえ心ならずではあったとしても、自分が若手を育てることを課せられたときにどうすればいいかという心構えだけは、最低限もっていなくてはならないということです。
「褒めて育てる」とよく言われますが、褒めてばかりいたのでは間に合わない若者が確かにいます。かと言って、かつてのようにガンガン鍛えるという方向性では、「パワハラ」と言われかねません。飲みに連れて行って情を交わし合うという機会ももうなくなったと言って過言ではありません。先輩教師としては八方塞がり感があるのも事実です。しかしそれでも、かかわらなきゃならないときはかかわらなきゃならないのです。
僕は二〇〇〇年代の半ばから二〇一〇年代にかけて、学年主任として若者たちを育てなければならない立場にありました。計十三人の新採用教師とかかわりました。なぜか僕の学年には新採用教師がたくさん配属されるのです。たぶん僕が校内人事でメンバーの希望を言わないタイプの学年主任だったからだと思います。力量のある者を集めて安定的な学年運営をという感覚が僕にはなかったのです。それより力量のない若者なら育てりゃいい。僕はそう考えていました。学年に成長途中の溌溂とした若者がいることは、子どもたちに良い影響をもたらすとさえ思っていました。そうした中で、たくさんの若者たちと出会ってきたわけです。
いまとは少々時代も違いますから、いまでは通用しない手法があることも自覚しています。そんな中から、本書では、いまでも通用するだろうと思われることだけを抽出して構成しました。本書が若手育成に悩む先輩教師の一助となれば、それは望外の幸甚です。
なお、第二章では、各節の最後の二項目に象徴的な「言葉がけ」の例になるだろうというものを意図的に載せました。拙著『若手育成10の鉄則・100の言葉がけ』と重複する部分がありますが、御了承いただければと思います。
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