僕の人生をドラクエ風に紹介してみた!
はじめまして、博人_Yです!
コロナ禍の中、現在キャリアの複線化を模索する為、
5年ぶりにライターのお仕事を再開しました。
本日、note初投稿ですが、読者の方が、僕の記事を読んで頂き、
何かひとつでも、気付きや学びが得られ、明日からの日常にプラス
になれば幸いです。
Level:0 生誕
僕は、昭和の時代に、山口県下関の地で生まれました。
正直、あまり良く覚えていませんが、何故か畳の上で、
ボディーボード風なポーズを取っている写真が残っていました。
はて?本人は何を考えていたんでしょうねぇ~?笑
Level:5お手伝い
母方の祖父母宅が個人商店を営んでいた事もあり、
幼少期から良くお手伝いをしていました。
鮮魚が売りのお店だったので、お客さんが丸椅子に座り、
祖母が魚を裁きながら、会話をしている風景を鮮明に覚えています。
<僕のお手伝い>
・ダンボールでの値札作り
・ラベラーでの値付け
・店頭での声がけ
・お客様の接客など
ある日、お客さんから、「将来はダイエーの社長さんだね!」
と言われ、「商売っておもしろい!」と思ったことが、
後の職業人生に大きな影響を与えることになります。
Level: 6恩師との出会い
父の仕事の為、沖縄県那覇市に住んでいた、小学生時代。
昨年、焼失した、「守礼門」のすぐ近くの学校に
通っていました。
小学生時代、色々な思い出があります。
給食のパンを配送するトラックの後方のステップ(荷を上げ下げする所)
に乗って、帰りの会で、黒板の前に出され、みんなの前で怒られたこと。
絵が苦手なのに、何故か絵画コンクールで入賞したこと。
そして、のちの人生の心の支えとなる言葉を授けてくれた恩師との出会い。
父兄参観日の授業後の三者面談の時、担任の先生は、母にこう言いました。
「お母さん、この子は大器晩成タイプです。周りの子と比べることなく、
長い目で温かく、見守ってあげてくださいね。」
この言葉が、苦しいとき、逃げ出したいとき、もうダメだと思ったとき、
いつも、僕の心の支えでした。
今、僕の目指す人物像、それは恩師のような「人が生きる上で、支えとなる
ような言葉を授けられるような人間」です。
現在も、恩師の足元にも及びませんが、日々精進しています。
Level: 13 ドラクエとの出会い
実は今、コロナ禍で活況のYouTubeにて、ドラクエⅡandⅢのBGM
(木琴演奏)を聞きながら、この記事を書いています。
僕とドラクエの出会いは、今から33年間の、ドラクエⅡでした。
小学4年の時、両親に頼んで、任天堂の初代ファミコンを購入してもらい、
初のカセット『スーパーマリオブラザーズ』にはまりました。
それから2年後、ドラクエⅡが発売されました。
当時は、今みたいに、ネット通販はないので、発売日当日、
ダイエーの店頭に並んで買うというスタイルでした。
混乱を避ける為に、整理券を配布するのは、事前に分かっていたのですが、
開店とともに、一斉になだれ込み、入り口のドアのガラスがパリンと割れ、
店員さんが「押さないで!整理券を配るから、急いでも同じですよ!」
と言われていたのを、その光景とともに、今でも鮮明に覚えています。
累計販売本数は、ドラクエⅡが240万本、ドラクエⅢが380万本。
当時のゲームソフトの中でも、群を抜く驚異的な数字でした。
ドラクエの魅力は、ひとことで言うと、リアルな人生体験が出来る
という所にあると思います。
確かに、敵に遭遇して、命を落とす危機的な場面に遭遇することは、少ないけれど。。。
・仕事で困難な場面に遭遇した時
・プライベートでコミュニケーションの齟齬で誤解が生じた時
・スキルUPして、転職する時など
コロナ禍で、「行動変容」が求められる今、自分の人生を振り返るという
意味で、再びドラクエをPlayしてみるのも良いかもしれませんね?
「僕の人生をドラクエ風に紹介してみた!Ⅱ」へつづく。。。