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〈雑記〉病は気から、気は病から
持病が進行している。不如意。毎日が病みとの闘いだ。治る見込があるならまだ希望はあるが、それがない。ただ、今すぐ生命が奪われるような病ではないので、そこは救われているが、やはり辛い。
辛いながらも、末期がんで今実際に緩和ケア病棟にいる友人を思う。モルヒネと強い痛み止めのシールを鎖骨の下に二枚貼り付け、足がパンパンに腫れている彼女の苦しさから比べると、私はまだまだ甘いのだ、と自分に言い聞かせる。
「昭和33年生まれはだめだねえ、もう」
見舞いに行った病室で、私と同い年の彼女が弱々しく笑いながらぼそっと放った言葉が意外に染みた。陽気であっけらかんとして、面倒見の良い昭和の肝っ玉かあさん。今ではその面影はない。
一番いけないのは、体の具合が悪いと精神までが不安定になることだ。それまではなんでもなかった英語を習いに来る小学生や中学生のやる気のなさや、落ち着きのなさにかなりイライラとしてしまう。声こそ荒げないが、知らずに自分の目つきがきつくなってしまうことだ。
そもそもこの教室に来ている生徒の99%は自ら英語を勉強したくて来ているわけではなく、「これからの世界は英語が必要だから小さなうちから」と、考える親の意向で来ているのだから、やる気を発揮してどんどん伸びていく子というのはほんのひと握り。あとは常に時計を見て授業が終わるのを今か今かと、そわそわ待っているような子ばかりだ。
そんな子供が私の問いかけに怠そうに答えるのを見ると『もういい、お前は英語の勉強なんかしなくていい!家に帰ってゲームでもやってろ、馬鹿野郎!』と喉まででかかるが、それをじっと飲み込む。こんな我慢ばかり繰り返しているとストレスで禿げそうだ。小さな英語塾ですらこうなんだから、小学校・中学校の教師という職業はさぞかし大変だろうと思う。
そんなことが端緒となり、体の具合が悪いとますますこの世のあらゆることに腹が立ってくるようになる。テレビで放映される様々なニュースや、芸人ばかり出ていてガヤガヤ五月蝿いバラエティショー。いくら見ても誰が誰なのかさっぱりわからない流行りの歌手達で構成される音楽番組。『いったい俺は何を見せられてるんだ』と訝しい。おまけに妻や家族、周りの人々が話す何気ない言葉が気になりネガティブな反応をしてしまう。
つくづく思うのは「病は気から」と言うが、実は『気も病から』なのだということ。今の私はいたっていつもの私ではない。でもこのように自分を客観的に見られるうちはまだ救われているのだろう。いつか自暴自棄になり、自分の全てを暗闇に食わせてしまうようになる日が来るのではないかと思いながら、足元を見つめているぎりぎりの毎日なのだ。