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黒のタートルネックが着られない(1)

 寒風が肌を撫でる季節になると、首と名のつく場所を暖めるのがよい。その点、首もとをすっぽり覆うことのできるタートルネックのセーターは便利で、色は何にでも合わせやすい黒が使い勝手がよろしい。けれども私は、黒のタートルネックに袖を通すことはできない。おそらくこの先も一生。

 48歳で桜の散り際に自らの命を絶った友は、いつも黒のタートルネックを着ていた。「スティーブ・ジョブスか」というくらい。冬はセーター、真夏には薄手のカットソー、ボトムスは黒のスラックス、靴は黒のスニーカー、バッグは黒地にほんの少しだけ模様の入ったシンプルなもの。いつ頃からだっただろう。彼女が黒しか身につけなくなったのは。

 知り合ったばかりの、2人とも20代だった頃の彼女は、色もスタイルも個性的な服を素敵に着こなしていた。パープルやちょっと赤みがかった紫色にブラウンやベージュ、カラシ色なんかを組み合わせるのが上手で、透き通った青白い肌、薄茶色の瞳と髪によく似合っていた。それが彼女の個性だった。

 27歳になり、勤め先で知り合った人と結婚して専業主婦になった彼女は、本当に幸せそうだった。一方、私はといえば、個人経営のデザイン事務所にコピーライターの見習いとして勤めていて、毎日とにかく忙しかった。社員4人の小規模事務所で総務や庶務の担当者などいるはずもなく、そうした業務はいちばん下っ端の私の仕事だった。見よう見まねのライター仕事に加えて日々の掃除や片付け、使い走りや買出し、来客時のお茶出しもやらなくてはならず、帰宅すれば泥のように眠る毎日。バイトを雇ってもあまりのハードさにどなたも3ヶ月と続かず、さもなければ他人に厳しいチーフによって試用期間が満ちるとあっさりクビにされてしまうのだった。またかとゲンナリしつつも、3人目のバイトが去っていく頃には出会いと別れの儀式にも慣れきってしまっていた。

 そんな状況をいつも愚痴っていた私を見かねて、彼女がバイトをかって出てくれたのだ。友達と同じ職場で働くことには少し躊躇したけれど、猫の手も借りたかったから、渡りに船と飛びついた。何にでもよく気がつき、やさしく明るい彼女は、変わり者ぞろいの事務所連中からの評価は高かった。

 ところがバイトを始めて一年も経たずに彼女は辞めることになった。理由はタバコ。喫煙に対する意識は現代とはかなり違っていた時代のことだ。私を含め社員全員がヘビースモーカーで、禁煙どころか分煙の意識すらなく、まして社員4人の超小規模デザイン会社。仕事が波に乗ってくる夕方過ぎともなれば、事務所の天井付近には紫煙の霞がたなびいた。そんな環境で唯一の非喫煙者だった彼女の辛さは言うまでもなかった。スタッフに禁煙や分煙を強いるわけにもいかず、私としても会社としても彼女が去るのをとめられなかった。(続く)


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