ひろとおまけ

人生の山や谷をいくつも越えた、熟年のはずなのに生っぽく、きれいに枯れきれず青臭く、円くなりたいと願いながら自分の棘を持て余し、「まだやれる!」「いやあかん…」の間を日々行ったり来たりしている関西住まい。

ひろとおまけ

人生の山や谷をいくつも越えた、熟年のはずなのに生っぽく、きれいに枯れきれず青臭く、円くなりたいと願いながら自分の棘を持て余し、「まだやれる!」「いやあかん…」の間を日々行ったり来たりしている関西住まい。

最近の記事

みんな誰かの遺族 すべて誰かの遺品 「クルマの思い出」

 クルマの半年点検でトヨタのショップに行った。  広いショールームの前のテーブルには、わたしより少し若いくらいの中年の女性とその母親らしい二人が座っていた。後ろ向きで顔は見えないが、椅子の背越しに母親(たぶん)の短い白髪を見ながら、あれがわたしと母さんならな、と思った。  母さんならトヨタに行こうよ、と誘っても、いやや一時間もぼおっと待ってるんなんて、と言っただろうな、とは思いつつ、帰りにスーパーマーケットに買い物に行くからいっしょに一回行ってみようよ、としつこく誘う自分や、

    • AIコンシェルジュさゆり

      レストランに電話をして店員に予約をし、数日後に確認の電話を入れると、 「AIコンシェルジュのさゆり」が応答し、さゆりの指示通りにYes/Noを言わないと前に進んでくれない。 さゆり:「ご予約ですか」 わし:「…」(なんじゃこれ) さゆり:「はい、いいえ でお答えください」 わし:(ムスッとした声で)「はい」(くっそー) さゆり:「新規のご予約ですか」 わし:「…」 さゆり:「はい、いいえ でお答えください」 わし:「予約の確認です」(くっそーくっそー) さゆり:「ご予約時の

      • みんな誰かの遺族 すべて誰かの遺品 「相手をおもうこと」

        大好きだった母を失ってから思うのは、わたしは母の気持ちを知ろうとしていただろうか、ということだ。 自分の母と姉(私の祖母と伯母)が認知症になってしまったため、母は早くからそうならないためのあらゆる努力を惜しまなかった。 認知症だけではなくて、毎日の生活の中でも、無駄遣いもせず、工夫して、かわいらしい楽しみを大切にして、そして子供に迷惑をかけないことを至上命題のように心の芯に据えて生きていた人だった。 子供が小さい頃はとても厳しい母親だったし、成長してもなにかあれば強い母がリー

        • みんな誰かの遺族 すべて誰かの遺品 「話してはいけないこと」

          自分の悲しみはきっと他人に話してはいけないことなのだ。 誰もうっとおしい話は聞きたくない。 話どころか、うっとおしい表情だけでもいやがられる。 誰しも明るくて楽しくて前向きで自分をいい気分にさせてくれる人やモノだけが好き。 でも もう私はこれからのことは考えられない というか、考えるのはすごくエネルギーが要る。 若くはない、のもあるのかも。そして母を失ったことで、ほんとうに過去のことを思うしかできなくなった。 いつでも母と一緒だったわけではないし、一緒に暮らしていない期間も

          みんな誰かの遺族 すべて誰かの遺品 「節目」

           母が亡くなってからほどなく、扇風機や夏物の衣服をしまい、ヒーターや冬物の衣服を出す季節になった。  扇風機の掃除をしながら、「これを出したころは…」と、どうしたって考える。母がもう長くないと知らされて、これをしまうころはどうしているかな、と胸のつぶれるような思いをしながら扇風機を箱から出していたつい半年前のことを思い出し、もう治らない病だとわかってあとどれくらい一緒にいられるか、そればかり考えていた日々だったけど、それでもそこに母はいたのだ、と何度も何度も思った。  季節

          みんな誰かの遺族 すべて誰かの遺品 「節目」

          毎日の小さな「リセット」で心も軽く

          「リセットの習慣」 著:小林弘幸 生きていく上で、リセットってずいぶんハードルが高い気がします。特に仕事をしたり家庭を持つと、リセットする機会なんて何回あるでしょうか。そんなこと怖くてできない、ゲームじゃないんだし、と思いがちです。 でもこの本でいうリセットとは、毎日の生活でできる「リセット」。ひとつひとつは小さいけれど、「これができたら気分が上がるだろうな」というリセット術が99個、網羅されています。 「はじめに」にもありますが、自律神経はささいなことで乱れてしまうらし

