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過去の自分に言いたいこと(2)

「過去の自分に言いたいこと」を書き始めたものの、自分の過去の(いやいまだにある)恥ずかしい面を曝け出すことになることなので、そう筆は進まない状況になっております。

しかし、過去の自分と似たような人も世の中にはたくさんいると思われるので、少しずつでも、気が乗った時に書いて、幾つくらいまで書けるのか、自分試しをしてみようかなと思っています。

早い時期に長期人生設計を立て、その方向性で本を多く読むべきだ

2回目は、若い時に、長い目で見ての計画を立て、そのための読書を読書をしっかりしておくべきだったなということです。同じ職場にいた某君に比べてそう思います。

彼とはさほど親しい間柄ではありませんでしたが、折に触れて短い言葉と交わす機会があったと記憶しています。はっきりとした言葉で彼がそう言ったかさえ記憶が怪しいのですが、その行動から、彼が会社に入った当初から、いずれは経営者の地位になることを意識していたように思います。その大きな秘訣は、読書(それも意識的な、方向感のあると言った方がいいかもしれません)読書だったと思います。

それを感じたのは、ある時お酒を飲みながら、彼が言った一言でした。「戸田よぅ、俺たちはとにかく本を読まんといかんよ。」本を読むことの重要性は、彼が先輩達から教わったそうです。彼は、若い時から、エリートと言われる先輩方に囲まれていました。エリートの人たちの多くが「成功の源は読書だ」と考えていたのかもしれません。

本を読むということは、いろんな効果があるのだと思います。まず、字という媒体を通して多くの人に会うことで、視野が広がるということだと思います。同時代に生きている人だけでなく、過去の人たちの言葉、考え方、生き方に触れることで、歴史観も養えるでしょう。読まない人よりは、大局観も養われることでしょう。そうした中から、すでに学校を出た頃から抱いていた会社を引っ張る地位に就くんだという意志を強化していったようにも思えます。自分の方向性を早い時期に決めていたんでしょう。

私も読書は割としたとは思います。しかし、彼のように色々な種類の本を幅広くというより、目の前の仕事をこなすために知識を仕入れ、技術を磨くためという目的の読書が圧倒的に多かったと思います。目先のことに追われ、長い目で見た自分の人生設計、職業人としての計画づくりがなかったことも、彼との大きな違いのように思います。よく言えば「一所懸命」(「一生」懸命ではなく)「一所」懸命です。

読書が人生の方向性を決める

ここまで書いてきて、どんな本を読んだかで、後の人生が変わるように思えてきました。彼は、経営者的な思考を、読書の中で養っていっていたように思います。私は、(そこまで専門家になれたかどうかは別として)、どちらかといえば専門職的な自分を育てるような読書だったように思います。

もちろん、どんな人に会うかにもよっても人生は決まってくると思いますが、誰に出会うかはかなり偶然の要素に左右されます。本は、自ら能動的に選んで読めますから、自らの意思による読書で自らが出来上がっていくのだと、書いていて改めて思います。

この駄文を書き始めたついさっきまでは、自分の読書は彼に比べて質量ともに劣っていたんだというように思っていたのですが、曲がりなりにも今自分を支える知識と技能を読書で養ってきたという意味では、そう劣等感を感じる必要はないのかなとも思います。(ちょっと開き直り)

締まりのない文章になりましたが、ブログですからご容赦を!私の反省は、若い時期に自分の長期的な人生計画を立てなかったこと(誰か、その必要性を説いて欲しかった!)、それに向けた読書や人脈作りを十分しなかったことということと言えそうです。

ここに来て、人生100年時代と言われています。にわかに100年生きられる時代になったか、何か政府の造語に踊らされているような気もしつつ、「あと30年間の長期(中期?)計画を立ててみようか」などと思います。

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