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ふたり景色


 正夫さんのおうちは山手通り沿いに建つマンションだった。外観はレンガ調のタイル貼りで、エントランス扉は押して開けるガラス製だ。

「ここなんですよ」と正夫さんは中から扉を押さえて入れてくださった。外観タイル張りのマンションが流行りだしたのはいつ頃だろう。8つの頃、家族で引っ越した桜新町の賃貸マンションがこんな感じだった。破損や汚損のない共用部からは、行き届いた管理が窺い知れた。建物はきっと分譲なのだ。

 エレベーター扉が開くと、目の前に住宅街の空が飛び込んできた。正夫さん宅は7階の角部屋だ。玄関ドアがまた良い感じではないか。昔ながらの団地タイプの鉄製ドアで、今の物よりひとまわり小さい。外に面した側は塗装が少しぽってりしていて修繕の履歴が感じられるが、内側はところどころ剥げ、ひとつ前の塗り色か下地材が見えていた。分譲マンションの玄関ドアというものは、外側は建物の大規模修繕工事で一斉に再塗装するが、内側は所有者の管理。このタイプのドアは内も外も同じ素材なのだから、同時に再塗装してくれてもよいのに、などという思いがふと頭をよぎる。180センチ近い正夫さんはひょいと頭を傾げて中へ入り、「狭いところですがどうぞ」と迎え入れてくださった。

 私は他人様の住まいを訪れるのが大好きだ。仕事で数多くのお宅へ上らせていただいたが、玄関に立つとワクワクして鼻が膨らんでしまう。家というものは、見た目も匂いも肌触りもみんな違っていて面白い。私には霊感とか第六感など働きはしないが、ここはちょっとイヤだな、気が重たいなとか、逆にここは気持ちがいいな、ずっといたいくらい!なんていう直感は働く。

 正夫さんのおうちは居心地が良かった。一緒に来た2人もそう感じていたのではないか。なぜなら私たちのおしゃべりは一向に終わる気配がなく、気付けばとうに2時間ぐらいが過ぎていた。

 正夫さんのおうちは正夫さんそのものだった。どこもかしこもこざっぱりとしていて、飾りっ気はないが、置かれているものは皆、その場その場に馴染みきっていた。男の人でご高齢の方の独り住まいにしては(と言ったら失礼だが)とても秩序が保たれているとお見受けした。木調の大振りな戸棚が二つ、ダイニングテーブルと4脚の椅子、冷蔵庫。テーブルの下に敷かれた絨毯には埃などつまっていなかった。

 この日の空は厚い雲に覆い尽くされて、どこもかしこも、のっぺらぼう。微かな陽光も落ちる影もなかったから方角の見当がつかなかったが、南北に延びる山手通り、建物の配置と向きからすると、ここは南西向きだろう。キッチンの窓は西向きだ。窓の先は目の前を遮るものがなく、晴れた日には富士山を一望、夏には多摩川の花火も見えるだろう。正夫さんにとって何よりなのは、奥様のユリ子さんが眠る寺院を眼下にできることに違いない。

 晴れた日の夕暮れどきには、部屋中が朱赤に染まるだろう。西陽のあたる壁に写真を飾ってしまうとは、なんと正夫さんらしい。指摘したら「気づかなかった。ずっと貼っていたよ」と微笑まれること間違いなしだ。かつては流し台側がユリ子さん、写真の貼られた壁側が正夫さんの定位置だったのではないか。正夫さんの瞼には、西陽を背にしたユリ子さんが眩しく映ったことだろう。ユリ子さんは西陽が壁の写真を焼いていることを知りながら、セピアに変わってゆく過程を楽しまれていたような気がする。過ぎし日の写真を背景にすると、目の前に広がる2人の「今」はよりくっきりと浮かび上がり、充足感に包まれたのではないだろうか。そして此処でごはんを食べたり、お茶を飲んだり、今日あったことなどを話すのだ。幸せを手のひらで温めながら。


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