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私たちから自由を奪うのは、選択肢の多さという不都合な真実。
・ワークアズライフ
・未来のはたらき方
・女性のワークスタイリング
いま世の中は、本来であれば300年はかかると言われている「生き方改革・はたらき方改革」が15年という短い期間に行われているといいます。
インドのカースト制度は不自由なようでいて、その実際は幸福をもたらしているという話もあります。
選択肢が少なく、不自由だけれども、未来の仕事やお金を保障されている生活は人々に安心と幸福を与えているという話です。
いま日本は、というより世界全体として、テクノロジーの進化に合わせてどんどん自由度と選択肢が増えてきています。
究極、働いてもいいし、働かなくてもいい、みたいな世界だって見え始めているわけです。
ですが、そんな大きなスケールで見なくても、もっと小さな枠の中でも私たちはすでに「自由による不都合」を感じ始めています。
特に私が専門とする、個人ビジネスの起業サポートという分野、特に女性の起業支援の領域だとより顕著です。
社会的な、客観的なところで価値があるものを仕事にすればいいのに、それを仕事にせずに「好きなこと」「やりたいこと」にチャレンジできる可能性や選択肢が、私たちを苦しめることもあります。
例えば、以前の会社の関係で、資産運用の知識やスキルがあるとしたら、それを仕事にした方がかんたんなはずです。
だけど、自分の好きなファッションの分野で起業しようとか、そういう自由度、選択肢が私たちにはあります。
そしてそこにはさらに、
「それでは稼げない」という現実のギャップがあったりもします。
こう考えると、これからの私たちに必要なスキル・能力というのは、このあたりの部分なのでは、ということです。
仕事にできる専門性はあるけど、やりたくない。
やりたいことはあるけれど、仕事にできる専門性が弱い。
専門性が高いかもしれないけれど、市場価値が低く稼げない。
Twitter もブログも、Instagram もYouTube もFacebook も何でも集客ツールが無料で使えるからこそ、選択肢があるからこそ、私たちは悩む。
思い切って、Twitter だけが唯一の無料集客ツールの方が私たちは考えなくてもいいし、あきらめもスッパリとできる。
でも、自由度の高さと選択肢の多さが、私たちをそうはさせない。
イチローを始めとするアスリートや、億越えをするような小さな会社の社長たちは、自分たちを
・不自由で
・少ない選択肢
に追い込むプロなのではと思う。
表現を変えれば、「本業を磨く、本業に集中する、プロフェッショナルにこだわる」ということもできる。
会社員だって考えようによっては同じで、
・苦手
・好きじゃない
・やりたくない
というストレス三昧だったとしても、やり続けなくてはいけないという不自由と選択肢の少なさから、専門性の高いスキルが身に付く、という側面は見逃してはならない。
この世の中は、
何か新しいことを始めるよりも、継続して続けるということに価値がある。
見方を変えれば、自分の強みを伸ばし、また新たな強みを発見し、そしてさらにそれを伸ばし、弱みは改善または人に任せる、
ということ繰り返し繰り返しできる人がとにかく強い。
ホリエモンの多動力も、ニシノアキヒロさんの自由な発想も、一見すると新しいことをどんどん始めているように見えて、その実際は、
「自分らしさ、自分の強み、求められるもの」
をとにかく追及する姿勢なのではと思うし、自由度の高さに眩暈を起こしているようには見えないし、選択肢の多さに頭を抱えているようにはもちろん見えない。
私たちは、自分の手で自分たちの選択肢を減らし、自由度を制限して、本当の自分を発揮できるところに集中することがこれからの時代はさらに要求されるのではないだろうか?
かつて、不自由で少ない選択肢を壊そうと戦ってきた私たちが、今度は自分たちのために、自らの手で、その増えた選択肢を減らし、自らの手で自由を制限し、そこから本業を磨き、プロフェッショナルを目指す。
そんな、『自制力』を求められる時代に突入したのかもしれない。