          毎日の小さな「リセット」で心も軽く

          みんな誰かの遺族 すべて誰かの遺品 「甘え」

           週末のたびに部屋の片づけをしている。母の遺したものを整理するだけでなく、母がいなくなったことで変えなくてはいけないことが次から次へと出てくる。毎日の家事にプラスしてその作業をしている。  一緒に住んでいたけれど、知らないものはたくさんある。しっかりした母だったから、私が彼女の身の回りの世話をする期間はほとんどなかった。最後まで私の身の回りを気遣ってくれたが、私が彼女にそうすることはほぼなかった。いなくなってしまってから、「何らかの理由でこれは捨てられなかったんだな」と、遺品

          みんな誰かの遺族 すべて誰かの遺品 「甘え」

          みんな誰かの遺族 すべて誰かの遺品 「卵」

           夕食の支度で固ゆで卵を作った。大きいのと小さいのと2つの卵をゆでた。大きい卵に縦に包丁を入れた瞬間、「あ」と声が出て、その一瞬で母がいたいつかの日の夕食の支度に心が飛んだ。  その日はゆで卵ではなくて生卵を割ったのだった。今日と同じように私が「あ」と声を上げてそばのリビングにいた母に顔を向けると、「黄身がふたつあったんか」と言うので、勇んで話そうと思っていたわたしが「なんでわかるん?」とがっかりして訊くと、「生卵を割って、あ、って言うたら双子の卵に決まったぁる」と笑ってい

          みんな誰かの遺族 すべて誰かの遺品 「卵」

          みんな誰かの遺族 すべて誰かの遺品 「鏡台」

           母がお嫁入りの時の写真を見せてくれたことがある。その中にトラックの荷台に積まれた婚礼家具のモノクロ写真もあって、和ダンスや洋服ダンス、布団に交じって鏡台があった。母の母、つまりわたしのおばあちゃんが結婚のときに贈ってくれたのだ、と母は言っていた。姿見を兼ねた縦長の鏡には布の覆いが掛けられ、小さな幅の飴色の台部分は左側に抽斗が上下にふたつ、右側には扉がついていて、小ぶりな椅子もその前に鎮座していた。  となり近所の人たちに見送られて紅白のリボンで飾られた婚礼家具を積んだトラッ

          みんな誰かの遺族 すべて誰かの遺品 「鏡台」

          みんな誰かの遺族 すべて誰かの遺品 「遺されたものもの」

          亡くなった家族の使っていたものを整理するのはつらい。母を失った直後は触れることすらできなかった。箪笥の抽斗にきれいに並べられた細かな下着やタオル、着古されたTシャツやズボンといった衣服を目にして、もうこれを着ることはないのだな、と思い、自力でできなくなる直前まで、ひとつひとつ折り目正しくたたんでしまっていたその指先を思い出し、抽斗を開けたままで泣いていた。 母は物を粗末にしない人で、私のお古を私よりきれいに着ていた。針と糸を持つことを面倒だと思わず、年老いて背丈が縮んできた

          みんな誰かの遺族 すべて誰かの遺品 「遺されたものもの」

          みんな誰かの遺族 すべて誰かの遺品 「親指をにぎる」

          わたしがまだ小さかったころ、今とは違って霊柩車というものはとても豪奢な造りで、黒いタクシーの上にまるでお神輿のような飾りがついたものをよく見かけた。だから近くに不幸があればすぐにわかり、中には亡くなった人が入っているのだとわかってはいたが、そのころはまだお葬式も家族の死も自分とは別の世界の話だった。 小学生のころだろうか、友達と外で遊んでいると霊柩車が通り、その友達はあわてて両手の親指を中に入れてぎゅっと握った。なぜそんなことをするのか、とわたしが尋ねると、「お父さんやお母

          みんな誰かの遺族 すべて誰かの遺品 「親指をにぎる」

          まずは自己紹介

          はじめまして。「ひろとおまけ」です。わたしがNOTEを始めるきっかけになったのは一昨年に母を亡くしたことでした。 大好きな母のことを記憶が薄れていく前に書いて残しておきたい、という気持ちが一番の理由でした。ただ、最初は表現しきれないほどの淋しさやつらさを公開することへの抵抗があり、誰の益にもならないし読んでもらえない、としり込みしていました。 でも私自身「こんなつらい日々をほかの人はどうやってやり過ごせているんだろう」と、つらくてたまらない時にあちこち検索して、同じ立場の

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